僕とジョルノ(1)
「俺はコーヒーにミルクが溶けるのを見るのが好きなんだよ」
こう言う時のジョルノは機嫌がいい。
「お前、また本なんか読んでるのかよ」
学校の先生に本を読まない奴は猿だと言われ、月に十冊は本を読むようにしている。優等生の僕は、学校でそれなりの成績を収めている。みんなからは尊敬されるし、大人に褒められると嬉しくなる。そんな僕を、ジョルノは靴でも磨いていた方がマシだと言って馬鹿にする。確かに、学校の先生の靴はボロボロの雑巾みたいに汚れていて、みすぼらしい印象を与えていた。
「俺はな、パ行が好きなんだよ」
そう言って、ジョルノはナポリタンを美味しそうに食べる。味も好きだが響きが好きなのだとジョルノは言う。ジョルノに「言ってみろ」と言われて、僕もパ行を口にする。ナポリタン。パラダイス。プリン。ヘッポコ。ハッピー。パ行を言うと力が抜ける。色々なことがどうでもよくなったり、自分はどうでもいいことで悩んでいるのかもしれないと思う。ジョルノといると、僕は真面目過ぎるのかもしれないと思う。
「いい子って、どんな子だと思う?」
ジョルノは、時折、そんなことを僕に聞く。僕は「大人の言うことをちゃんと聞く子だって、先生は言うよ」と言う。ジョルノは「それはいい子ではない」と言う。大人の言うことを聞く子は、いい子ではない。それは、バカな子だ。
「俺はな、悪い影響を与えたいんだよ」
そう言って、ジョルノは僕の前に現れた。
☆
僕とジョルノはバスに乗る。僕らの前の席に、三歳くらいの女の子の手を引きながら、一歳くらいの女の子を抱っこしたお母さんが座る。バスを降りる時、ジョルノは、低く、落ち着いた声でかわいいですねと言う。女の人を前にした時のジョルノは妙にダンディーで、マイルドになる。こどものことだと思ったお母さんは「ありがとうございます」と言う。ジョルノは、お母さんの目を見て「いえ、あなたがですよ」と言う。お母さんはポッと頬を染めながら言う。
「まあ」
一瞬だけ子育ての疲れが吹き飛んだような顔をして、お母さんは驚く。ウインクをして、ジョルノは立ち去る。僕は慌てて後を追う。ジョルノは、恥ずかし気もなくこういうことをやる。そして、二人きりになった時に「今の俺を見たか」と自慢をする。ジョルノは「紅葉狩りよりほの字狩り」と言う。僕は「ほの字って何?」と聞く。ジョルノは「俺に惚れることだよ」と言う。俺に惚れると、体温が上がる。体温が上がると、血液が巡る。血液が巡ると、健康になる。健康になると、幸せになる。俺の慈善事業だと、ジョルノはこどもみたいなことを言う。
「お前に見せたいものがあるんだ」
そう言って、ジョルノは僕を呼び出す。行き先は聞いていない。ジョルノの口数は少ない。余計なことを言うと怒られる。ジョルノのことは嫌いではない。だけど、もう少し説明をして欲しいと思う。前に、そのことをジョルノに言ったら「野暮な男だな」と一蹴された。余計なことを言ったりやったりすることは、男の価値を下げるらしい。僕はまだまだこどもだけれど、こども扱いされることは嫌だ。だから、黙ってジョルノに従う。ジョルノといると、何かが起こる。僕の知らない何かが、僕を大きくする。
「着いたぞ」
一軒家の玄関を開けて、ジョルノが中に入る。奥の部屋にベッドがあり、四十歳くらいの女の人が寝ている。女の人は重い病気にかかっていて、ベッドの周りには女の人のお姉さんが二人と、女の人のお母さんが座っている。お父さんは、ちょっと前に亡くなってしまった。女の人が病気になってから、上のお姉さんは飛行機に乗って、下のお姉さんは船に乗って、毎月のようにお見舞いに来る。はたから見ていると、とても仲の良い、支え合っている家族に見える。
「よく見ておけよ」
重い病気の妹に、二人のお姉さんは優しく語りかける。早く元気になってね。また一緒に旅行に行こうね。妹は、何かを諦めているような、悲しそうな顔をしている。ジョルノは言った。妹は、お姉さんのことをずっと羨ましいと思っていた。自分もお姉さんみたいに自由に生きたいと思っていたけれど、なかなかそれをやることができなくて、今、病気になることでようやくみんなに甘えることができるようになった。
「彼女は、今、夢を叶えたんだよ」
