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起
俺の名はハマギク。
両親はいない。
何でも、生まれて間もない頃にここシャラシティに唯一存在する格闘道場の正門前に、まるで捨て犬か何かのような感じで放置されていたとのことだ。
そんな捨て子の俺を不憫に思った義父殿……もとい師範代の情けで今日まで生き延びることが出来たが、そんな彼の助けがなければ俺は間違いなくあのまま朽ち果てていたことを思うと、今でも如何に自分が幸運だったのかを自覚する思いである。
そんなわけで師範代の養子になった俺は、ご多分に漏れず物心が付く頃には既に師範の指導を受けながら日夜道場で汗を流し、己の心技体を鍛える日々を送っていた。
当時のことは自分でもよく覚えていないのだが、師範曰く、「気が付いたらお前はワシの真似をして体を動かしておったぞ」とのことだ。
その言葉を信じるのなら、どうやら俺は武芸者を志すためにこの世界に生まれてきたようである。
自分を捨てた実の両親には今更何の感慨も湧かないが、唯一赤ん坊の俺をこの道場の前に捨ててくれたことだけは感謝してよいのかもしれない。
そういう事情で幼少期のほぼ全てを師範の扱うありとあらゆる武術の取得と研鑽にあててきた俺にも、その苦労と楽しみを分かち合える素晴らしい仲間がいた。
その者の名はアサナン。
俺とほぼ同時期に道場近くの茂みに捨てられていたポケモンの卵から孵った彼女とは心優しい師範の庇護の元で同じ時間を過ごし、その間に互いの種や性別を超えた固い友情の絆を育んできた。
今でこそアサナンからチャーレムへ進化し、その姿形が以前のそれとは大きく変わった彼女ではあるが、それでも、この十数年の間に俺と彼女が築いた強固な友情の絆は、これからも一切変わることないだろうと確信している。
そんな俺とチャーレムの目下の目標は二つ。
一つ目は最愛の義父であり尊敬する武術の師匠でもある師範から免許皆伝の名誉を賜ること。
そして二つ目は、既に老齢の域に達しつつある師範が担うポケモンと人間との間に生まれる強固な絆が生み出す全く新しい進化の可能性──通称「メガシンカ」を後生に伝える継承者の役目を任されることである。
その役目の重要さ、そして責任の重さを計り知れないが、それでも俺は、大恩ある師範の苦労を少しでも軽減し、彼が紡いできた武術の素晴らしさと伝統の奥深さを後生の若者達に伝えること──それが俺という人間に与えられた使命だと信じて疑わなかったのである。
しかし、今代の継承者を目標にしてきた当時5歳の俺に転機が訪れたのは、義父である師範の娘さん夫婦の元に待望の女の子が生まれたことと見て間違いないだろう。
コルニと名付けられた彼女はふわふわの金髪と溌剌とした性格がよく現れた青い瞳が特徴的な女の子で、血の繋がらない俺のことを「お兄ちゃん」と呼び慕ってくれるとても人懐っこい性格の子でもあった。
その上、彼女には祖父である師範譲りの確かな武術の才能があり、その大きさたるや5歳時点で同年齢時の俺のそれを遙かに凌駕するほど。
そんな将来有望な妹同然の女の子が出来た当時の俺は、孤児だった自分にもはじめて妹が出来た喜びと、そんな彼女に向けられる師範の期待に満ちた視線にほんの少しの嫉妬の念を感じていたことは今でもよく覚えている。
そうして俺が12歳、コルニが7歳の年齢になった頃のこと。
師範から多くの武術の技と知識を受け継いでいた俺は、彼からの命を受け、その年からコルニの指導役を勤めるようになった。
その理由は老齢でありながら未だ世界中に多くの弟子を持つ師範にはほぼ毎日のように出張指導の依頼が舞い込んで来るためで、それに対応するにはどうしてもコルニへの指導に時間を割けない日が多くなることが予想されていたからだ。
そういった事情があったことや、コルニ自身が俺によく懐いてくれていたこともあって、師範は俺に自身の孫娘にして武術家の卵である彼女の指導役という大役を任せてくれたのである。
そんな尊敬する師匠からはじめて大きな仕事を任された俺はとても誇らしかった。
普段から師範にはそれなりに期待されている自負こそあったものの、それでもその期待を仕事という形で還元して貰えたことに、俺はとても大きな喜びを感じていたのだ。
まるで物静かな義父から、言外に「お前もこれで一人前だ」と認めて貰えたような気がして。
