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トーマス・ロックリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トーマス・ロックリー

Thomas Lockley
生誕1978年(45 - 46歳)
国籍イギリスの旗イギリス
職業作家、英語教育者
代表作信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍
An African Samurai in Japan. Yasuke
The Story of Yasuke: Nobunaga's African Retainer
肩書き日本大学法学部准教授
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トーマス・ロックリー英語: Thomas Lockley、1978年 - )は、イギリス出身の英語教育者[1]日本大学法学部准教授[2][1][3]。元ロンドン大学東洋アフリカ学院(SOAS)客員研究員[3][4]。研究分野は言語学習の、内容言語統合型学習(CLIL)[5]。日本やアジアの歴史に関する研究も行うとし[3]、歴史と英語の教員を担当[3][1][3][5]
日本語の著書などでは姓が先に書かれ、ロックリー・トーマス[6]、またはロックリー トーマス[7]と表記される。

経歴

1978年、イギリスで生まれる[1][5]2000年JETプログラムの参加者として来日し、鳥取県鳥取市に2年間滞在した[5]。鳥取では、小学校でALT(外国語指導助手)として働いた[8]2019年に日本大学法学部の准教授[9]。また、同じ年にロンドン大学東洋アフリカ学院(SOAS)の客員研究員となっている[3]

活動

認定NPO法人難民支援協会の支援者である[8]

弥助騒動

史実と異なる記述・発言問題

ロックリーが記した書籍や、監修した作品に登場する弥助像に関して、史実と異なっており、デマを生み出しているなどの批判がなされている[10][11]。 ロックリーは自身の作品や解釈(資料にないため想像で補った部分、創作した部分を含めて)をフィクションではなく、歴史的事実(ノンフィクション)として長期間提示していたため、次第に弥助の専門家として認められるようになった[12]。その結果、21世紀にはいってから、ロックリーによって創作された「伝説の侍」のイメージが、弥助そのものだという誤解を世界的に生んでしまうという事態が発生している[12]。ロックリーの想像により生み出された弥助像は、日本を含む世界各国の主要メディアにおいて、まるで事実であるかのように取り上げられ[13][14][15][16][17][3]、ファンタジー上の弥助を史実であるかのように考える人まで出現している。

同じ書籍であっても、日本向けに出版された『信長と弥助: 本能寺を生き延びた黒人侍』と、海外向けに出版された『African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan』[18]を比べると、日本向けでは推測の話と前置きする柔らかい表現を使う一方、海外向けでは断定的な表現になっているなど、内容が異なる部分が存在する[12]。日本人が問題に気づくのが遅れる一因となったうえ、ロックリーが執筆した文献でも内容が統一されていない状態となっている。

これらの批判を受け、ブリタニカのYasukeのロックリー氏による編集の記事は専門家委員会により大幅に変更された[19]

証拠がないにもかかわらず、「黒人が日本人に奴隷にされていた」という主張への批判

『信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍』の、戦国時代の日本において「地元の名士のあいだでは、キリスト教徒だろうとなかろうと、権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ」という記述に対し、「日本に黒人奴隷制があった」と読める内容であるとして、「事実とは異なる」とか「日本が黒人奴隷を生んだというデマが世界に広まってしまうのでは」など、偽史の拡散に対する非難や懸念がなされている[10][20]。 「宣教師がボディーガードとして連れてきた黒人が日本人に奴隷にされた」という不正確あるいはファンタジーな記述についても、国際的に広く「歴史的事実」であるかのように受け入れられてはじめてしまっていることについて、批判が起こっている[12]。SNSなどでの批判の中には「黒人奴隷は日本発祥だとロックリーが主張した」と勘違いしている人が見受けられるが、そのような主張をした事実はない。

フロイスの『フロイス日本史』によると沖田畷の戦いの有馬・島津軍側に大砲を扱う黒人がいたとされており、天正遣欧少年使節の『天正遣欧使節記』でも「見たことがある」という記載があることから、弥助と同じく宣教師の従者などの名目で複数の黒人が日本国内にいたこと自体は事実と考えられている。しかし日本人や当時の各大名が組織的に奴隷として使用していたという情報はない。

2024年7月17日、デービッド・アトキンソンはSNSにおいて「黒人奴隷は流行っていなかった」とロックリーを批判する人に対し、「流行っていなかったというのならエビデンスを出せ。だせないなら、流行っていたとも流行っていないとも証明できないので嘘というわけではない」という趣旨の発言を行いロックリーを擁護[21][22]。さらに7月20日には「日本はシルクロードで黒人奴隷を輸入していた」と主張した[23]ものの、「悪魔の証明だ」と批判が集中したことで、間もなくSNSを非公開にする騒動が発生している(1週間程度後、再公開された)。

