(国立大はいま 法人化20年)「教育不熱心」から、健全な姿に 携わった元文科官僚・杉野剛氏が記録本

 2004年度の国立大学法人化の絵を描いた元文部科学官僚が、当時の様子を詳細に記した記録本を発刊した。政府や国立大などの動きのほか、政治家や学長らへのインタビューも掲載。現在は日本学術振興会理事長を務める執筆者の杉野剛氏に、発刊に込めた思いなどを聞いた。

 ■課題だった「研究一辺倒」 交付金減、危機感あった

 ――法人化から20年の今年、「国立大学法人の誕生」(ジアース教育新社)を発刊した動機は。

 国立大学法人について定める法律は、03年に成立した。私は文科省の担当室長だったが、成立直後、遠山敦子文科相(当時)から「後世の研究のため、国立大学法人誕生の経緯をきちんと書き残すように」と指示されていた。

 この本では(1)法人化は帝国大学発足以来の「100年越しの宿題」だったこと(2)国立大学法人は大学人が自ら勝ち取ったこと(3)法人化前の国立大には色々と問題があると、当時の学長らが考えていたこと――などを紹介した。法人化の功罪や今後の方向性が議論される際に、参考になればと思う。

 ――法人化前の国立大が抱えていた問題とは。

 学長らが指摘したのは、(1)社会と直接向き合おうとしない(2)教員の意識が研究に傾き、教育に不熱心(3)大学としての構想力が欠けている(4)国家公務員制度の下で教員人事が硬直的――といった点だ。多くの学長は、自大学の年間予算額さえ正確に把握しておらず、ガバナンスが欠如していた。

 ――「教育に不熱心」とは。

 日本の学校教育の国際的な評価は昔から高かった。だが、大学教育だけは批判されていた。

 駐日米国大使を務めたエドウィン・ライシャワー氏は「大学での貧弱な講義とわずかな勉強のために、4年間が無駄になっているのは、信じがたいほどの時間の浪費だ」と批判した。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を書いた米国の社会学者エズラ・ボーゲル氏でさえも「大学教育だけはダメだ」と嘆いた。

 日本では、大学教育への社会や企業の関心が薄く、入試や偏差値だけで大学が論じられる時代が続いた。大学も教育に力が入らず、教員は研究に注力した。その結果、日本の研究力は飛躍的に向上できた。だが、大学としては世界の常識とかけ離れた、いびつな姿だった。

 ――法人化で、そうした問題は改善されたのか。

 総じてガバナンス面は劇的に改善された。今では学長以下の役員は、自大学の実態を詳細に把握している。将来構想もしっかり議論し、実行している。

 教育や病院サービスも、大きく改善されつつある。研究、教育、診療、社会貢献のバランスが見直され、欧米並みの健全な大学の姿に近づいてきたと評価できる。

 ――法人化後の運営費交付金の減額は予想していたのか。

 国の財政状況からみて、危機感は持っていた。経済界からも「法人化は国立大学改革の基盤づくりにすぎない。国費の充当を欠けば、全て絵に描いた餅となる」と声が上がっていた。

 それでも法人化の翌年度から削減が始まり、多くの国立大が苦境に立たされてしまった。その結果、法人化自体を否定するような、一部の風潮が生まれたのは残念だ。

 ――法人化で研究力が低下したとの指摘もある。

 中国などの台頭もあり、研究力を示す国別指標で順位を下げたのは事実で、要因はしっかり分析すべきだ。だが、法人化前のような研究一辺倒の大学では結局は行き詰まってしまう。

 幸いにも、海外の学術関係者と接する限り、日本の研究力や研究風土への信頼は揺らいでいない。しかも近年、国際卓越研究大学制度や、地域中核・特色ある研究大学強化促進事業など、国による支援が格段に強化されつつある。こうした仕組みを大学が上手に活用し、研究力向上につなげてほしい。

 国立大の誕生から、まもなく約150年を迎える。これからは法人化によって構築した基盤を存分に生かし、新たな飛躍の150年へと歩み始めてほしいと願っている。(聞き手・増谷文生、山本知佳)

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 すぎの・つよし 1962年生まれ。84年に文部省(現文部科学省)入省。大学改革推進室長などとして、国立大の法人化問題を担当。その後、研究振興局長などを歴任し、2022年から日本学術振興会理事長。

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