俺はお前とは違うんだよ、コルニ   作:スゲー=クモラセスキー

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 起承転結の承。
兄弟子相手の初勝利に喜ぶコルニちゃん可愛いね。




 あたしとお兄ちゃんがそれぞれ15歳と20歳の節目の歳を迎えたことをお祝いする夕食会の次の日。

この日、あたしは数年前からのルーティーンである毎朝のローラースケートの練習に趣くため、まだ夜が明けて間もない午前4時には愛用のスケート等の道具が入ったバッグを片手に家の外に出ていた。

だけど、幾ら練習熱心なあたしだって、毎朝こんなに早い時間に目を覚ましたり、まだ眠っている他の家族が起きないように注意しながら律儀に抜き足差し足で移動しているわけじゃない。

じゃあなんであたしが態々こんな朝早くに起きたのかというと、その理由はただ一つ。

 

 それは毎朝この時間に道場の掃除をしているお兄ちゃんに、彼の妹弟子であるこのあたしが家族の誰よりも早く朝の挨拶をするためだ。

当然、それ以外にも朝の静かな空気の中に一人佇むお兄ちゃんの姿を見たかったり、大好きな彼から「おはようコルニ。今日もローラースケートの練習か?気を付けてな」という優しい言葉を掛けて貰いたかったりといった理由も勿論あるんだけど、それらを含めてもやっぱり朝の挨拶が出来る関係というのはそれだけでも特別なものだからね。

朝起きは三文の徳とは昔の人もよく言ったもんだよ。

まぁ当のお兄ちゃんからは「朝の掃除は元々俺の仕事なのだから、別に無理して朝早く起きることもないんだぞ?」と言われちゃってるんだけど、それはそれ、これはこれってことで。

 

 そんなわけで、あたしは何時ものように道場とその周辺の掃除をしているであろうお兄ちゃんに朝一番の挨拶をするため、内心ルンルン気分で彼の元に向かっていた。

多分、この時なあたしは何時も以上に恋する乙女のような表情を浮かべていたに違いない。

何せあたしももう15歳だ。

女の子から女性に変わりつつあるこの年齢なれば、あの堅物で色んなことに疎いお兄ちゃんでも少しはあたしのことを意識してくれるはずだ──多分。

 

 そんなことを思いながら自宅から道場までの短い道を歩く最中、あたしは早起きの理由であるお兄ちゃんの背中を見つけることが出来た。

何時ものあたしなら、ここでお兄ちゃんの背中に飛びつきながら大好きな彼に「おはよう!」と声を掛けていたことだろう。

それがあたしにとっての日常だったし、それがあたしにとっての朝の始まりの合図だったから。

だから、この時のあたしは、今朝もお兄ちゃんからの「おはようコルニ」という優しい挨拶を期待しながら彼に声を掛けようとしたんだ。

 

 ──だけど、そんなあたしにとっての日常が、今朝に限ってはまるで異なるものになっていることに気付いたのは、普段のお兄ちゃんからは考えられないほと覚束ない足取りの彼の姿を見たからだった。

 

 まず最初に気付いたのは、そんなフラフラとした足取りのお兄ちゃんの背中から、一切の覇気というか生気そのものが抜け落ちたかのような虚無感が漂っていたことだろう。

これは何時ものお兄ちゃんからは考えられないほどの異常事態である。

というのも、お兄ちゃんは普段こそ顔には出すことは少ないものの、その胸の中には師匠であるお爺ちゃんに対する溢れんばかりの尊敬の念や、自身がこれまでに修めてきた多種多様な武術の練度に対する自負、そして彼がウチの道場の子供になってからずっと一緒にいるチャーレムへの深い愛情を持ったとても情に厚い人なんだ。

そんなお兄ちゃんがまるで魂が抜けたような格好で道場の外をふらついているなんて、長年彼のことを見続けてきたあたしはとても考えられなかったのである。

 

 しかし、お兄ちゃんの身に起こった異常事態はそれだけで留まるほど生易しいものではなかった。

何故なら、明らかに何時もと違うお兄ちゃんの背中に気圧されつつ、それでも何とか勇気を出して声を掛けたあたしの方へとゆっくりと顔を向けた彼の顔には、あたしが生まれて初めて見る表情が浮かんでいたのだから。