なお、ポルトガル商人がイエズス会宣教師公認(または黙認)のもと、日本人や中国人などアジア人を奴隷として買い集め、自国植民地まで連行していた時期があったという指摘が存在する[24]。日本人と黒人は奴隷の使用者・被使用者の関係ではなく、どちらもポルトガルなどヨーロッパの奴隷として使われる立場であり、それは豊臣秀吉が状況に気づき宣教師を糾弾し、バテレン追放令を発令するまで続いた[25]

証拠がないにもかかわらず、弥助を「侍」と断定する記述への批判

弥助が侍であると断定されている資料は存在しない。信長公記の写本の一つ、尊経閣文庫版信長公記には「扶持鞘巻、私宅が与えられ、時には荷物などを持たせた[26][27]」という旨の記載があるものの、尊経閣文庫版は全文が公開されていないうえ、他の信長公記[28][29]、織田家や織田信長、イエズス会の文献でも同様の記載がなく確認することができていない。尊経閣文庫版信長公記を含めいずれの文献でも、仕事内容や身分に関する記載はない。

『家忠日記』の天正10年4月19日(1582年5月11日)付けの記述に「扶持を与えられた弥助という黒い男がいる」[30][31]という記載があることから、内容は不明ながら扶持(現在で言う給料)は受け取っていたようである。

戦国時代の頃は侍や武士の定義が曖昧だったが、ロックリーは信長に近い立場だったこと、扶持を受け取っていたこと、本能寺の変で明智軍に武器を持って抵抗したこと、イエズス会日本年報によると「ゆくゆくは殿にするのでは」と噂されていたことなどを根拠にして、弥助は武士であり侍であると主張しているとみられている。

  • ロックリーは弥助と侍についてのTIME誌の取材に対し「彼は腹心だった」「武器を持ち、ボディーガードの役割だった」「領主のために武器を手に取った人は誰でも、技術的には自分を侍と名乗ることができ、また侍と呼ばれることもできた」などと述べている[32]
  • BBCヒストリーマガジンの取材では「俸禄、京都の北東にある安土城の屋敷、召使い、そして日本刀を受け取った。日本刀は武士の象徴であるため、日本では伝統的に弥助が記録に残る最初の外国人武士であると理解されている」としている(なお尊経閣文庫版信長公記で与えたという内容に召使いは含まれていない)[33]
  • ジャパンタイムズが後述のゲーム『アサシンクリードシャドウズ』および弥助騒動について行った取材では「武士としての権利、特権、責任を儀式的に与えられたかはともかく、弥助は『殿』と呼ばれ、扶持をもらい、信長の紋章を与えられていた。当時としては名誉ある地位だった」「弥助が侍だったという文書は存在しない。しかし、他の誰かが侍だったという文書も存在しない」「日本の歴史の専門家は弥助が武士であることに疑問を呈していない」と武士であることを示す文献がなく証拠がないことを認めたうえで、武士ではないことを示す文献も存在せず、自分の主張を日本の専門家が否定していないと述べている[34]

しかし、豊臣秀吉織田信長小者(足軽)から武士へと認められたのは、信長の下で約10年間の軍役を経てからであることを考えると、信長の下で2年未満しか仕えていない弥助が武士になったとは考え難いと指摘されている[12]

自作自演のWikipedia「Yasuke」改ざんの疑い

2015年以来、弥助英語版ウィキペディアの項目に、ロックリーの未発表著作を参考文献として挙げ、「弥助は侍だった」などとする不確かな情報が繰り返し加筆された。加筆者と特定されている「tottoritom」は、日本大学の准教授であると名乗っており、さらに、ロックリーには鳥取で日本語教員の経験があることから、ロックリーの未発表著作を出典として加筆した「tottritom」は実際にロックリー本人ではないかと考える人らによって、大きな批判が起こっている[12]

英語版ウィキペディアの「User:Tottoritom」は、「東京にある日本大学法学部の教員であるトーマス・ロックリー」と自己紹介している[35]

アサクリ『弥助』問題

ロックリーの著書を参考にして作られた弥助が主人公とされる、2024年11月15日に発売予定のゲーム『アサシンクリードシャドウズ』のコンセプトアートにおける日本の描写が、不自然で史実に沿っていないことなどから、騒動が起こり[11]、発売中止の署名運動がなされている[20]

