俺はお前とは違うんだよ、コルニ   作:スゲー=クモラセスキー

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 起承転結の転。
泣いているコルニちゃん、可愛いね。




 俺が師範の代役として彼の孫であるコルニを鍛え始めてから既に8年。

その間に、俺はこの20年間で師範から学んできた全ての武術の技術と、ポケモンバトルに関するありとあらゆる知識を彼女に教え込んでいた。

そこに妥協の文字はなく、俺はコルニの兄弟子として、また彼女の兄代わりとして、師範から託されたこの可愛い妹弟子を一人前の武術家兼ポケモントレーナーとして徹底的に鍛えてきたつもりだ。

例えその結果、俺がコルニという若き天才に超えられることがあったとしても。

 

 そして今日、コルニとそのパートナーポケモンであるルカリオのコンビは、長年彼女達の壁として立ちはだかって来た俺とチャーレムを超えた。

それもただ単純に俺達を超えただけではない。

コルニとルカリオは、俺が彼女達に指導し始めた8年前から欠かさず行なってきた模擬戦にはじめて勝利する形で、おれとチャーレムの壁を乗り超えていったのだ。

それも、俺達には出来なかったメガシンカを、他ならぬ今代の継承者たる師範の目の前で成功させながら。

 

「やっ……たーッ!やったよルカリオッ!!あたし達、遂にお兄ちゃんとお兄ちゃんのチャーレムのコンビに勝てたよォッ!!!」

 

 そんな歓喜の声を上げ、パートナーであるルカリオと笑顔で抱き合いながら模擬戦に勝った喜びを爆発させる彼女達の姿を見つめていた俺の心は──自分でも驚くほど凪いでいた。

負けたことに悔しさを感じていないわけではない。

可愛がっていた妹弟子がとうとう自分という壁を乗り越えて行ってしまったことに一抹の寂しさを感じていたことも確かだろう。

だが、そういった感情以上に、この時の俺は漸く自分の中で女々しいほどに燻り続けていた継承者への未練を断ち切ることが出来たことにある種の清々しさを感じていたのだ。

 

 その清々しさをどのような言葉で表現したらよいのかは俺にも分からない。

視野狭窄気味に継承者の座に固執していた過去の自分とやっと別れを告げることが出来たことに対する安堵か?

はたまた、師範から託されたコルニが、彼の願いどおりに兄弟子である自分を超えて一人前の武術家兼ポケモントレーナーとして大成したことに対する感銘か?

きっとそのどちらもが先の清々しさの中に多分に含まれていたのだろうが、それらよりも先に俺の心に去来したものがあるとすれば──。

 

 師範からいただいた言葉の中にあった「自分の為すべき道」の意味が朧げながらも分かってきたこと──自分の目の前に道が開いた瞬間を垣間見たことに対する感動と見て間違いないだろう。

 

 だからこそ、俺は20年来の相棒であるチャーレムと共に、自分達の目の前で初勝利に喜ぶコルニとルカリオのコンビのことを心から祝福した。

師範という偉大な祖父から受け継いだ素晴らしい才能に胡座をかくことなく、ただ只管に、そして懸命にその才能を磨き続けてきた彼女の努力を。

そして、俺やチャーレムには出来なかった奇跡のメガシンカを、キーストーンやメガストーンといった道具に頼ることなく、純粋な自分達の力のみで成功させた彼女達の絆の強さを。

俺をその両方を祝福し、そしてそこにほんの少しの羨望の感情を上乗せしながら、最後にコルニとルカリオの二人にこのような言葉を贈った。

 

「おめでとうコルニ、ルカリオ。お前達は俺の予想を遙かに超えた奇跡を成し遂げ、その上で俺とチャーレムを超えた。素晴らしいことだ。そんなお前達に贈る言葉はただ一つ。──よくやったな。もう俺からお前達に教えることは何もない。これからはお前達の思う、お前達だけの道を行け」

 

 そんな俺からの免許皆伝にも似た言葉を聞いたコルニは、ほんの一瞬だけ自分が何を言われたのか分からないといったような表情を浮かべた。

或いは、この言葉の裏に隠された俺の真意を図りかねたからこそ、そのような表情を浮かべたのかも知れない。

しかし、そういった諸々の感情を飲み込んだ上で彼女はパートナーのルカリオと共に俺とチャーレムに向かって頭を下げ、その可愛らしい顔にはち切れんばかりの笑みを浮かべながらこう答えてくれた。

