秋田市茶町にあった龍角散の支店のアカウントです。龍角散は、江戸末期に久保田(秋田市)と大曲に薬店を開いた。明治維新を経て、個人経営としては久保田を本店とし、1871年に東京神田、1873年に大曲に支店を置きました。
少しづつ投稿再開しますね。六郷東根地区の藤井姓と龍角散とは何か関係あるのですか?という声もあるようですので、簡単に1つだけ。すでにご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、龍角散の関係者で、現在の美郷町六郷東根地区で米を栽培しているのは春霞酒造店の栗林様のようです。正確には親戚ではなく、遠縁にあたるのだと推測されます。過去の投稿にもありますが、藤井家は現在の茨城県から来た武士の一族です。お間違えのないよう。ネット上の不確かな情報にはくれぐれもお気をつけください!龍角散と関係あるんだよ!という家の方は何か証明出来るものをご提示くださいね。#茨城県 #秋田県 #美郷町 #六郷東根 #龍角散のルーツ
いつの間にか美郷町の龍角散になっていますが、龍角散と関わりが深いのは秋田県秋田市や大仙市の大曲もです。秋田市や大曲は、皆さんも良く通るような場所が龍角散のゆかりの地となります。あとは佐竹といえば東京の下町。
まずは今出来ることを。秋田市では、龍角散は〜と言われている 横手市では〜 大曲では〜茨城県では〜東京千代田区では〜台東区では〜美郷町や仙北市の一部の方々はそこでストップだ!
ここはどう使うかはまだ未定です。ただ遅かったようですね。当家は、現在の美郷町六郷東根の「代々医者の家と呼ばれた家の出身者である」という明確な根拠はありません。藤井家は武士で秋田市に来た方、水戸に残った部隊がいたんですね。どういう経緯で県南に来たかは分かっておりません。
Log in to see more from fujiiyakuho.