ゲーム内で、侍であるはずの弥助が、村の中で白昼堂々と敵を惨殺する姿が描かれており、この描写はサムライらしくないとして批判を集めた事に対し、ユービーアイソフトは「当時、死を見ることは日常茶飯事であり、当時の日本ではほとんどの人が死ぬ方法はきれいな斬首だった」と答えたが、歴史的に正確ではない回答であったために批判を生んだ[12]。ゲーム内で侍として描かれた弥助は、社会的地位が高い「伝説の人物」として尊敬を集める存在とされているが、歴史上の侍は必ずしも地位が高いわけではなく、ロックリーとアサクリ制作者がまったく誤った概念に基づき、史実における見解と著しく異なるキャラクターを生み出してしまったという批判は続いている[12]

また、日本が舞台であるはずのゲーム内で、なぜか逆さまに描かれた中国の仏像や工芸品、ミャンマーやタイの農作業の場面が出てくる、日本の「関ヶ原鉄砲隊」「相馬野馬追」などの画像盗用といった複数の失態が発生しており、日本のみならず、中国や韓国でもユービーアイソフトの制作陣、ひいては白人社会がアジア文化を無視・軽視・差別していると非難する異例の事態を招いている[12][36]

騒動に関する影響と見解

弥助に関する誤解の訂正を求める署名活動

ロックリーの著書やインタビューでの発言を元に、日本国外に弥助や日本の歴史に関する誤った認識が広がっているとして、「トーマスロックリー氏が広めた弥助に関する誤解の訂正を求める署名」を求める運動が起こっている[37]

国政における動き

国会議員の青山繁晴浜田聡がこの問題に注視する理由として、かつて事実と異なった形で慰安婦問題が国際社会で提起されたとき、日本政府がこれを放置し適切な対応をしなかったことが問題を拡大し深刻化させたとし、これを教訓に早い段階で国家レベルで手を打つべきとしている[38][39]

文部科学省の見解

上記に関して参議院議員浜田聡は2024年7月11日文部科学省に対しロックリーを巡って「想像で本を書き、内容を史実として世界に広め、作り物の歴史を世界の真実にしてしまう」という懸念や、公開されたゲーム内容に関して「日本文化・歴史・日本人を酷く軽視し、歪められた」といった指摘について関係省庁に対して見解を求めたところ、同年月24日文部科学省は「公序良俗に反する内容が疑われる場合は慎重な対応が求められる」と回答をしている[40]

外務省の見解

前述の文部科学省同様、参議院議員浜田聡に見解を求められた外務省は「ゲームにおける話で、外交とは関係していないことから、対応できかねる」[40]と回答し、『アサシンクリードシャドウズ』のゲームについてのみ回答。ロックリーが海外に向けて誤った歴史を広げたことについては回答しなかった。

一方、在モザンビーク特命全権大使であった池田敏雄(在任期間は2017年4月~2020年2月)が在任中に掲載していた大使館のウェブサイト内の挨拶で、「信長は弥助と名付け武士の身分を与えて家臣にした」「弥助は訪日した最初のアフリカ人」などと記載していた[41]。弥助に武士の身分を与えた、訪日した最初のアフリカ人など、基本的にロックリーの主張を鵜呑みにした未確認情報ばかりの内容であった。

NHKの見解

NHK は2021年3月30日BS4Kで放送されたトーマス・ロックリーを起用した番組「Black Samurai 信長に仕えたアフリカン侍・弥助」を放送した件について見解を問われると、2024年7月24日「番組自体は多くの専門家への取材で構成されている。問題があったとは思っていない」とし、またオンデマンドでの公開を中止した件については「当初から1年という予定で配信をした。予定通り終えたということで、今回いろいろ取り沙汰されたこととは関係がない」と回答している[42]

群馬県立文書館の見解

群馬県立文書館所蔵の栗間家文書の「年未詳加藤清正書状」(下川又左衛門ほか宛)に、豊臣秀吉の朝鮮出兵に関連する記述の中で「くろほう」という言葉が出てくることに対しトーマス・ロックリーは上記の番組において「くろほう」こそ、織田信長に仕えた黒人武将弥助の後身ではないかとする解釈を示している。これに対し同館は、「くろほう」をこれまで全く黒人として認識していないとし、トーマスのご指摘に驚愕しているとしている。例えば『源氏物語』にも「くろほう」という言葉が登場するが、これは「黒芳」(練り香)の意味で、日本の古典で頻出しているとし「くろほう」を黒人と解釈するのは困難としている[43]

