師範の教えとは違う道を歩き始めたハマギク。
そんな彼が迎える結末とは?
俺が尊敬する師範の元から巣立ち、妹弟子であるコルニの涙に後ろ髪を引かれながらも故郷であるシャラシティを離れてから早くも10ヶ月ほどの時間が過ぎた。
その間に、俺は20年来の相棒であるチャーレムと一緒に様々な地方の様々な武術を教える道場やジムを見て回っていた。
カントーはヤマブキシティの空手王道場、ジョウトはシジマ氏がジムリーダーを務めるタンバジム、ホウエンはトウキくんのムロポケモン&ウェーブジム、そしてシンオウは若き格闘家スモモさんが切り盛りするトバリジム……。
その誰もが武術と格闘ポケモンの未来を拓かんと努力する素晴らしい人達であり、そんな彼ら、彼女らの元で活躍するポケモン達もまた実に力強い表情を浮かべていたことを今でもよく覚えている。
そして、そんな道場行脚の最中に、俺は相棒のチャーレムとも改めて深く話をすることが出来た。
その際に気付いたのは、俺は他の誰よりも理解しているつもりでいた彼女のことを、実際は他の誰よりも理解出来ていなかったということだろう。
例えば、彼女はポケモンバトルそのものより、バトルに関する様々な作戦やシチュエーションを考えることの方が好きなこと。
例えば、彼女は勝負の勝ち負けよりもなぜ自分は負けたのか、どうすれば勝てたのかを考えることの方が好きなこと。
例えば、彼女は俺と一緒に修行している時間より、俺と共に何気ない穏やかな時間を過ごすことの方が好きなこと……。
それ以外にもこの10ヶ月でチャーレムのことについて知らなかったこと、知っていたつもりでいたことが多々あったが、そうして彼女と改めて腹を割って話をしたことで分かったことが一つあるとすれば──。
俺は師範から教わった「常にポケモンと心を通わせる努力を怠るな」という教えの本当の意味を表面上でしか理解出来ていなかったということだ。
これでは、真に心の通ったポケモンとトレーナー同士のみにこそ成し遂げられる奇跡のメガシンカの力を、俺のような相棒の思いをまともに汲み取ることに出来なかったトレーナーが得ることなど到底無理だったのも納得というものである。
だが、そのような反省を得た今だからこそ、俺はチャーレムのことをより深く知ることが出来た。
何故それをこの20年間の間に出来なかったのかという後悔こそあるが、今更そのような過去の己の愚かさを悔やんでも仕方がない。
だからこそ、俺はこうして改めて心を紡ぐことが出来たチャーレムと共に未来へと進む。
その先で俺達がメガシンカの極致に辿り着けるかどうかは分からないが、それでも、師範から託されたキーストーンとチャーレムの持つメガストーンの輝きに応えるためにも、俺はこの人生の限りを尽くして前に進み続けなければならないのだ。
それがつい最近、先代のジムリーダーから席を譲られる形でシャラシティのジムリーダーに就任した、かつての妹弟子であるコルニの頑張りに報いる道だと信じながら。
因みに、先のコルニがシャラジムのジムリーダーに就任したことについての情報は、彼女から送られてきた手紙にその詳細が書いてあった。
確かに俺は生まれ故郷のシャラシティを離れて旅を続けてこそいるものの、師範やコルニをはじめとした家族との縁を切ったわけではないので、こうして時折手紙を出し合ってはお互いの近況を報告し合っているのだ。
当初こそ彼女からの手紙には自分を置いていった俺に対する恨み言が熟々と書かれていたこともあったが、今では師範から受け継いだ継承者として責務以外にもジムリーダーという大役を担うという新しいことに挑戦している辺り、あの子もあの子なりに前に進んでいるということなのだろう。
それを考えれば、未だ自分の道探しという具体性に欠けた旅を続けている自分などよりも遙か先を行く妹弟子に置いて行かれぬよう、俺自身も日々気持ちが引き締まる思いである。
そうしてトバリジムの元ジムリーダーであるスモモさんの実父が師範の名前を聞いた途端に震え上がり、これまでの怠惰な生活を改めて現ジムリーダーである娘のサポートに回ることを約束するのを見届けた後、俺とチャーレムの二人は、次なる旅の目的地にガラル地方はラテラルシティを選ぶことにした。
というのも、この地には若き日の師範も流派の立ち上げに協力したとされるガラル空手の総本山があり、加えてその武術の創始者の血筋が代々ジムリーダーの任に就くことで有名なラテラルジムがあるとの話を聞いていたからだ。
かつては師範とも肩を並べるほどの実力者が興したとされるガラル空手。
その神髄を彼の地で味わうことが出来ることを考えるだけで、俺の心は少年のように高鳴っていたのだった。
──しかし、そんな期待に胸を膨らませながらラテラルシティを訪れはいいものの、そこにあったのは何とも覇気に欠けたラテラルジムとそこで鍛錬する門下生達の姿だった。