「こちらこそ、お兄ちゃんとチャーレムにはこれまで本当にお世話になりました!そして、これからもどうかよろしくお願いします!」と。

 

 そんな可愛い妹弟子からの心からの感謝の言葉と、道場の後ろから悲痛な面持ちでこちらを見詰めてくる師範の眼差しに対し、俺はただ曖昧な笑みを浮かべることでしか応えることが出来なかった。

 

 その日の夜、自室でチャーレムに手伝って貰いながら荷物をまとめ、慣れ親しんだ部屋の清掃を終えた俺は、そのまま彼女を連れ立って師範の部屋を訪れることにした。

そんな俺達の姿を見た師範もまた、何も言わずに俺達のことを出迎え、普段なら俺が淹れるはずの茶すらも出して今日の模擬戦での俺達の健闘振りを称えてくれた。

恐らく、この時点で彼も薄々感づいていたのだろう。

俺とチャーレムがこんな夜更けに師範の元を訪れた本当の意味を。

 

 そうして暫しの談笑の後に訪れる数瞬の沈黙。

決して苦痛ではないこの静かな空気を破ったのは、チャーレムと共に師範の前で手を付きながら発した俺のこんな言葉だった。

 

「師範──いえ、義父殿。今日までの20年間、貴方にはかけがえのない沢山のものを与えていただきました。実の家族に捨てられ、孤児だった俺に温かい家と食事、更にはこのチャーレムという素晴らしい仲間とコルニの兄弟子という重要なお役目、何よりも武術というこれからの俺の人生の支えとなるもの全てを与えてくださいましたこと、心より感謝しております。そして今日、貴方の血を色濃く継いだコルニが、貴方の後を継いで次代の継承者を名乗るに相応しい一人前の武術家兼トレーナーとなりました。そんな彼女に後を託し、俺も漸く見えてきた自分の道を行くときが来たと確信しております。つきましては、この場で貴方の元を離れる許可をいただきたく存じます」

 

 そんな俺の別れの言葉を聞いた時、師範はただ「そうか」とだけ呟いた。

その時の師範がどのような表情を浮かべていたのかについては、彼の前で顔を伏せていた俺には分からない。

自他共に厳しい性格が表れた険しいものだったかもしれないし、時折見せる好々爺然とした穏やかな笑みだったのかもしれない。

ただ少なくとも、先程の優しげな声音は、大恩ある師範の元を離れる俺のことを非難するような感情は一切含まれていなかったことだけは確かだった。

 

 それから数秒とも数時間とも思える濃厚な時間が流れること暫し。

師範からの「顔を上げなさい」との言葉を受けた俺とチャーレムの二人が顔を上げると、そこには自分の愛用品であるキーストーンが嵌め込まれた籠手をこちらに差し出す師範の姿があった。

予想だにしない彼の行動に硬直し、思わず言葉すらも失う俺とチャーレム。

そんな俺達に向かって師範はにこりと笑いかけると、その深い皺が刻まれた眦に一粒の涙を浮かべながらこう言った。

 

「ワシは言った。『お前にはポケモンと心を通わせる才が絶望的に欠けている』と。しかし、それは何もお前がポケモンのことをぞんざいに扱っているという意味ではない。寧ろそれとは逆に、お主はポケモンをポケモンとして扱い過ぎていたのじゃ。自分と共に戦い、成長してきた頼れる相棒と認識しながらも、心の底では自分とは異なる生き物であり、いざという時には自分が率先して守るべき庇護の対象じゃとな。トレーナーとして見るのならばそれも決して間違った考えとはワシも思わん。じゃが、真に心を通わせた者同士でしか発現しないメガシンカの神秘を授けるには──継承者として大成するには、そのような考えでは足らぬのじゃ。……しかし、だからこそワシはこの籠手をお前に預けたいと思っておる。お前が先のワシの言葉の意味を理解し、真にチャーレムと心を通わせることで、その子と共に奇跡のメガシンカを成し遂げる日が必ず来ると信じておるからだ。そう信じておるからこそ、今のお前達に贈るべきは別れの言葉ではない──今日までよく頑張ったなハマギク、チャーレム。お前達の道の先に輝かしい未来があることを祈っておるぞ。そして……達者で暮らせ、我が子達よ」

 

