俺はお前とは違うんだよ、コルニ   作:スゲー=クモラセスキー

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 起承転結の転。
コルニちゃんは何も悪くないのに、どうしてこんなに曇らされてしまうん?




 お兄ちゃんとそのパートナーポケモンであるチャーレムとの模擬戦。

そんな尊敬する師匠にして大好きな異性であるお兄ちゃん達との真剣勝負に、あたしとルカリオのコンビは、敗戦濃厚の土壇場で奇跡のメガシンカを成功させたことで、自分でも信じられないほど劇的な初勝利を納めることが出来た。

 

 正直に言って、お爺ちゃんの「そこまで!」の声が聞こえるまで、あたしは自分が何をしたのかが全然分からなかったよ。

だけど、それもある意味当然のことだと思うんだ。

だってあたしは、お兄ちゃんが鍛錬する姿に憧れて同じ武術の道に入ってからの12年間、その間に挑んだ600回を優に超えるほどの模擬戦では一度も彼と彼のチャーレムのコンビに勝つことが出来なかったのだから。

というより、ここ数年で漸く勝負らしい勝負になってきたと表現した方が正しいほど、あたしとお兄ちゃんの間にはかなりの実力の差があったのだ。

 

 だけど、そんな強いお兄ちゃんとチャーレムの最強コンビを相手に、あたしとルカリオの二人ははじめての勝利を収めてしまった。

それも、小さい頃に一度だけお爺ちゃんに見せて貰ったメガシンカを、それに必要なキーストーンやメガストーンも使わずに成功させる形で。

勿論、この時のメガシンカはあくまでも偶然の産物だったのだろう。

若しくは、それこそ本当の意味での奇跡というだけの話だったのかもしれない。

 

 ──でも。

それでも、あたし達はお兄ちゃん達との試合に勝った。

内容は終始押されっぱなしだったし、最後のメガシンカがなければ間違いなく負けていた試合だったと思うけど、結果的にあたしとルカリオは、長年の目標であったお兄ちゃんとチャーレムの壁を越えることが出来たのだ。

不満が残る内容ではあったけれど、この初勝利という結果だけは素直に認めてあげていいのかもしれない。

 

「やっ……たーッ!やったよルカリオッ!!あたし達、遂にお兄ちゃんとお兄ちゃんのチャーレムのコンビに勝てたよォッ!!!」

 

 だからこそ、あたしはそんなお兄ちゃん達相手に大金星を上げたルカリオ……もとい、メガルカリオとその喜びを分かち合った。

それはもう自分でも驚くほどの勢いで喜びの感情を爆発させていた。

気付いたら体が勝手に動いていたっていうのかな?

メガルカリオの放った渾身の波動弾がお兄ちゃんのチャーレムを戦闘不能にし、それを遠吠えという形で喜ぶ彼の姿を見た瞬間、あたしは無意識の内に、メガシンカを経たことで少しだけ大きくなった彼の体に抱きついていたんだ。

 

 そんな劇的な勝利に酔いしれるあたしとメガルカリオのことを、まさかの敗北を喫したお兄ちゃんがどんな顔で見つめていたのかも気付かずに。

 

 そうして何時の間にかメガシンカの制限時間が解け、メガルカリオが普段のルカリオの姿に戻ったのを確認した後、お兄ちゃんは随分しょんぼりした様子のチャーレムを連れ立って、未だ初勝利の余韻に浸っていたあたし達にこんな言葉を掛けてくれた。

 

「おめでとうコルニ、ルカリオ。お前達は俺の予想を遙かに超えた奇跡を成し遂げ、その上で俺とチャーレムを超えた。素晴らしいことだ。そんなお前達に贈る言葉はただ一つ。──よくやったな。もう俺からお前達に教えることは何もない。これからはお前達の思う、お前達だけの道を行け」

 

