私は普通自動車免許は港区の
三田にある三田自動車練習所
で取得した。山手線田町駅か
らすぐのところ。山手線の線
路ぞいにあった教習所だ。
芸能人たちはほぼすべてここ
で免許を取っていた。私の時
も80年代一番可愛かっただろ
う声の小さい爆発人気の女性
歌手が来ていた。教習者たち
は別段騒ぎはしなかった。そ
れは都民の常識行動。街中や
建物内で芸能人を見かけても
詰め寄ってサインを求めたり
はしない。芸能人などうじゃ
うじゃ普通に歩いているから
だ。また、彼らのプライベー
トを侵す事は都民はしない。
三田の教習所が芸能人御用達
だったのは、最都心部で一番
駅近の公認教習所だったから
だろう。芸能人たちは三田か
目黒での免許取得が多かった。
自動二輪の免許も四輪普通免
許も私は一時限も落ちた事は
無い。
だが多くの人がそうなので、
それは当たり前の事だろう。
バイクも車も。
一発で合格困難なのは自動二
輪の限定枠解除の一発試験
だった。これは壮絶な試験
として実施されていた。不合
格にさせるための試験。
集合時に態度が警察官と同じ
でなくば不合格。返事が小さ
いと即不合格。白いジェット
ヘルメットと黒いブーツでな
いと不合格。試験官=警官の
意に沿わないと即不合格。
自動二輪の限定解除は5回、10
回受験は当たり前だったのが
1975年10月以来の社会的事実
だった。それでも首都圏はま
だよかったが、広島県などは
全国一厳しい(というより
無茶苦茶)試験だったそうだ。
広島県の旧限定解除者による
と、数十回受験などの実例も
聞く。私と同じ齢の年代で。
乗り方見ると上手いのになぜ?
と思うが、かつての一発試験
の合否は技術や法規遵守が実
質的な審査基準にあるのでは
ない。それを広島県警察は確
実に実行していたのだろう。
なんせ、特定衣服を国民が着
用したら市条例違反で犯罪者
とするというような都市が県
庁所在地であるのが広島県だ。
日本国憲法も無視する全国的
に特殊な県。(「市民の力」
によって最高裁合憲判決まで
引き出している。その判決
自体が違憲性が強い。広島の
排除意識と行動は法律をも
凌駕する。つまり法などは関
係ない)
あまりに自動二輪限定解除試
験が厳しいので、首都圏に移
住して試験に臨んだ人も知っ
ている。広島は国家公安委員
会の方針を忠実に県警が実行
していた県だったのだろう。
1980年代当時、大阪、千葉は
意外と甘いという噂もあった
が真実はよく知らない。とに
かく東京、神奈川、埼玉は厳
しかった。
態度と着装については、新人
警察官と同じものが求められ
た。直立、敬礼、みたいなも
の。
現代の警察の市民への態度と
はまるで異なる。まるで戦時
中の軍隊のような事が社会で
実行されていたのが事実だっ
た。後方確認の角度も決めら
れた角度でないと即不合格で
検定中止。返事や仕草も警官
と同じでないと即不合格。
そんなもん。
一番重要な事は試験が遵法
行動の審査ではなく、警察官
の心象によって✖か〇が即決
められたのが特徴的だった。
私が普通車免許教習を受けた
教習所は、現在は消滅した。
通っていた頃から「よくこん
な都心部で教習所のような広
い敷地を維持できるなぁ」と
は思っていたが、やはりやが
ては消滅した。慶應義塾の三
田キャンパスの近くだった。
慶應女子の高校生も多く公認
三田自動車練習所に通ってい
た。高校3年で自動車免許を
取得するためだろう。慶應女
子の制服のまま教習所に来て
いた。慶應女子は慶應義塾大
の向かいにある。不思議な現
象としてめちゃくちゃかわい
い子だらけ。あれは日本の謎。
偏差値77で全国4800高校の中
で学力全国10位以内を過去も
現在もキープしている高校だ。
三田自動車練習所は消滅したが、
私が16才で初めて自動二輪を取
得した線路沿いの教習所は、現
在は「屋内コース」も備わって
いるようだ。三田も所在地域が
珍しかったが、ここもまた施設
が珍しい。
教習所というものは、広大な
土地が必要なので、都会であ
ればあるほど維持費が大変だ
ろうなぁと思う。
それと公的機関である免許セ
ンターの試験場も。そちらは
税金で維持だろうが。
鮫洲、府中、二俣川、鴻巣、
大宮の二ツ宮(廃止)等々。
三田で教習を受けた人たちは
警視庁鮫洲運転試験場で試験
を受ける。都内23区の違反者
たちも免停講習は鮫洲に行く。
免許更新も鮫洲。
鮫洲試験場はメシが美味い。
これは大昔からそうだったが
今も美味しいらしい。
別に港区女子でなくとも、都
内23区在住者は一発試験や学
科試験、違反者講習は鮫洲。
都民おなじみの場所。
現在は楽に自動二輪大型免許
が教習所で取れるので便利だ。
広島県三原市内には大型二輪
の公認教習所が存在しなかっ
たが、ごく最近、ことしの春
