かつて日本最大の炭田を誇った筑豊は、多くの人々の記憶に残る場所であり、その歴史はしばしば郷愁をもって語られます。特に、戦後の荒廃と復活を描いたベストセラー小説の舞台としても知られており、主人公はこの地域から青春を駆け抜けました。1970年代半ばにはすべての炭鉱が閉山しましたが、いくつかの遺構は今でもその姿を残しています。特に飯塚市にある「筑豊富士」と呼ばれるボタ山は、その美しさから人々の注目を集め、高さ100メートル以上のその姿は一見して人工物とは思えないものです。
この地で「飯塚は面白い」と話すのは、画像AI技術を得意とするベンチャー企業、fumeの代表である鵜狩慧久氏です。鵜狩氏は九州工業大学情報工学部で学びながら個人事業主として活動しており、2019年には「mindPump for Travel」というアプリでグランプリを受賞しました。このアプリは、関連する単語が次々と表示されるマインドマップのようなユーザーインタフェースを持ち、旅行のアイデアを次々と膨らませていけるものです。その後もソフトウェア開発に取り組み、2023年には株式会社fumeを設立しました。
飯塚市は、かつて主要産業であった石炭鉱業の衰退後、急速な人口減少と経済の停滞に直面しました。しかし、産業の再興を目指して1966年に近畿大学産業理工学部を誘致し、1986年には九州工業大学情報工学部のキャンパスを設置しました。このキャンパスは、日本で初の情報系総合学部として知られ、多くの学生が高い技術を学ぶ場として機能しています。1992年には、福岡県立飯塚研究開発センターや福岡ソフトウェアセンターが設置され、地域に高度なIT人材が供給される環境が整いました。
さらに、2002年には携帯電話向けコンテンツ産業が発展し、九大で学ぶ学生たちがその中心的な役割を果たしました。例えば、ケイ・ラボラトリー(現KLab)の九州飯塚ラボで働きながら「コロニーな生活」を開発した馬場功淳氏などがその一例です。このゲームは大ヒット作となり、数百万人が楽しむものとなりました。
2012年には、九工大の学園祭「工大祭」と連動してスマートフォンを対象としたアプリコンテストが開催されました。このコンテストでは好成績を収めた学生が、e-ZUKAトライバレーセンターのオフィスを無償で利用でき、研究開発に専念できる環境が整えられています。鵜狩氏もその恩恵を受け、fumeの成長を遂げました。
飯塚市は「アジアのシリコンバレー」を目指し、地域独自の取り組みを続けています。今年からは高校生以上の一般の部に加え、小学生や中学生の部が新設されることとなりました。そして、コロナ禍で中断していた工大祭との一体開催も再開される予定です。九工大と連携しながら、地方の特色を生かした新たな技術革新を目指す飯塚市。その取り組みは、今後一層の発展が期待されます。