 そう言ってあたしとルカリオに微笑みかけてくれたお兄ちゃんの笑顔はとても穏やかだった。

その時の彼の笑顔は、まるで何か大きな悩み事や重圧といった束縛から解き放たれ、身も心も綺麗に生まれ変わったかのような喜びに満ちたものだったように思う。

勿論、それだけならばあたしは何も思わなかったことだろう。

昔からお兄ちゃんの笑顔を見るのは好きだったし、それがここ数日の不安定な彼の姿からは考えられないほど落ち着いたものだったのならなおさらだ。

 

 だけど違った。

この時のお兄ちゃんが浮かべていた笑顔は、普段から彼があたしに向けてくれるものとは明らかに違う物だと、あたしは直感的に理解してしまったんだ。

 

 それなのに、長年想い続けていた相手からの初勝利に完全に浮かれてしまっていたあたしは、そんな自分の直感を「考えすぎ」の一言ですぐに頭の片隅に追いやってしまった。

普段のあたしなら、ここでお兄ちゃんの笑顔の裏に隠された感情や、彼があたしとルカリオに贈ってくれた言葉の意味を吟味する余裕が確かにあったと思う。

そうでなくとも、「果たして、たった一度の勝利だけで、あの真面目なお兄ちゃんが『もう俺からお前達に教えることは何もない』だなんて無責任極まりないことを言うものだろうか?」と疑問に思うべきだったのだ。

だけど、久しぶりに見たお兄ちゃんの笑顔に浮かれ、事実上の師匠だった彼からの免許皆伝同然の言葉に浮かれ、「漸くお兄ちゃんに一人前だと認めて貰えた」と自惚れていたこの時のあたしには、そんな直感や小さな疑問の積み重ねに、最後まで気付くことが出来なかったんだ。

 

 振り返ってみれば、これが今にも切れそうなあたしとお兄ちゃんとの関係を再び繋ぐ最後のチャンスだったのに。

 

 その日の深夜。

一人で自室のベッドの上に寝転がっていたあたしは、模擬戦の際に感じていた極度の緊張と、それから介抱された安堵感や初勝利への興奮で疲れ切っていたはずなのに、不思議と寝付くことが出来ずにいた。

決して眠くなかったわけじゃない。

だけど、あれから少し間が空いたおかげか、あたしの中には模擬戦後に見たお兄ちゃんの笑顔や、そんな彼から贈られた言葉の中に含まれていた疑問や違和感に対するモヤモヤが少しずつ強くなってしまい、そのことについて考えている内に、あたしの体はすぐにでも睡眠を欲しているのに、頭は何時までも考え事をしてしまうという矛盾を抱え込んでしまうようになってしまったのだ。

 

 当然、そんな状態で考え事をしたところで自分の求める答えなど出るはずもなく、あたしはただベッドの上で何度も寝返りを繰り返しては今日のことを思い返すという、何とも無意味な時間を過ごしていた。

しかし、答えなど出るはずがないと分かっていても、無意味な時間だと頭では理解していても、それでもあたしは、ない頭を振り絞って最近のお兄ちゃんの身に起こったことを考えずにはいられなかったんだ。

 

 何故あの時のお兄ちゃんは全てに絶望したような顔で泣いていたのか?

何故あの時のお兄ちゃんはあたしの掛けた言葉に対してあそこまで過剰な反応していたのか?

何故あの時のお兄ちゃんは自分よりも遙かに未熟なあたしなんかに嫉妬にも似た感情を持っていたのか?

何故あの時のお兄ちゃんはそんな自分の中の感情に蓋をしてまであたしの前で普段の自分を取り繕おうとしたのか?

 

 勿論、そんなあたしの中の疑問は少し前から様子がおかしかったお兄ちゃんだけでなく、彼同様に違和感のある態度と言動が多かったお爺ちゃんに対しても向けられていた。

 

 何故あの時のお爺ちゃんは誰よりも鍛錬に励んでいたお兄ちゃんのことを難しい顔で見ていたのか?