論文・著書

  • 2016年織田信長に仕えた弥助に関する論文[5]「The Story of Yasuke: Nobunaga's African Retainer」を『桜文論叢(日大法学部紀要)』に掲載[44]
  • 2017年、『信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍』を発行[3]
  • 2019年Geoffrey Girardとの共著『African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan』をアメリカで刊行した[3]

関連項目

脚注

  1. ^ a b c d トーマス・ロックリー プロフィール”. HMV&BOOKS online. 株式会社ローソンエンタテインメント. 2024年6月25日閲覧。
  2. ^ LOCKLEY Thomas, 日本大学研究者情報システム, https://researcher-web.nihon-u.ac.jp/search/detail?systemId=b821967215ac2300740660f458cd5cad&lang=ja 2024年7月21日閲覧。 
  3. ^ a b c d e f g h i ロックリー トーマス”. TUTTLE-MORI AGENCY AUTHORS. 株式会社タトル・モリ エイジェンシー. 2024年6月25日閲覧。
  4. ^ SOAS University of London - Academic staff” (英語). SOAS University of London - Academic. ロンドン大学東洋アフリカ学院(SOAS)公式サイトの所属研究員一覧(英語). 2024年7月20日閲覧。2024年7月20日現在、Academic staff一覧にThomas Lockleyの名前はない(客員研究員(Visiting scholar)の分類もこの一覧には含まれる)。タトル・モリ エイジェンシーの記事によれば、「2019年」としか書かれていないため、現在のロンドン大学東洋アフリカ学院(SOAS)においては「客員研究員ではない」と考えられる。
  5. ^ a b c d e ロックリー 2017, 訳者あとがき.
  6. ^ 信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍”. 株式会社太田出版. 2024年6月24日閲覧。
  7. ^ 英語で読む外国人がほんとに知りたい日本の文化と歴史”. 東京書籍株式会社. 2024年6月24日閲覧。
  8. ^ a b 《支援者インタビュー》 難民として逃れた祖母の存在を胸にー本能寺の変にいた「アフリカン・サムライ」から日本史を描く:ロックリー・トーマスさん”. 特定非営利活動法人難民支援協会 (2020年2月12日). 2023年6月24日閲覧。
  9. ^ Tsuyoshi Goto (2022年6月5日). “Researcher sheds light on mystery of African samurai Yasuke made famous by Netflix anime” (英語). The Mainichi. 2023年6月24日閲覧。
  10. ^ a b 濱田浩一郎 (2024年7月20日). “織田信長に仕えた黒人「弥助」とはどのような人物だったのか?”. Change.org. 2024年7月23日閲覧。
  11. ^ a b 信長に気に入られた黒人男性、弥助(やすけ) そしてアサシンクリードシャドウズについて”. 浜田聡のブログ (2024年7月11日). 2024年7月22日閲覧。
  12. ^ a b c d e f g h i Shinichiro Kageyama (2024年7月22日). “『アサシンクリードシャドウズ』が炎上する理由”. Japan forward. 2024年7月23日閲覧。
  13. ^ Yasuke: The mysterious African samurai” (英語). BBC (2019年10月14日). 2024年7月26日閲覧。
  14. ^ Nichidai_hougakの2019年5月22日13:19のツイート2024年7月26日閲覧。
  15. ^ アフリカ人のサムライ――弥助が残した不朽の遺産”. CNN (2019年8月11日). 2024年7月26日閲覧。
  16. ^ にっぽん!歴史鑑定 #121「黒人侍と本能寺の変」”. BS-TBS (2017年8月7日). 2024年7月26日閲覧。
  17. ^ Nichidai_hougakの2017年7月21日12:01のツイート2024年7月26日閲覧。
  18. ^ 『信長と弥助:本能寺を生き延びた黒人侍』(英語版)African Samurai : The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan (Reprint)”. 紀伊国屋書店 (2021年2月2日). 2024年7月30日閲覧。
  19. ^ Yasuke | Britannica” (英語). www.britannica.com. 2024年7月29日閲覧。
