Colaboの政治活動についての雑考
2022年12月26日
Colaboの政治活動に対するスタンスをどう評価するかと問われたので、本稿を書いた。
弁護団資料からわかる政治活動の主体
辺野古基地建設の反対運動等、政治活動の主体が代表者個人ではなく、Colaboという法人組織であることは明言されている。
たしかに辺野古や韓国での活動を以て都の委託事業の要綱で不適格と定められている「政治活動を主な目的として行っている団体」に抵触していることにはならないため、その部分においてのみその主張は妥当である。
当該政治活動の問題
しかしこのような政治活動を公益事業を受託する組織が行うことについては、大きな問題がある。
例として2019年に「合宿」で行われた辺野古基地反対運動について言及する。まず、以下の点に留意が必要である。
参加者はColaboの保護下にある困窮した若年女性である。
参加者は当時10代で未成年である。(今と違って18歳以上でも未成年)
辺野古での「座り込み」は実際に逮捕者も出ている、道路交通法違反、公務執行妨害等の不法行為が伴う活動である。
機動隊からの強制排除を受ける際、暴力を想起させられる可能性が極めて大である。
① 参加意思の形成経緯の問題
困窮した若年女性(未成年)を保護している優越的な立場による、「自分たちの奉ずる信条に基づいた政治活動を伴う合宿の参加募集」であるので、一定の強制力を有している。
極めて弱い立場である困窮した若年女性(未成年)からすると、強い意志がなければこの要請を拒絶できず、「自発的に参加を申し出る」ことが想定される。
また、男女問わず未成年者は十分な意思決定能力を保持していないと見なされる。(例:民法において「制限行為能力者」とされる等)
従ってその参加募集には一定の強制力がある上に、相手が十分な意思決定能力のない未成年であることも加味すると、政治活動が伴う合宿を企画して参加を募ること自体が不適切である。
② 活動の正当性の問題
公務で預かっている若年女性(未成年)を「座り込み」という不法行為に従事させることは不適切を通り越して異常である。
ましてや、有形無形の暴力にさらされて困窮した立場に追いやられた若年女性(未成年)に対して、暴力を想起させる強制排除を受けさせるというのは、もはや虐待であるとさえ思う。
本人が希望したとしても止めさせるのが当然であり、その活動により肉体的・心理的圧迫を受けることを予見していながら代表者自らが「座り込み」への参加を募るのは言語道断である。
暇空茜氏が『Colaboが長期保護を行っているのは若年活動家女性』と推定していることを誹謗中傷の一つとしてColaboは挙げているが、当然ながら暇空茜氏の指摘は本件政治活動も念頭に置いているはずである。
「困窮した若年女性(未成年)に対してこのようなひどいことをするはずがないので、きっとそもそもが内輪の活動家であるに違いない」という想像がそう突飛であるとは思えない。
Colaboの主張に基づくと「公務で保護した困窮中の若年女性(未成年)を不法行為の伴う政治活動に指嗾している」だけで活動家を保護しているわけではないということのようだが、どちらにしても社会的には不適切と見なされる行為なので、誹謗中傷による名誉棄損は成立しえないと感じるのだが、どうだろうか。
本件は3年前の話だとはいえ、一事が万事であると思う。
③ 支持者・支持団体の問題
Colaboの活動や経理面に疎漏な面があることは明らかである。
しかしColaboの活動は支持するが、ここは支持できないので改めるべきであるというメッセージを発している支持者・支持団体を私は見たことがない。
本件は業界としての自浄作用を問われていることについて、自覚を持つべきではないだろうか。
参考
まとめ
以上より、公選法の問題は別にして、適正な範囲で行う政治活動はColaboが自己判断で行えばいいと思う。
しかしそれに被保護者(特に未成年)を用いるのは、仮に本人からの同意があったとしても全面的に取りやめるべきではないだろうか。
何もこれは政治活動に限った話ではないので、Colaboと被保護者との間にはいわゆる権威勾配が存在していることを、今後の活動においてよく意識していただければと思う。
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