これは一体どうしたことかと同ジムの若き師範代に話を聞くと、彼は以下のことを掻い摘まんで説明してくれた。
何でも、ここラテラルジムでは過去に多くのガラル空手の名選手を輩出してきたが、最近はより近代的な設備と優秀なコーチ陣を揃えたライバルジムにお株を奪われ続けており、結果門下生もそちらのジムに流れていくばかりか、年に一度のガラル地方最大の武道大会でも好成績を残せずにいることで、数少ない門下生達のやる気も上がりきれずにいるのだという。
成る程、そういう事情があるのであればこのジムの寂れ具合も納得である。
ただ、俺の先の説明をしてくれた師範代は「このジムの問題はそれだけではない」という溜息混じりの言葉に続けてこう語った。
彼が言うには、このラテラルジムの次期ジムリーダー候補にして、ガラル空手の開祖の血を引く自分の娘がかなり深刻なスランプに陥っており、最近は師範代にして父でもある自分の指示も聞かずにかなり無茶な特訓ばかりをしているというのだ。
それも、今年15歳になったばかり一人娘が、自分の体のことを一切顧みることなく……。
そう言ってもう一度深い溜息を吐いた師範代は、最後に誰に聞かせるでもない小さな声でこう言った。
「何かきっかけがあれば……若しくはガラル空手以外の武術から何かを学ぶことが出来れば、サイトウとあの子のカイリキーはもう一皮剥けた素晴らしい武術家になると思うのだが」
そんな師範代の話を聞き、彼に教えて貰ったサイトウさんの修行場なる場所に足を運んでみた俺とチャーレムは、そこで自身の相棒であるカイリキーと静かに対峙する一人の少女の姿があった。
その目付きは一流の武術家のそれを感じされるほどの迫力に満ちており、丹念に鍛え上げられた四肢から放たれる必殺の突きや蹴りなどは、並の武術家ならば一瞬で意識を失いかねないほどの威力を秘めているのがよく分かる。
しかし、そのような一撃必殺の矛を持っているにも関わらず、当の彼女の動きはまだまだ荒削りな上に精彩を欠いてるばかりか、僅かに利き足と思われる右足を庇うような不自然な動きまで見せる始末だ。
恐らくは師範代の言っていた無茶な特訓を続けていたせいで利き足を痛めてしまったのだろうが、当の彼女はそんな痛みすらも押し殺して、ただがむしゃらにスランプというの名の殻を打ち破ろうとしているかのようだった。
そうして一通りの鍛錬を終えたサイトウさんが、右足の痛みに耐えるかのような苦悶の表情を浮かべながらその場に座りこんだのを見てから、俺は彼女に声を掛けることにした。
本来なら、目の前の少女が右足を痛めていることを察した時点で無理矢理にでも彼女の鍛錬を止めるべきだったのだろう。
そうでなくとも、一応は武術家の端くれである俺が「痛みを堪えてまで続ける鍛錬になど百害あって一利なし」と彼女に説くべきだったのは間違いない。
それがまだ体も完全に出来上がっていない15歳の少女ならばなおさらだ。
しかし、俺は敢えてそうしようとはしなかった。
決して彼女の身の安全を軽んじたからではない。
だが、若さというものは真に耳を傾けるべき先達の言葉にすらも反発したくなるほど荒々しく、それでいて自分の選択が正しいと思い込みたくなるほど不安定な自我の中でもがき苦しみながら、己という存在を確立させる大切な時期でもあるのだ。
それが分かっていたからこそ、俺は頭ごなしに彼女や彼女の鍛錬方法を否定するのではなく、一拍の間を置いて彼女の話を聞くことにしたのである。
それが若さからくる万能感に溺れかけた自分を掬いだし、厳しくも優しく導き続けてくれた師範の教えだったから。
そんな師範からの教えをなぞりながら、俺は疲れ切った様子で座り込むサイトウさんに穏やかに話しかけた。
すると、最初こそ見知らぬ男のことを胡乱げな目で見ていた彼女も、俺が世界中を旅しながら様々な武術を学んでいる武術家だということ話すと、世間話の延長で少しずつ最近の自分の身に降りかかったスランプの詳細を話してくれるようになった。
彼女は言った。
「師範代の……父の指導が間違っているとは私も思ってはいません。しかし、長年彼の指導を受けてきた私は、ここ最近の大会で思うような結果が出せずにいます。それが父の指導に問題があるからなのか、それとも単純に私の力不足が原因なのか、それは私にも分かりません」と。
また、彼女はこうも言っていた。
「そんな自分の疑問を解消するため、私は父の元を離れて一人で鍛錬するようになりました。これで私自身の実力が上がるのならばそれでよいと思っていましたし、逆の場合でも父の指導が間違っていなかったことの証明になりますから。……ですが、彼の元を離れてからも私の実力が上がることはなく、かといってその原因を父に相談しようにも中々解決の糸口が掴めないばかりか、意見の相違からお互いに苛立ちだけが募っていくばかりで……。そして、そんな苛立ちからくる焦燥感から無茶な鍛錬を重ねてはいらぬ生傷を作り、挙げ句の果てには大会1ヶ月前のこの大事な時期に利き足を痛めるという愚さえも犯す始末。全くもって情けない。これでは、祖父や父の後を継いでガラル空手を世に広めることなど、夢のまた夢に終わってしまうことでしょう」と。