  20. ^ a b 高橋寛次 (2024年7月24日). “「日本史を侮辱」戦国時代舞台の仏ゲーム、発売中止署名に9万超 主人公「弥助」巡り論争”. 産経新聞. 2024年7月24日閲覧。
  21. ^ atkindmの2024年7月17日18:44のツイート2024年8月2日閲覧。
  22. ^ atkindmの2024年7月18日11:45のツイート2024年8月2日閲覧。
  23. ^ atkindmの2024年7月20日9:42のツイート2024年8月2日閲覧。
  24. ^ “Jesuits and the problem of slavery in early modern Japan / Ehalt, Rômulo da Silva”. 日本外国語大学OPCA. (2018年3月12日). https://www-lib.tufs.ac.jp/opac/recordID/records/1040?hit=15&caller=xc-search 2024年7月29日閲覧。 
  25. ^ 新晴正 (2021年6月8日). “「日本人の奴隷化」を食い止めた豊臣秀吉の大英断”. 東洋経済オンライン. 2024年7月30日閲覧。
  26. ^ 原文「同右条 きりしたん国より黒坊まいり候、齢廿六・七と相見へ、惣之身之黒キ事牛之ことく、彼男器量すくやかにて、しかも強力十人に勝れたる由候、伴天連召列参、御礼申上候、誠以御威光古今不及承、三国之名物、かやうに珍寄之者拝見仕候、然に彼黒坊被成御扶持、名をハ号弥助と、さや巻之のし付幷私宅等迄被仰付、依時御道具なともたさせられ候」
  27. ^ 『織田信長という歴史 『信長記』の彼方へ』勉誠出版、2009年、311-312頁。
  28. ^ 信長公記 巻十四(二)御馬揃之事の該当部「二月廿三日 きりしたん国より 黒坊主参り候年之齢廿六七と見えたり惣之身の黒き事牛之如彼男健スクやかに器量也爾シカも強力十之人に勝スグレたり 伴天連召列参御礼申上誠以御威光古今不及承三国之名物か様に希有之物共細〻拝見難有御事也」
  29. ^ ウィキソース出典 太田牛一 著、甫喜山景雄 編『信長公記』。ウィキソースより閲覧。 
  30. ^ 原文「上様御ふち候、大うす進上申候、くろ男御つれ候、身ハすみノコトク、タケハ六尺二分、名ハ弥助ト云」
  31. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション 家忠日記』 第2〈文科大学史誌叢書〉、1897年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772514/54 国立国会図書館デジタルコレクション 
  32. ^ Kat Moon (2021年4月30日). “The True Story of Yasuke, the Legendary Black Samurai Behind Netflix’s New Anime Series” (英語). タイム (雑誌). 2024年7月30日閲覧。
  33. ^ Thomas Lockley (2024年5月17日). “Who is Yasuke? The true story of the African who became Japan's first black samurai” (英語). HistoryExtra BBC History Magazine's. 2024年8月2日閲覧。
  34. ^ Owen Ziegler (2024年5月25日). “Gaming's latest culture war targets Yasuke, Japan's Black samurai” (英語). ジャパンタイムズ. 2024年7月31日閲覧。
  35. ^ 英語版ウィキペディアの「User:Tottoritom」(05:11 UTC, 12 September 2015 の版番680634911)
  36. ^ “「日本と中国の違いすら…」黒人侍“弥助”で炎上の仏ゲーム、問題は時代考証だけじゃない。東大生の考察は”. SPA!. (2024年7月28日). https://nikkan-spa.jp/2019257 2024年7月29日閲覧。 
  37. ^ トーマスロックリー氏が広めた弥助に関する誤解の訂正を求める署名”. Change.org. 2024年7月22日閲覧。
  38. ^ 「弥助等の歴史問題に新たな展開? 坂上田村麻呂黒人説や弥助モザンビーク出身説、等について」『参議院議員浜田聡』
  39. ^ 「Q.世界で日本が黒人奴隷を使っていたことにされかけているって本当ですか?」『青山繁晴』
  40. ^ a b 「黒人侍「弥助」の仏ゲーム、文科省「公序良俗反するなら慎重に対応」 浜田聡氏に回答」『産経新聞』2024-7-24
  41. ^ 池田大使挨拶”. 在モザンビーク日本国大使館. 2024年7月29日閲覧。
  42. ^ 「織田信長に仕えた「弥助」巡る番組「問題あったとは思っていない」とNHK見解」『産経新聞』2024-7-24
  43. ^ 「レファレンス事例紹介コーナー」『群馬県立文書館』2023-10-24更新
  44. ^ The Story of Yasuke: Nobunaga's African Retainer”. researchmap. LOCKLEY Thomas. 2023年6月24日閲覧。

参考文献

外部リンク