僕には、ジョルノが言っていることの意味がわからない。病気になるのは、悲しいことで、悪いことだ。ジョルノは「そんなことはないよ」と言う。女の人の命の火は、今にも消えそうになっている。二人のお姉さんと、一人のお母さんが、女の人の火が消えてしまわないように、大事に、大事に、守り続けている。その火が、消えてしまうのは時間の問題のように見える。死ぬことは、悲しいことで、悪いことだ。ジョルノは「そんなことはないんだよ」と言う。彼女は、今、夢を叶えたんだ。自由になる夢を。
「命を賭けて、自由になったんだ」
☆
もっと胸のある女の方が好きだし君はもっと太ったほうが抱き心地もよくなる。クリッとした目に口数は少なくもっと知的に。スポーティな格好よりも色気のある服の方が好きだし、君といると疲れるから会うたびに五万円くらい欲しいというのが本音だけれど、要するに俺が何を言いたいのかと言うと「君を好きになる人は俺みたいに細かいことをごちゃごちゃ言わないから、そう言う奴と一緒にいろ」ということだ。
「なんてこと言うのよ!」
ジョルノが女の人をけちょんけちょんに罵る。女の人は、信じられないものを見たような顔をして、怒りで体を震わせている。学校では、女の人に優しくしろと教えられる。ジョルノは真逆をやっている。僕は驚く。言い過ぎじゃないかと僕は言う。いいんだよとジョルノは言う。真実は容赦がない。これはジョルノの口癖だ。本当のことを言っただけ、俺は親切なんだよ。
「こんにちは」
僕たちの前に、さっきとは違う女性が現れる。名前はレイチェルと言うらしい。クリッとした目に豊満なボディ、口数は少なくおっとりとしているけれど、どことなく挙動不審で、多分、ジョルノはこの女の人のことが好きだ。さっきの女の人といる時よりも、顔つきがずっと優しい。言葉に含まれているトゲがなくなって、おじいちゃんが孫を見守る時のような顔になる。
「ぐがー、ぐがー、ぐがー」
ジョルノがレイチェルと電話をしていた時に、眠くなってしまったレイチェルは電話をしたまま寝た。電話越しに、レイチェルのいびきが聞こえてくる。電話をしながら眠る人間をはじめて見た、しかも、いびきをかいている。衝撃を受けたジョルノは、この瞬間、恋に落ちた。こんな人間がいるのかと、心臓を撃ち抜かれたジョルノはレイチェルに服従することを誓った。
「やめてよ!」
恥ずかしがり屋のレイチェルには虚言癖があって、本当は仕事をしていないのに、仕事をしていないことを隠す。本当はちゃんとしていないのに、ちゃんとしている振りをする。そして、疲れて人と会うことが嫌になって、引きこもる生活を続けている。遊びじゃないと動けない。これはレイチェルの口癖だ。ジョルノとレイチェルは気が合うみたいで、一緒にいる時の二人は、まるでこどものように戯れている。僕は、大人は、もっと大人だと思っていた。二人を見ていると、僕がしっかりとしなければと思う。
「慎ましく生きることができない」
丁寧な暮らしに憧れているレイチェルは、自分の浪費癖に困っている。心を新たにして「節約する」と決めたレイチェルは、節約すると決めた途端に反動に襲われて、お寿司を食べる。ステーキを食べる。真夜中にラーメンを食べる。慎ましく生きると決めたのに、慎ましく生きることができない。自虐と浪費と不義理が止まらないよ。そんなことを言うレイチェルを見て、ジョルノは「そんなお前が大好きだ」と言う。
「俺たちは、詩人なんだよ」
ジョルノに言わせると、フィクションもノンフィクションもないらしい。おおぼらふきだとしても、その嘘が、人を幸せにしたり人の心を軽くさせるものならば、それは良い嘘になるらしい。ジョルノは言う。詩人と同じだよ。詩人だって、空想的なファンタジーを見せることで、お金を稼いでいるだろう。大事なことは、いい夢を見ることなんだよ。いい夢を見させてやったなら、そいつはいい仕事をしているんだよ。
「そっか、私は詩人なんだ」
安心したレイチェルは、アイスクリームを食べる。こどもだましみたいな言葉に、いい大人が言いくるめられているのを見ると、この国の未来が心配になる。なんだか、二人の代わりに、自分が心配をしているような気持ちになる。大人気のない大人たちが、僕の目の前でアイスクリームを食べている。ジョルノが「お前もいるか?」と声をかける。僕は「いらない」と返事をする。レイチェルは口笛を吹いている。さっきまで慎ましく生きることができないと嘆いていたことが嘘のように、あ、空が綺麗とか言っている。二人が仲良しな理由が、少しわかる。
(続く)
バッチ来い人類!うおおおおお〜!
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