それからというもの、俺は師範からの期待に応えるべく、自身の持つ全ての技術と知識を総動員してコルニの指導に当たった。
元から武術の才能に恵まれ、それでいて物覚えまでよかった彼女は俺から学んだありとあらゆるものを瞬く間に吸収していき、それは彼女と共に育ったリオルの進化形であるルカリオもまた同様であった。
そんな教え甲斐のあるコルニとルカリオのコンビをチャーレムと共に指導するのは俺としても大変な刺激であったことは間違いないのだが、その分、日に日に彼女達に教えることがなくなっていく事実に兄弟子としての喜びと若干の寂しさを感じていたのは否定出来ない。
まだ俺も子供を持つような年齢ではないのだが、それでもきっと、親が子の親離れを自覚する際に感じる気持ちというのはまさに今の俺の心境のことをいうのだろう。
ただ、そんな俺からの指導を他ならぬコルニ自身が楽しんで受けてくれていたのは幸いである。
それどころか彼女は暇さえあれば俺の指導を希望してくれる勤勉さを見せてくれるばかりか、それでいて昔と同じような人懐っこさで武術以外には殆どものを知らぬ俺に最近の流行を教えてくれる出来た妹弟子でもあったのだ。
おかげでファッションにはとんと疎かった俺も少しはまともな格好で外を出歩けるようになったので、その点に置いても彼女の存在は俺にとってもかなり大きな存在になっていったのは間違いない。
尤も、それは好いた惚れたといった浮ついたものではなく、不出来な兄弟子をよく支えてくれる器量よしな妹弟子という意味ではあるのだが。
だからこそ、この頃の俺はこう思っていた。
いつかはコルニも俺どころか師範すらも超えた素晴らしい武術家になる日が来るのだろうが、それまでは俺も全力で彼女と彼女のパートナーであるルカリオのことを見守り育てていこうと。
その結果、昔からの俺の目標である継承者にコルニが選ばれたら、その時は素直に彼女のことを心から祝福してやろうと。
この頃の俺は本気でそう思っていたのだ。
俺が20歳、コルニが15歳の年齢にあったことを祝う夕食会のあと、俺が真剣な表情を浮かべた師範から「折り入ってお前に伝えねばならないことがある」との言葉を貰うまでは。
その日の夜、師範から彼の自室に呼び出された俺は何時になく緊張していた。
何せあの厳格で寡黙な師範が俺個人を指して折り入って伝えたいことがあるとまで言ったのだ。
俺が20歳という節目の年齢を迎えたことから考えても、師範のいう伝えたいことの内容というのは十中八九彼の次に継承者の任を担うことになる者のこととみて間違いない。
それが分かっていたからこそ、俺は期待半分不安半分という相反する感情が同居する心持ちのまま、先程から目を瞑って考え込んでいる師範の次の言葉を今か今かと待ちわびていたのである。
それから数分とも数時間とも思えるほど長い長い沈黙の一時が俺と師範との間に流れること暫し。
固く閉じられていた師範の目が開き、そこに宿った鋭い光が俺の両目を捉えた瞬間、彼は付き合いの長い俺ですら予想だにしていなかった衝撃的な言葉を口にした。
「次代の継承者には、才に欠けるお前ではなく、コルニを指名する」と。
師範がコルニを次代の継承者に選んだ。
それ自体は決して予想出来ない選択というわけではなかった。
実際、彼女の持つ武術の技量は既に俺に勝るとも劣らない域まで高められており、ポケモンバトルの腕前に至っては最早俺が何時負けてもおかしくないレベルで研ぎ澄まされていたからだ。
だからこそ、そんなコルニの将来性に期待した師範が彼女を自身の後継者に選んだこと自体は何ら不思議なことではないと十分に納得出来ていたのである。
しかし、そんな俺でも師範が口にした「才に欠ける」という言葉だけはどうしても看過することが出来なかった。
コルニが俺よりも武術やポケモンバトルの才に優れていることは疑いようのない事実であることは確かだ。
そのことを否定するつもりは毛頭ない。
だが、それでも俺は、これまでの経験やチャーレムと共に乗り越えてきた数多の試練の質の高さから見ても、俺が武術やポケモンバトルの才に欠けているとはとても思えなかったのだ。
すると、まるで納得し切れていない俺の様子を見た師範は、先の発言の中にあった「才に欠ける」という言葉の意味を努めて感情を表に出さないように注意しているかのような声音でこう説明してくれた。