何故あの時のお爺ちゃんはあたしがお兄ちゃんの弟子になったあの時に「この子への指導を通して、彼奴にもポケモンと心を通わせることの本当の意味を理解してくれるといいのだが」なんて意味深な独り言を呟いていたのか?

何故あの時のお爺ちゃんはあたしとお兄ちゃんとの模擬戦の立会人をする際にあんなにも辛そうな表情を浮かべていたのか?

そして、何故あの時のお爺ちゃんは今日の模擬戦の直後に「ワシの後を継いで次代の継承者となるのはコルニ、お前だ」なんてことを態々言いに来たのか?

 

 幾ら考えても分からないことは多い。

というより、元からあまり考えることが得意ではないあたしにとっては自分の周りで一体何が起こっているのかすら殆ど分かっていない。

だけど、そんな考えることが苦手なあたしでも唯一分かっていることがある。

それは今日の模擬戦の後にお兄ちゃんが見せていた場違いなほど明るい笑顔と、そんな彼を尻目にあたしに継承者のお仕事を任せてくれたお爺ちゃんの苦しげな表情には密接な関係があるということだ。

 

 それこそ、長年の夢だった継承者のお仕事を諦めたお兄ちゃんと、彼に引導を渡してしまったあたしに継承者のお仕事を与えてしまったお爺ちゃんといった具合に──。

 

 そんな方向に考えが及びそうになった時、あたしは自分のほっぺたを思いっきり抓ることで、自分の脳裏に過った最悪の予想を半ば無理矢理に打ち消していた。

「疲れているんだ、疲れているから、あたしはこんな悪い方向にばかり考えが及んでしまうんだ」と自分に言い聞かせながら。

「早く寝よう。そうすれば、こんな悪い考えも明日には綺麗に忘れていることだろう」と自分に言い聞かせながら。

そうして寝る前に水でも飲もうとベッドから起き上がり、特に理由もないままにベッド横の窓へと目をやったあたしは──見てしまった。

 

 大きな荷物を抱え、誰にも何も言わずに道場の外に繋がる正門へと足早に去って行くお兄ちゃんの姿を。

瞬間、あたしは自分の格好どころか既に寝静まった他の家族への迷惑すらも考えず、着の身着のままの状態でその場から駆け出していた。

 

「待ってッ!お兄ちゃんッ!!」

 

 その後、漸く追い付いたあたしの方を振り返ったお兄ちゃんの顔には驚きの表情が浮かんでいた。

深夜の逃避行を邪魔されたことに対する怒りでも、こんな深夜にあたしのような女の子が出歩いていることに対する困惑でもなく、ただただ純粋な驚きの感情がお兄ちゃんの顔にありありと浮かんでいたのだ。

 

 まるで、自分のような人間を追い掛けてきてくれるような人がいるとは思いもしなかったとでも言いたげな顔で。

 

 そんなお兄ちゃんの呆けたような、或いは本当に何も分からないと言わんばかりの表情を見たあたしの胸に去来したのは怒り。

それも、自分はおろか他の家族にすら別れの言葉一つなく出て行こうとした薄情な兄弟子に対する正当で、なおかつ燃えさかる炎のように猛々しい怒りだ。

だけど、そんな激しい怒りと同じくらい、あたしには何故お兄ちゃんがあたし達に何も言わずにここから出て行こうとしていたのかの検討も付いていた。

出来ることなら他ならぬお兄ちゃん自身に否定して貰いたいような酷い考えではあったのだけど、それでもこの時のあたしには、誰よりも強い志と、誰よりも清廉な武術への想いを併せ持っていた彼が、人目を忍んであたし達の元から去ろうとする理由が、これ以外には考えられなかったのである。

 

