1951年度末、日銀が国債発行残高の6割近くを保有

 しかし、皮肉なことに終戦の混乱期には、一転して日本銀行の国債保有シェアは高まる。国債引受を禁じた財政法は1948年度予算から適用されるため、日本銀行は、それ以前の1946年度や1947年度に三分半利国庫債券を引き受けていたからである。

 また、日本銀行は、1949年6月から1951年9月まで公開市場操作(国債買いオペレーション)を積極化させ、復興金融債や長期国債の保有比率を高めている。

 その結果、日本銀行は、1951年度末に国債発行残高の6割近くを保有するに至っている(図2参照)。現在の国債保有が日本銀行に偏在しているのは異常に見えるが、1950年代も現在と同じ異常状態を経験していたのである。

【図2】

1960年代以降は大蔵省資金運用部・民間銀行が主体に

 その後は、金融機関に加え資金運用部による国債保有が漸増したため、国債消化における日本銀行の国債保有シェアは、低下基調で推移した。1965年度に赤字国債が発行され、1966年度以降も建設国債が連続して発行されるが、日本銀行の保有シェアは、時間をかけて10%程度まで低下したのである。

 この保有構成は、日本銀行による国債引受が実施されていた1930年代から1940年代前半と類似しており、日本銀行があえて国債を保有することなく、資金運用部・民間銀行が国債を分け合いながら保有していた。

 しかし、この体制は、1991年度末には国債残高の約3分の1を保有していた資金運用部の廃止により段階的に国債保有が減額されていくため、終焉を迎えることになった。財投改革により資金運用部は廃止され、財政融資資金による国債保有は2015年度末にはゼロになったのである。