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岡 美穂子. @mei_gang30266

@toge28884920 @maruirin もともと侍ではない誰かを侍にした時って、どういう記録が残るものなのでしょう?

2024-07-20 21:17:57
岡 美穂子. @mei_gang30266

@maruirin @toge28884920 あくまで想像ですけど。天下を取るつもりの明智としては、弥助を戻すことで、南蛮貿易に影響力のあるイエズス会士たちの機嫌をとり、恩を売っておこうと考えた政治的駆け引きだった可能性もあるかなと。火薬の原料は当時すべて南蛮貿易の商品なので。もう一度言いますが、想像です。

2024-07-20 21:16:14
岡 美穂子. @mei_gang30266

@crOeKR0i9ZhxKW3 「黒坊」はアフリカ人に限らないと思います。おっしゃるとおり、インド人、ジャワ人など含まれます。「カフル人」はポルトガル人がインド洋で売買する奴隷の中では上級なので、高価です。

2024-07-20 21:01:01
岡 美穂子. @mei_gang30266

何人かに聞かれた気がするので、すでにお答えしたことですが、まとめて回答します。「流行した」とまで言えるかは分かりませんが、日本の大名の中に「黒坊」を抱えていたと史料から分かる人は、複数おります。具体的に史料で分かるのは、平戸の松浦、熊本の加藤清正、因幡の亀井、長崎奉行の長谷川など

2024-07-20 20:04:25
岡 美穂子. @mei_gang30266

@ashenfox このたび私がノコノコ出てきましたのは、「ヘイト」のような言説がまかり通り、ロックリー氏を責めたいがあまりに、史料から言える歴史的事実ですら捻じ曲げようとする人々がたくさんいることに気づき、歴史学者として戦わねばならないと思ったからです。

2024-07-20 17:11:00
岡 美穂子. @mei_gang30266

@ashenfox 本人が調子に乗り、世界的なトレンドも偶々相乗して、有名人になられましたが、それでも日本人はゲームの宣伝が出るまで気づかず、関心も持っていなかったはずです。

2024-07-20 17:06:44
岡 美穂子. @mei_gang30266

@ashenfox 色々と擁護してくださってようで、ありがとうございます。私は、この方は弥助に惚れ込んで、一生懸命自分なりにリサーチして、ストーリーを盛れるだけ盛った愛好家の方という認識です。「愛好家」の方をプロが袋叩きにするわけにはいかない、ということは述べてまいりました。

2024-07-20 17:05:12
岡 美穂子. @mei_gang30266

@tashiroangel @maruirin @11112222tomoko @laymans8 一度だけ回答します。「十分に長い時間戦った後 aly esteve pellejando hum grande pedaço 」と書かれており、その後に明智の家臣が近づきと続くので、「最後」というのは、そういうことです。

2024-07-20 16:56:06
岡 美穂子. @mei_gang30266

平山優先生が本気で参戦なさったようなので、とても有難い。金子拓さんも別メディアで参戦準備しているとのこと。私が反論しているロックリーさんの言説は、「本能寺の変の後の弥助」部分なので、すべてを否定する必要はない。メディアが彼を持ち上げすぎたのは、メディア側の問題が大きい。

2024-07-20 16:48:31
岡 美穂子. @mei_gang30266

@maruirin @11112222tomoko @laymans8 はい、それが正しい理解です。急いで英訳を作成したので、見落としました。

2024-07-20 16:19:37
岡 美穂子. @mei_gang30266

@11112222tomoko @maruirin @laymans8 写真のトリミングで前の一行が見えないだけです。良く読めましたね。 pic.twitter.com/acK6NOhhSg

2024-07-20 16:11:12
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岡 美穂子. @mei_gang30266

この問題を追いながら既視感がつきまとっていた。自分で「専門知」と書いてみて、はた、と思い出した。わりと最近あった『土偶を読む』問題と、規模は異なるが構造的には似ているのだな。『土偶を読む』の内容はさておき、私は「集団私刑」はやめろ、とどこかに書いて、批判をいただいたのだった。