「最近のお兄ちゃんの様子が変なのはあたしも分かってた。多分、少し前にお爺ちゃんから言われたメガシンカや継承者のことで悩んでいることがあるんだろうなって。……だけど。だけどまさか、あたし達に何も言わずに出て行こうとするなんて……!」

 

 だからこそ、あたしは一歩、また一歩と歩を進めながら少しずつお兄ちゃんとの距離を縮め、それでも決して彼のことを見つめる瞳だけは逸らすことなく言葉を続けた。

 

「どうして?どうしてお兄ちゃんはここを出て行こうとしているの?お爺ちゃんに怒られたから?それとも誰かに嫌なことを言われたから?それとも──」

 

 答えなんてとうの昔に分かっている。

それでもあたしは、大好きなお兄ちゃんにそんな酷いことをしていたなんて認めたくなくて。

自分という存在が知らず知らずの内に大切な人の心を酷く傷付けていたなんて思いたくなくて。

だからあたしは、自分の瞳から今にもこぼれ落ちそうな涙を必死に湛えながら、目の前のお兄ちゃんに……大好きなハマギクさんに向かって、とうとうこんな質問をぶつけてしまったんだ。

 

「あたしが……お兄ちゃんがなりたかった継承者のお仕事を盗っちゃったから?」

 

 そんな決定的な言葉が自身の喉を突いて飛び出した瞬間、あたしは双眸からはお兄ちゃんの夢を奪ってしまったことに対する罪悪感と、そんな盗人同然の自分に彼を引き留める資格なんてないという事実に対する悲しみに染まった涙が、まるで堰を切った水のように溢れだしてしまったのを感じた。

みっともないことはあたし自身が一番よく分かっている。

この涙がお兄ちゃんにとって何よりも迷惑なものだということだって重々承知の上だ。

でも、それでもあたしは──。

 

 どんな形でもいいから、大好きなお兄ちゃんとずっと一緒にいたかったんだ。

 

 すると、そんなあたしの涙を見たお兄ちゃんは何も言わずにあたしのことを優しく抱きしめてくれた。

だけど、それはあたしの涙に心を動かされた彼が出奔を取りやめてくれたからではない。

ただお兄ちゃんは、自分が去ることを心の底から惜しんでくれるあたしに最後の教えを享受するためにそのような行動を取ったんだ。

その言葉の一つ一つに、「もう二度と会うことはないだろうから」という別れの意味を込めながら。

 

 彼は言った。

「確かに俺は長年継承者の座に固執していた。しかし、それも既に過去の話だ。俺には本当に大切なものが見えていなかった。……見ようともしていなかった、と言う方が正しいのかもしれん。だからこそ、俺はそんな愚かな男に新たな気付きと希望を与えてくれたコルニには本当に感謝しているんだ」と。

また、彼はこうも言っていた。

「これは別れではない。俺達にとっての新たな旅立ちだ。お前は師範の後を継いで次代の継承者として行く道を。俺はそんなお前とは違う、俺だけの道を探す旅に出るための新たな門出なんだ。だからもう泣くなコルニ。お前は既に俺を超えた。あんなに小さかったお前が、兄弟子である俺を超えて一人前の武術家にして、一流のトレーナーになったんだ。俺はそれが何よりも嬉しい」と。

 

 そう言ってあたしの頭を優しく撫でてくれたお兄ちゃんは、最後に「達者で暮らせ、俺の可愛い妹弟子よ」という言葉を言い残すと、そのまま一度も後ろを振り返ることなくその場を去って行った。

少しずつ遠ざかっていく大好きなお兄ちゃんの背中。

そんな彼の姿を見ながら、あたしはただその場で立ち尽くし、掠れた声で「置いていかないで」と呟きながら泣き続けることしか出来なかった。

「一人前なんてなれてないよ……あたし、お兄ちゃんがいないと何も出来ないよ」と心の中で泣き叫びながら。




 でも号泣するコルニちゃんはやっぱり可愛いね。





 だから結ではもっともっと可愛くしてあげるね。

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