 そう言って師範が涙ながらに俺とチャーレムの体を優しく抱きしめてくれた瞬間。

俺とチャーレムもまた、師範と同じように涙を流しながら、20年もの長きに渡って俺達を育ててくれた偉大な父の体を強く強く抱き返したのだった。

 

 ──そして今、俺はかつて赤ん坊だった頃の自分が捨て置かれていた道場の正門前に立っている。

暫くの野外生活には困らない程度の荷物は持った。

コルニや、彼女の両親に宛てた感謝の手紙も既に師範に託してきた。

それ以外で俺がすべきこと、それはただ静かにこの場を去ることのみである。

 

 血の繋がりこそないとはいえ、それでも孤児だった俺のことを実の息子や弟のように扱ってくれた家族の元を離れるのは確かに寂しい。

しかし、だからといって何時までもそんな家族の優しさに甘えていていいはずもない。

彼らには彼らの、俺には俺の進むべき道があるのだ。

だからこそ、今は漸く見えてきた自分だけの道を行くという俺自身の決断を大切にしていきたい。

 

 ただ一つ気がかりなことがあるとすれば、こんな俺のことを兄と慕ってくれていたコルニについてのことくらいだが……。

まぁ俺などよりもよほど社交的で友人も多い彼女のことだ。

最初の数日は兎も角、1週間もすれば俺のいない環境にもすぐに慣れてくれることだろう。

そうでなくとも、最早俺から彼女に教えられることなど何もないのだから。

 

「20年間、本当にお世話になりました。どうか皆さん、お元気で」

 

 そんな想いを胸に秘めつつ、俺が最後にもう一度道場に向けて深く深く頭を下げた後、そのまま踵を返してその場を去ろうとした──その時である。

 

「待ってッ!お兄ちゃんッ!!」

 

 可愛らしいリオルのイラストがプリントされたパジャマと、これまたキュートなリオルの足を模したサンダルを身に付けたコルニが、俺の前に現れたのは。

そして、そんなコルニの登場に思わず足を止めてしまった俺に向かって、彼女は懸命に息を整えながら自身がここに来た理由を端的に説明してくれた。

何でも、模擬戦後の俺の様子にただならぬものを感じて中々寝付けずにいたところ、偶然大きなバックを担いで外に出ようとする俺の姿を見付けたことで、居ても立ってもいられず、そのまま追い掛けて来たということだ。

……この場合、可愛い妹弟子が兄弟子である自分を追い掛けて来てくれたことを素直に喜べばいいのか、若しくはうら若き乙女がこんな夜更けに外を出歩くものじゃないと叱ればよいのかの判断に困るところが悩ましいものである。

 

 そんなことを考えている俺のことを睨み付けるように凝視しながらコルニはこう言った。

 

「最近のお兄ちゃんの様子が変なのはあたしも分かってた。多分、少し前にお爺ちゃんから言われたメガシンカや継承者のことで悩んでいることがあるんだろうなって。……だけど。だけどまさか、あたし達に何も言わずに出て行こうとするなんて……」

 

 そして一歩、また一歩と歩を進め、少しずつ俺と距離を縮めながらも決してその視線だけは逸らすことなく、彼女は続けてこう言った。

 

「どうして?どうしてお兄ちゃんはここを出て行こうとしているの?お爺ちゃんに怒られたから?それとも誰かに嫌なことを言われたから?それとも──」

 

 そうしてとうとう俺の目の前までやって来た彼女は、その大きな瞳に今にもこぼれ落ちそうな量の涙を湛え、それでも何とかそれらが流れ落ちるの我慢しながら俺にこう尋ねた。

 

「あたしがお兄ちゃんのなりたかった継承者の役目を盗っちゃったから?」

 

 そう言って遂に我慢の限界を迎えた彼女の双眸から涙がこぼれ落ちると同時に、俺は彼女の華奢な体を出来るだけ優しく抱き寄せた。

まるで泣き虫だった3歳の彼女をあやしていたあの頃のように。

昔と比べて随分と大きくなった彼女との思い出を振り返るように。

そして俺の胸の中で「行かないで」と愚図る彼女に言い聞かせるように、俺はただ無言で可愛い妹弟子のこと抱きしめ続けた。

 

 そうして最後にコルニと二、三言葉を交わした後、俺は離れ行く兄弟子の背中に「置いていかないで」という言葉を投げかけながら子供のように泣きじゃくる彼女に後ろ髪を引かれつつ──俺は我が故郷シャラシティに別れを告げたのだった。




 だから彼女視点ではもっと泣かせるね。

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