 

 ──そこにあったのは、散々泣き腫らしたのであろうことが窺えるほど真っ赤に彼の充血した双眸と、そこにあるはずの力強い光の代わりに無機質な光が宿った人形のような彼の無表情だけだった。

それだけじゃない。

この時のお兄ちゃんは、あたしの声なんかまるで聞いていないような……若しくはあたしの声を含めた何者の声も聞こえていないようなボーッとした態度で、ただ目の前にいるあたしの顔をじっと見つめていたんだ。

まるであたしじゃなく、あたしの中にある何か別のものを見つめるように。

 

 これはただごとではない。

そう思ったあたしは、未だに何の言葉も発してくれないお兄ちゃんに向かって思い付く限りの言葉を投げかけた。

恐らく、今のお兄ちゃんには何か深い悩みごとが……例えば、昨日の夕食会の後に彼がお爺ちゃんから呼び出されていたことに端を発した苦悩や悲しみがあったに違いないと考えたからだ。

だからこそ、あたしはそんなお兄ちゃんの苦悩や悲しみを分かち合いたくて──少しでも大好きな彼の役に立ちたくて、今の自分に出来る最大限のことをやろうと思ったんだ。

 

 でも、そんなあたしの善意からの行動が全ての誤りだった。

というのも、先のあたしが口にした慰めとも取れる言葉を聞いた瞬間、先程まで虚ろな光しか映していなかったお兄ちゃんの黒い瞳に、突如として強い感情を伴った光が宿ったからだ。

無論、それはお兄ちゃんがあたしに向けてくれる優しくて温かなものなんかじゃない。

この時の彼の瞳に宿っていたのは、目の前で知ったような口を利いてしまったあたしに対する怒りと憎しみ……そして、お兄ちゃんにはまだまだ敵わないと思っていたあたしに向けるには場違いなのではないかと思えるほどすさまじい嫉妬の念が籠もった昏い光だった。

 

 しかし、お兄ちゃんの瞳にそのような昏い光が宿ったのはほんの一瞬だけのことだった。

何故なら、彼の先の自身の行動を心底恥じるかのような表情を浮かべながら頭を振ると、次の瞬間にはあたしの知っている何時もの優しいお兄ちゃんに戻ってこう声を掛けてくれたからだ。

 

「……すまないコルニ。決してお前を怖がらせるつもりはなかった。ただ、今朝は自分でもどうにもならないほど心がささくれ立ってしまっていてな。その苛立ちを無意識にお前にぶつけてしまっていたようだ。本当にすまなかった。……だが、もう大丈夫だ。心を落ち着かせるために道場の掃除は俺がやっておくから、コルニも安心してローラースケートの練習に行ってきなさい」

 

 ──嘘だ。

努めて普段通りを装うお兄ちゃんの言葉を聞いた瞬間、あたしは直感的にそう思った。

今のお兄ちゃんはあたしに嘘を吐いている。

彼の心がささくれ立っていたことも、そのイライラをあたしにぶつけてしまったことも、そのことを心から申し訳なく思っていることも本当なのだろうけど、それでも彼が口にした「大丈夫」という言葉だけは明らかに嘘であることが、付き合いの長いあたしには手に取るように分かってしまったのだ。

 

 だって、昔からお兄ちゃんが「大丈夫」という言葉を使う時は、決まって大丈夫じゃない場合の方が多かったから。

 

 だけど、この時のあたしは敢えてそのことをお兄ちゃんに指摘するようなことはしなかった。

……いや、この場合は単純に出来なかったと言った方がより正確なんだろうね。

だからあたしは、そんなお兄ちゃんの「大丈夫」という言葉に安心したようなふりをしてその場を離れることしか出来なかったんだ。

そうしないと、彼があたしの前からいなくなってしまうような気がして。

 