その内容はこうだ。
「武術やポケモンバトルについてのものではない。お前にはメガシンカに必要なポケモンと心を通わせる才能が絶望的に欠けているのだ」と。
瞬間、俺はまるで大きな金槌で頭を強かに殴りつけられたかのような衝撃を受けた。
同時に、腹のそこからマグマのように湧き上がってくるような強い怒りの感情も。
それはそうだろう。
何故なら俺は、他ならぬ師範本人から「常にポケモンと心を通わせられるように努力せよ。さすれば、メガシンカへの道は自ずと開かれる」という教えを20年もの長きに渡って受け続けて来たのだから。
だからこそ、俺は今にもあふれ出しそうな怒りの感情を必死に押し込みながら師範に向かってこう願った。
「俺は長年に渡って貴方から多くのことを学んできた。その中には勿論ポケモンと心を通わせる方法も含まれているつもりだ」と。
「そんな俺やチャーレムが本当にメガシンカの力を得るに値しないというのなら、せめてその試験だけでも受けさせて欲しい」と。
「もしもそれで俺にメガシンカに関する才能がまるでないことが分かったのなら、その時は潔く貴方の決定を受け入れる」と。
そんな俺の口から漏れ出た嘆願の言葉を聞いた師範は、それ以上は何も言わずに自身の右手に装着していた籠手を外すと、それを静かに俺の目の前に差し出してきた。
昔、彼がパートナーのルカリオをメガルカリオにメガシンカさせるために用いていた奇跡の宝玉こと「キーストーン」が取り付けられた彼の愛用品である。
恐らくはこれと、俺が幼少期に偶然見付けたチャーレム専用の「メガストーン」とを使って、彼女をメガチャーレムにメガシンカさせてみろということなのだろう。
昔から「習うより慣れろ」がモットーだった師範らしい答えである。
こうして思わぬ形でメガシンカを行使するのに必要なキーストーンを手にした俺の心はかつてないほどに高ぶっていた。
何故なら、これがあれば俺もチャーレムをメガシンカさせることが出来るという喜びがあったのは勿論だが、幼少期から憧れていた師範の持つ不思議な籠手が、今は俺の右手で勇ましい光を放っていることに、俺はどうしようもないほどの高揚感を感じていたのだ。
それこそ、まるで昔コルニと一緒に見た特撮ドラマに出てくるスーパーヒーローにでもなったかのように。
そうして師範以外は誰もいない道場の真ん中でチャーレムとアイコンタクトを取った俺は、月光の光を浴びて鈍い輝きを放つ右手の籠手を高らかに掲げながら彼女と共にこう叫んだ。
「これが俺達のメガシンカだ」と。
しかし、そんな俺のあらん限りの叫びとは裏腹に、チャーレムの姿がメガチャーレムのそれに変わることはなかった。
それどころか、俺の右手の籠手に嵌められたキーストーンは勿論、彼女の首からネックレスのように下げられたメガストーンもまた、先の俺の叫びに対して何の反応も示すことはなかったのだ。
まるで、「お前にその資格はない」とでもいうように。
当然、そのようなあまりにも理不尽な結果を受け入れられなかった俺はその後も諦めずにチャーレムのメガシンカを試みた。
籠手を装着した右手を掲げた回数は数知れず、メガシンカと叫ぶために酷使した舌先から血の味を感じるようになってもなお、俺は自分がメガシンカに──師範の後を継ぐに足る次代の継承者に相応しい男だと信じて疑わなかったのである。
──だが、ダメだった。
夜が明け、外が白み、右手と喉の両方が使い物にならないほどの時間を掛けても、俺は一度もチャーレムをメガシンカさせることが出来なかった。
体中の水分が汗となって道場の床に滴り落ちてしまったのかと錯覚するほど体を酷使しても、肝心のチャーレム本人が自身のメガシンカを諦めていたのを知っていてもなお諦めずに体中の力を振り絞っても、それでも俺は彼女をメガチャーレムにメガシンカさせることが出来なかったのだ。
そして、そのような耐えがたい、受け入れがたい現実を前にしたことで俺は漸く自覚した──自覚してしまった。
「俺には次代の継承者になるための才能も資格もない」
そんなあまりにも残酷な現実を叩き付けられた俺は、尊敬する師範の前で──今日まで俺のことを実の息子のように愛してくれた義父の前で、はじめて慟哭の涙を流したのだった。
オリ主視点の起承転結で4話、コルニちゃん視点の起承転結の4話の計8話で完結の予定です。