から三原市内にも大型二輪が
取得できる教習所が登場した。
7月末までの入校だと料金が
40%オフという特典まであっ
た。
予約殺到になったのではなか
ろうか。
予約さえ取れれば、実技講習
は普通二輪を持っていれば
最短1週間で大型二輪免許は
取得できるようだ。
1975年~1995年の限定解除時
代からは隔世の感がある。
ただ、免許制度は今は簡易に
なったが、罰則規定が限定解
除時代より最悪のシステムに
なっている。免許取得初年度
に3点以上の違反をしたら、
ほぼ免許取り消しの道しか無
い制度に変更されている。
ソーッと秘密裏に。
教習所卒ではない一発試験で
免許を取得した者はまず初年
度違反でほぼ取り消しの道し
か進めないようなシステム。
警察国家が得意の飴と鞭の政
策だろう。
免許取り消しの恐ろしさは、
他の種目の運転免許も全て
同時に消滅する事だ。
そうなると、欠格期間を待っ
て運転免許証を再取得するし
かない。
二輪などは、大型二輪はかつ
ての限定解除時代よりも取得
自体は考えられない程に簡単
になったが、その裏にある罰
則規定は、これまた考えられ
ないほど厳しい中身に変更さ
れるようになっている。
警察はただ免許取得を簡単に
変更などはしない。裏で必ず
カタキを取るような事は常套
手段だ。現行免許制度は実は
とんでもなく厳しいものが存
在させられている。
理由は「事故が最近増えてい
る」という言。
この言も得意で、大昔から
警察は必ず言う。「最近事故
が増えている」と。
何年何月のいつと比較してと
かは関係ない。大昔からの
常套句だ。「最近事故が増え
ているから」というのが。
大昔から増え続けているのか
というとそんなことは無い。
科学的根拠の無い事=存在し
ない事を口にして取締強化を
善行であるかのように偽装す
るのが警察の手口だ。
必ず言う。「最近事故が増え
てますのでお気をつけくださ
い。安全運転でお願いします」
と。
「ご安全に」という完璧に間
違った日本語を警察が使わな
いのだけが救いだ。
(退職警官では日本語に疎く、
「ご安全に」と声掛けする
日本語を知らない元公僕も
結構いる)
現代においては、免許証は一
発試験ではなく、教習所に行
くのが賢明だ。
それは罰則システムが巧妙に
変更されているからだ。
一発試験場試験通過者には
教習所卒業者よりも実質的
に厳しい免許取り消しのルー
トへ導く構造になっている
からだ。初年度3点の軽微な
違反によって免許取り消し、
というような。
国民の知らないところで、世
の中はどんどん変えられてい
る。
ソーシャルナビゲーションの
ように社会的にアンテナを張
っていないと、国民は思わぬ
自分の意思とは異なる構造の
中に絡めとられる。
一番恐ろしいのが、国会審議
など一切通さずに法案を通過
させて成立してしまう動きだ。
これは実は岸田内閣はばんば
んやっている。安倍ちゃんで
さえやらなかったような事を。
そして、内閣府とは関係のな
いところで、警察関連法案
はどんどこ警察の思うように
法律改訂や新法成立をさせ
ている。
こうした動きは1980年代には
存在しなかった。
国民の国家監視がきちんと機
能していた時代だったからだ。
今は国民の目さえもザル。
どんどん世の中は危険な状態
に向かっている。
二輪免許についていえば、か
つては試験担当警察官が上か
らの意向で横暴な態度と試験
結果を出していた(違法性大
いにあり)だけだが、現代は
あたりは柔らかくなったもの
の、その実裏ではきっちりと
首を合法的に掻くような制度
を完備させているのである。
国民に大々的に知らせる事な
く巧妙に。
時代は確実に閉塞と完全画一
的国民管理と型はめ社会に
移行している。
その免許の歴史的動向一つか
らも、現代は「戦後」ではな
く「戦前」であり、国家権力
が準備態勢を整えていること
が看取できるのである。
そしてまた、モータースポー
ツやモーターリゼーションに
関与するマスメディアは、現
代においてはジャーナリズム
を消滅させているので、一切
社会的な問題に焦点を合わせ
て報道する事は停止している。
翼賛準備態勢に沿うような姿
勢しか四輪二輪関連報道者は
取らない。ジャーナリズムそ
のものが不存在の時代に既に
入っているからだ。
この不気味な総体の動きに対
して危機感を抱く国民も、か
つてと逆転して少数派になっ
た。
「準備」は着々と進んでいる。
なお、戦前戦時中に日本の侵
略戦争を大讃美して国民を煽
っていたのは「朝日新聞」で
ある。
戦後は一切反省も総括も説明
もせずに、社名さえそのまま
で、今度は民主主義の旗手で
あるかのような顔をし始めた。
そういうのが朝日新聞。
乗り換え変わり身早く、ある
意味、現代報道業界の姿を
先取りしている。