 ──その日の夜のことだった。

珍しくお爺ちゃんの部屋に呼び出されたあたしは、そこで何時も以上に難しい……というより、寧ろ苦しそうな表情を浮かべた彼から絞り出すような声でこう言われた。

 

「コルニよ。明日の朝、ワシ立会の元でお前とハマギクとの模擬戦を行う。普段の鍛錬に終わりにしているような手合わせとは違う、本気の模擬戦をな」

 

 この時に感じたどうしようもないほどの違和感に声を上げてさえいれば、もしかしたらあたしとお兄ちゃんの未来は変わっていたのかもしれない。

それが今のあたしにとって、最大の心残りだ。

 

 その後、何の心の準備も出来ないまま迎えたお兄ちゃんとの模擬戦当日。

未だ状況が掴めないあたしとルカリオの二人を迎えてくれたのは、道場の壇上であたし達のことを何時もの難しい表情を浮かべながら静かに見つめてくるお爺ちゃんと、相棒のチャーレムと一緒に座禅を組みながら模擬戦前の精神統一を図るお兄ちゃんの姿だった。

それだけでも今日の模擬戦は普段のそれとは明らかに違うことは確かだったのだけど、それ以上にあたしとルカリオの心をざわつかせていたのは、お兄ちゃんとチャーレムのコンビが発するあまりにもちぐはぐな雰囲気だった。

上手く言葉に出来ないんだけど、何というか……あの時の二人からは見ているものは同じでも、そこに見出しているものが全く噛み合っていないような、そんな歪な雰囲気を感じたんだ。

 

 それこそ、お互いのことを心の底から信用はしていても、心の何処かではお互いのことを完全には信頼し切れていない──そんな歪な雰囲気が。

 

 だけど、そんなあたしの懸念を余所に、模擬戦の時間は刻一刻と迫って来ていた。

カチカチと容赦なく進む時計の秒針。

それに応じて段々とピリついていく道場内の空気。

そうして何とか平常心を保ちながら試合前の準備を進めていたあたしとルカリオに向かって、先程まで続けていた座禅の構えを解いたお兄ちゃんは、その黒い瞳に何時もとは違う覚悟の色を秘めた光を宿しながらこう言った。

 

「コルニ、そしてルカリオよ。今の俺からお前達に言えることは一つだけだ。──全力で来い。今のお前達の持てる力を全て出し切り、その上で今日こそ俺とチャーレムの壁を越えて見せろ」

 

 そう言って静かにあたしとルカリオの瞳を見つめてくるお兄ちゃんとチャーレム。

しかし、その瞳の中には普段の二人から感じられる慈愛や親愛といった温かな感情は微塵もない。

そこにあるのは冷徹なまでにあたし達を見極めようとする戦士の瞳。

それも、少しでも手を抜くようなことがあれば瞬く間に道場の床に沈めてやると言わんばかりの苛烈さを秘めた覚悟の瞳である。

 

 だからこそ、あたしもそんなお兄ちゃんとチャーレムの見せた覚悟に報いるため、何よりも二人という明確な壁を越えるという自分なりの決意を見せるために、あたしもまた、彼らに向かって力強い言葉でこう言った。

 

「勿論!今日こそはあたしとルカリオのコンビネーションで、お兄ちゃんとチャーレムを超えてみせるよ!」

 

 そんなあたし達の言葉を聞いたお兄ちゃんの顔に一瞬だけ昏い影が差したのと、お爺ちゃんの「始め」の声で模擬戦の火蓋が切って落とされたのは、それから間もなくのことだった。

 

 そうして遂に始まったあたしとルカリオ対お兄ちゃんとチャーレムの模擬戦。

最初に攻撃を仕掛けてきたのは、普段の模擬戦では必ずと言っていいほど待ちの姿勢を貫きながらあたし達の動きを見極めることが殆どのお兄ちゃんとチャーレムのコンビだった。

その激しさと来たらまるで荒れ狂う海のように情け容赦がなく、それは試合開始と同時に彼らが仕掛けてきたノーモーションの飛び膝蹴り一つを取っても明らかだと思う。

どうやら今日のお兄ちゃん達にはあたしやルカリオに対する配慮や手加減といったものは皆無なようだ。

 