そう言って自嘲気味に笑うサイトウさんの姿を見た俺は、そこに次代の継承者の座という夢に囚われて大事なことを見失っていた過去の自分を無意識に重ねていた。
師範に認められたいがために彼の教えを上辺だけで理解したつもりになり、チャーレムという最高の相棒のことを知ったつもりで未来の継承者候補を自称していたあの頃の時分の姿を。
だからこそ、俺は目の前で落ち込むサイトウさんにこんな提案をすることにした。
「今の自分の進むべき道が分からないというのなら、一度その水先案内人を俺に任せてみないか」と。
そして、「今の君に必要なものは、誰よりも厳しい鍛錬でも痛みを押し殺す我慢強さでもない。別の角度から今の自分を俯瞰する冷静さだ。それを理解し、本来の自分が進むべき道を見付けることが出来れば、君は間違いなく今よりも強くなれる」と。
師範から教わった教えに、俺自身が体験してきた経験を交えた言葉で。
そんな俺からの突然の提案に、サイトウさんと彼女のパートナーであるカイリキーの二人はお互いに顔を見合わせながら戸惑うような表情を浮かべていた。
しかし、次の瞬間にはその表情を覚悟を決めた戦士のそれに変えると、二人は俺とチャーレムに向かって深々と頭を下げながらこう言ったのだ。
「よろしくお願いしますハマギクさん──いえ、師匠ッ!」と。
それからの1ヶ月間、次期ラテラルジムリーダー候補筆頭であるサイトウさん──もといサイトウを弟子に迎えた俺とチャーレムは、彼女が見失った自分だけの道を再度見つけ出すための水先案内人として、彼女とそのパートナーであるカイリキーのコンビを鍛えることになった。
といっても、俺達がしたことは決して特別なものではない。
何故なら、俺達はただ自分の進むべき道が分からすに立ち止まってしまっていた彼女に手を伸ばし、改めて今の自分の立ち位置を見直すための手助けをしていただけに過ぎないのだから。
勿論、その手助けの中には俺やチャーレムからの指導や模擬戦も含まれてはいるのだが、それも決して体に無理をさせるものではなく、様々な武術の動きを取り入れたストレッチや、逸る気持ちを抑えるための精神統一といった乱れ気味だった彼女のメンタル部分を整えることに多くの時間を割くことにしたのだ。
幸い、そんな俺の考えを正しく汲み取ってくれたサイトウのメンタルは劇的に回復し、それに併せて無理な鍛錬のせいで痛めていた右足の治療も問題なく進めることが出来た。
また、メンタルが安定したことであれだけ荒々しかったサイトウの動きにもキレが戻り、更には先のストレッチの動きから体の構造を完璧に理解し、その上で筋肉の動きから対峙する相手の二手、三手先を読む先読み能力すらも会得してしまったのだ。
まさに生まれもった天賦の才。
俺の元妹弟子であるコルニもそうだが、やはり天才という奴はいるところにはいるものである。
そうして迎えたガラル地方最大の空手大会当日。
ここ1ヶ月で心身共に万全な状態になったサイトウはノーシードの立場でありながら破竹の勢いでトーナメントを勝ち進むと、並み居る強豪を押しのけ、遂には無敗どころか1Pも失わない完全優勝を成し遂げた。
これは彼女の父親である師範代が打ち立てたものから数えて20年ぶりとなる大記録である。
そんな快挙を成し遂げ、大勢の報道陣の前で「この勝利を尊敬する父に捧げたいと」と言いながら満面の笑みを見せる愛娘の姿を見守る彼の目には、一目でそれと分かるほど大粒の涙が浮かんでた。
そして、そんな二人の姿を観客席から見詰めていた俺にも漸く自分の進むべき道の先が見えた。
それは師範から教わった武術と、そこに込められた様々な教えを世界中の悩める若者達に伝える道。
師範の教えと俺の経験とを掛け合わせ、そこから導き出した自分なりの答えを若人達への助言として伝える伝道者としての道だ。
無論、まだまだ未熟な俺が誰かに偉そうなことを言えるほど立派な人間ではないことは重々承知しているが──。
「師匠ーッ!これからも何卒ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いしますッ!」
それでも、こうして誰かを正しい道に教え導くことが出来た経験は、これからも続く俺の長い人生の中でも大きな財産になるだろうと確信している。
これにてオリ主視点の話は完結。
なお、コルニちゃん視点はプロットを組みながら濃厚な曇らせ描写を書いていきたいので、続きは暫しお待ちを。