2024-07-20 12:34:16
岡 美穂子. @mei_gang30266

昨日この件と全然関係なくNHKの人と面談。NHKのドキュメンタリーは、史料にないことは、状況証拠を何重にも積み上げないと、番組に入れてはいけない、ということで意見は一致。「史料」から出せる歴史の面白さは山ほどある。それをハンドルする専門知は、やはり尊重していただきたいところ。

2024-07-20 12:03:11
岡 美穂子. @mei_gang30266

@boardgfan 外国語史料そのものが信用に足るや否やという議論はすでに数十年前に淘汰されました。翻訳者の力量の問題は存在します。

2024-07-20 0:02:31
岡 美穂子. @mei_gang30266

@boardgfan 最近の歴史学界でよく大会のテーマになっているところですが。いかなる史料にある事柄も、誰かの主観で書かれていることを忘れること、また書かれていなかったからといって、事実として存在しないと考えること、いずれも危険とされています。

2024-07-20 0:01:25
岡 美穂子. @mei_gang30266

@kakei_mikoto 「秀忠」→「信忠」でしょうか?いずれにしても「伝えた」という記録は書かれていません。単にそちらへ移動したと書かれています。 数年後ではありません。この史料の原文は、1582年11月5日(西暦)ですので、4カ月と2週間ほど後でしょうか。

2024-07-19 23:48:39
岡 美穂子. @mei_gang30266

@ShogunateThe As I am one of the contributors to the New Cambridge History of Japan (forthcoming), you can trust my expertise. However, if I express my own opinions here, people might attack me. Therefore, please allow me by just quoting historical sources translated in English.

2024-07-19 23:05:53
岡 美穂子. @mei_gang30266

@ShogunateThe "This Cafre is like a beast, knowing nothing, and he is not a Japanese. Do not kill him, but take him to the the church of the priests from India."

2024-07-19 22:54:09
岡 美穂子. @mei_gang30266

@ShogunateThe One of Akechi's retainers approached him and told him not to be afraid and to hand over his catana. The Cafre man then gave his catana to the retainer. Another retainer went to ask Akechi what should be done with the Cafre, and Akechi replied:

2024-07-19 22:53:56
岡 美穂子. @mei_gang30266

@ShogunateThe At the request of the Padre Visitador, a Cafre man left behind by Nobunaga, after Nobunaga's death, went to the residence of his legitimate son, where he fought for quite some time, heightening our fear all the more.

2024-07-19 22:53:11
岡 美穂子. @mei_gang30266

@K77castella 谷口氏は原文読めない方なので。

2024-07-19 22:37:58
岡 美穂子. @mei_gang30266

@Ubi1721606Ubi ポルトガル語はほぼネイティブです。先学の翻訳は参考にしても、必ず手書きの原文を確認して、自分で翻訳しています(それが生業なので)。現在日本語で読めるものは、1598年にイエズス会が編纂して活版印刷に付したものが翻訳底本で、省略箇所が多いため。

2024-07-19 22:36:16
岡 美穂子. @mei_gang30266

戦国時代の「侍」の定義が曖昧であるというのは、日本史研究では一般的な認識のはずです。その上で、主と共に「刀を持って最後まで戦った」のであれば、私は「侍」と言ってよいと思います。過大に脚色しなくても、あるがままの姿で、彼の存在は稀有だったと言ってあげたいです。史料屋のひとりごと。

2024-07-19 21:14:25
岡 美穂子. @mei_gang30266

これは1582年11月5日付のルイス・フロイスの『日本年報』で、該当部分は、当時京都にいたカリヨンという神父の報告です。本能寺の変が起こった日の朝からのかなり詳細な記述があり、かなりリアルです。

2024-07-19 21:08:22
岡 美穂子. @mei_gang30266

しばらく来ないと言ったが、丁寧に専門的な知識を求められると回答せずにいられない性質なので、立ち寄ってしまった。弥助が本能寺の変の日に、信長と一緒に居て、信長の死後、信忠のところへ行き、最後まで刀を持って戦ったことは、イエズス会史料にはっきり書かれています。

2024-07-19 21:00:57
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