 しかし、例えそれが分かっていたとしても、二人の猛攻を凌ぐのは並大抵のことではなかった。

何せ相手はあたし達よりも5年も長く武術を修め、更にはその道の最高峰の一人であるお爺ちゃんから直々に指導を受け続けて来た努力の人達だ。

特にお兄ちゃんとチャーレムとが編み出したエスパータイプの技と格闘タイプの力とを絶妙なバランスで掛け合わせた踊るような戦闘スタイルは、二人の弟子であるあたしとルカリオの目から見てもかなり見極めるのが困難なレベルで完成されていたのだから堪ったものじゃない。

これほど強力かつ斬新な戦闘スタイルを20歳という若さで確立してしまうなんて……やっぱり、あたしが好きになったお兄ちゃんとそのパートナーであるチャーレムは改めてすごい人達だと確信したよ。

 

 でも、だからこそあたしは負けられなかった。

負けたくなかった。

 

 確かに、相手はあたしやルカリオよりも遙かに強く、経験豊富で、なおかつ誰よりも研鑽を積んできた努力の天才達だ。

だけど、それはあたしとルカリオだって同じこと。

鍛錬に要した時間は決して埋められないけど、それでも尊敬するお兄ちゃん達に追い付きたくて……二人から一人前だと認めて貰いたくて必死に頑張ってきた日々に嘘や偽りは微塵もないと断言することが出来る。

それに、お兄ちゃんはそんなあたし達を指して「今日こそ自分達を超えてみろ」という、これ以上のないほどの激励の言葉を掛けてくれたんだ。

 

 ──だったら、そんな師匠の期待に応えためにも、今のあたしに出来ることは全力で目の前の相手を倒すこと。

それが8年という長い時間を掛けてあたし達を鍛え続けてくれたお兄ちゃん達に報いる唯一の方法だと思うから。

 

 そんな思いを胸に秘めながら、未だ止む気配を見せるどころかますます激しくなる一方のお兄ちゃんとチャーレムの猛攻にルカリオと共に耐え続けること数分。

既に限界をとうに超える数の攻撃に晒され、段々とチャーレムの放つサイコキネシスやインファイトといった強力な技までもがルカリオにヒットし始めた頃、とうとうチャーレムの放ったほのおのパンチが、あたしの一番の友達である彼の腹部に深々と突き刺さった。

瞬間、まるで糸の切れた人形のように膝から崩れ落ちるルカリオ。

誇り高い彼が苦悶の表情を浮かべながらその場から動けずにいる……それだけで、彼の体が限界を迎えているのは誰の目にも明らかだった。

 

 そうして未だ動けずにいるルカリオの姿を気遣わしげに見つめた後、お兄ちゃんの指示を受けたチャーレムがとどめのほのおのパンチを彼に放とうとしたその時。

あたしは、目の前でもがき苦しみながらも懸命に立ち上がろうとする一番の友達の背中に向かって、無意識の内にこんな言葉を投げかけていた。

 

「負けないでルカリオッ!」

 

 ──その瞬間、あたしとルカリオの「「負けたくない」」という思いが、奇跡を生み出した。

何の前触れもなく発生した激しい光。

体の底からどんどんと湧き上がってくる不思議な力。

そんな未知の感覚があたしとルカリオの心を繋ぎ、彼の体が普段それからは大きくかけ離れた姿に変えたことを認識した時、あたしはここではじめて悟った。

 

 これがお爺ちゃんの言っていた真に心を通わせたポケモンとトレーナーのみが手に入れることが出来る新たな進化の可能性──メガシンカなのだと。

そして、だからこそあたしは気付くことが出来なかったんだ。

 

 そんな奇跡のメガシンカを成し遂げたあたしとメガルカリオの姿を見つめるお兄ちゃんが、何か大切なものを諦めたような力ない笑みを浮かべていたことを。

 

 そしてあたしは──お兄ちゃんとの模擬戦に初めて勝利したのだった。




 だけどその勝利が大好きな兄弟子の心をへし折ったことを知ったら、君はどう思うのかな?

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