@KM0158 @laymans8 ヴァリニャーノがリスボンからインドへ行く途中に、モザンビーク要塞に立ち寄り、その司令官に挨拶に行った際に、支援金と共に、3人の奴隷を受け取り、2人をリスボンのイエズス会修道院に送って、1人を手元に残した、と書いてあるからです。
2024-07-19 20:28:01@laymans8 最後に原文画像を貼っておきます。a catana とcafreにマーキングしておきました pic.twitter.com/CMP4Ek0cqv
2024-07-19 20:14:23@laymans8 このカフル人は獣のようなもので、何も知らず、日本人でもない。殺さずに、インディアのパードレたちの聖堂に置いてくるように、と。
2024-07-19 20:13:24@laymans8 明智の家臣が彼に近づき、恐れずに刀を差しだすように言ったので、彼(そのカフル人)は、その者に刀を渡した。もう一人の家臣がそのカフルの処遇を明智に問いに行き、明智は次のように答えた。
2024-07-19 20:13:16@laymans8 原文からの翻訳 「巡察師パードレがその要望によって、信長の元に残した一人のカフル人が、信長の死後、嫡男の館へ行き、そこでかなりの時間戦っていたことから、私たちの恐怖は一層のものであった。
2024-07-19 20:12:52@laymans8 それは大事な質問なので、正確に答えたく、少し時間がかかりました。以前テレビ番組制作時に、現在日本語で出回っている翻訳ではなく、自分で原文から翻刻して翻訳したので、そちらを掲載します。弥助が本能寺に居て、刀を持っていたのは、史料記述から言うと事実です。
2024-07-19 20:11:37@Nathankirinoha はじめまして。それは別の制作協力番組に対しての批判で、この番組に対してではありません。正体不明の外国人というのは、ロックリーさんのことではありません。
2024-07-19 19:19:41@laymans8 1,翻訳されたのは、あまり民族や地理性の明確な区別をつけるべしという意識がなかった時代なので、翻訳者がテキトーにそうしたのだと思います。 2,はい、そのとおりです。
2024-07-19 18:19:36@laymans8 同じです。基本的には、アフリカ東南沿岸部のカフラリアと呼ばれる海岸地帯出身者のことで、16世紀はモノモタパ王国と呼ばれる地域に凡そ相当します。Cafreはカフル人と訳すべきで、「黒奴」がすべてカフル人というわけではありません。インド人やジャワ人なども「黒奴」と呼ばれます。
2024-07-19 17:28:03@laymans8 ヴァリニャーノの自筆書簡。たぶん弥助に初めて会った時。世の中がエビデンスを求めているようなので貼っておきます。 pic.twitter.com/kgL4O2NgjZ
2024-07-19 16:36:33@laymans8 奴隷にも私有財産は認められ、賃金も払われ、貯金も出来ます。身請け金を貯めて自分を解放することもできました。弥助はもともとはおそらく「奴隷」ですが、ヴァリニャーノにはモザンビーク要塞司令官からプレゼントとして贈られたので、ヴァリニャーノの従者であって、奴隷ではなかったと考えます。
2024-07-19 16:10:43私個人への中傷なら我慢できたのですが、関係者に粘着質なコンタクトをする人が出てきたので、こちらからはしばらく離れます。この世界は恐ろしい所と聞いておりましたが、人間的な交流もできた方もいたので残念ですが。本件に関する学問的な問題は、考え続けてまいります。
2024-07-18 19:40:48@nyanto_five 歴史学者がかつて権威主義的であったことへの反動、人文学の衰退と社会実装の需要、その他様々な要因があって、「専門知」で愛好家の方を叩き潰すのは良くない、とされています。ただそのメソッドは確立されていません。
2024-07-18 19:21:11@takekuranaomiti 清水書院には「ロックリーの小論を掲載してけしからん」というメールがたくさん届いており、私の職場にも変な電話やメールが届いておりますの。
2024-07-18 18:46:09@Backtothefuckr 普段は引きこもりの史料職人ですので。あまり世俗のことに関わると、史料の中の人の声が聞こえなくなるので。それ以外は、社会のためになると思う仕事だけ引き受けております。
2024-07-18 18:27:30@LifCa お求めの回答ではないかも知れませんが。ロックリー氏はご自身の説には自信を持っておられるので「改竄」という意識はないと思います。
2024-07-18 16:16:11@Ei_Yas @HobbyXHobby ご本人とメディアが作り上げた虚像なので、自分たちで責任を取っていただくのが第一と思っております。
2024-07-18 16:03:29@Ei_Yas @HobbyXHobby Wikipediaは、誰でも書き込めるという点では、情報源として唯一無二としては信頼できない、というのは世界の共通理解かと思っておりました。私の認識が間違っておりますでしょうか?
2024-07-18 15:52:11@Ei_Yas @HobbyXHobby 「歴史実践」で検索していただくと、なぜこの問題に対してアカデミアが口をつぐんでいるのか、背景はご理解いただけると思います。
2024-07-18 15:45:04@Ei_Yas @HobbyXHobby 「弥助」の存在はこれまで日本の歴史の根幹に関わる問題ではなかったので、私も含めて、あまり大ごとに考えてきませんでした。もしこのゲームによる炎上の問題がなければ、その状況は続いていたでしょう。
2024-07-18 15:40:22@Ei_Yas @HobbyXHobby その理解で良いと思います。現在の歴史学では、アマチュアの方が、日本の歴史の中の些末な現象について奇想天外なことを言っても、「歴史実践」の一環であり、プロがダメ出しすると「野暮」とか「弱者のいじめ」と言われてしまう傾向があります。
2024-07-18 15:39:14@ZZgswx3Q7M52129 @katsuyass @Squallfang 大名家で働いていた人たちは「解放奴隷」もしくは、大名が身請け金を出して買ったのものと考えます。「奴隷」の内実は、おっしゃるとおり、全く異なります。
2024-07-18 11:03:52@katsuyass @Squallfang 亀井の場合は、「傭兵」の記憶があります。松浦氏と主従関係にある人たちについては『イギリス商館長日記』や『オランダ商館長日記』などをご覧いただくと、理解できるかと。通詞的な仕事もしていたようです。
2024-07-18 10:07:47@ribiribirx @YouTube それは海外の戦国史研究者に対応していただきたいです。まともな人もたくさんいますから。
2024-07-18 10:01:01