渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

Kawasaki 750SS(H2) vs BMW R75 筑波でバトル!!

2024年07月29日 | open

Kawasaki 750SS(H2) vs BMW R75 筑波でバトル!!


ロードレースは面白いなぁ。
2ストの後藤武さん速い。
今回マッハ750でベルレイ・
レーシングとして出場。
しかし、ラスト間近に46レー
シングのポールポジション
BMW中嶋さんに抜かれてし
まった。
決勝レース中はトップ3台は
9秒台で周回。これは旧コー
スの7秒台に相当する。凡そ
80年代初期のレーサーノー
ビス125よりもやや遅い位の
タイム。ノービス250では予
選3秒台、決勝1秒台程が80年
代初期頃の標準。

決勝1位から3位まで。






「マッハ後藤」さんは「2ストの
後藤さん」とも呼ばれる。
歴史的金字塔である「2ストロー
クマガジン」編集長だった二輪
界のオーソリティーだ。
かつて雑誌発刊中に私に後藤氏
から直に連絡があった。
私の車両見解所見を誌面で使わ
せてほしい、との連絡だった。
私は快諾した。
私は2ストマガジンの愛読者だ
ったが、編集長から連絡があっ
た事は驚いた。
バリ伝アドバイザーのオサ坊
から連絡があったり、バリ伝
そのものを描いていたチーフ
アシから連絡あったり(かなり
懇意になった)、ヤマハXSR700
開発総責任者から私の存在から
開発に大きなヒントを何度も得
たとの連絡があったり(かなり
懇意になったどころか、ご本人
は康宏刀発注者になり刀剣会
メンバーにまでなった)等々
の新たな出会いがあった頃だ。

このようなレースは楽しいだろ
うなぁ。
まるで1970年代に私が属した
レーシングチームがハニービー
の人たちと開催していたような
レース。三井晃さんや三原嗣厚
さんや野口さんたちとやってい
たようなレース。まだ忠男さん
とこはロードやり始めで、ロー
ドレースの名門となる前の頃。
後年ばんばんワークスライダー
とか世界チャンピオンまで排出
するチームになるとは思っても
みなかった頃。忠男さんとこは
メカニックの人たちが最高の
人材が揃っていた。乗り屋も
筋がよい人たちが集まって、
めき
めきとチームの実力が関東
だけでなく全国レベルでトップ
クラスに
発展した。西のモリワ
キ、東のSP忠男というように。
1970年代~80年代初期には

ちのチームとも
同じヤマハ系
として忠男さんとことも人的
交流も
深かった。
劇画『ケンタウロスの伝説』
の「ツルミサーキット」で
の草
レースの主催者として、
もろにう
ちのチームオーナー
が出て来て
いたし(ベトナム脱
走兵アーサー
を米軍MPから逃
がすシーンで
の采配等)、劇画
の中でのレース
そのものは私
もよく知る70年代
の筑波での
仲間内主催の草レー
スがモデル
だろう。チームオーナーは後
年バブル崩壊後に不祥事を起
こして行方不明になったが。
チームのモータープール倉庫
には、なぜか幻のヤマハの
2気筒50ccワークスレーサー
が保管されていた。世界で
2台しか作られなかったとい
う伝説の2スト2気筒ワークス
マシン。私は高校時代、よく
それを磨いていた。
筑波での草レースの際に50限定
車種問わずのレギュレーション
の時に「このレーサーを走らせ
ないのですか?」とオーナーに
問うと、「いや、それは出せ
ない」と言っていたのが今で
も謎だ。

筑波でのそうした手作り感ある
同友会主催のレースはとても面
白かった。全日本選手権とは全
く別な流れとして。
やがてうちのオーナーや三井さ
んたちがやっていたその流れは
筑波のヒスト
リカルレースとな
り、大人気を
博して現在まで続
けられている。

その大人気レースで大排気量ク
ラス常勝の広島
市内のレーシン
グチームのショ
ップに、現在は
普段タイヤ交換
で私はお世話に
なっている。
私は一般客として作業を依頼し
ている。レースなど一つも知ら
ないただの通りすがりの二輪乗
りの老年、
みたいな感じで(笑

本動画、レースを終えた後の
優勝者の中嶋さんの笑顔が最
高だよ。
いいね~。こういう空気のレ
ースは。
まるでかつて王貞治さんがダ
イエー
の監督になった時「私
は草野球
をやりたいんだ」と
言った深さ
に通じるものがある。
本動画での中嶋さんの笑顔は、
モーターサイクルレースの原
に触れた人々の喜びの笑顔
ように私には感じた。

2ストの後藤さんが今回エント
リーしたチームのベルレイの
オイルだが、私は
81年1型RZ
にベルレイを使っ
た時には、
分離給油には相性
はあまり良
くなかった。私の
経験では。
燃焼比率なのか何
かは判らな
いが、ヤマハの青
缶のほうが
ずっとよく燃えて
くれた。私
の乗り方の問題か
も知れない
が。

レーサーではカストロの植物
性R30常用だったが、ベルレ
オイルの質自体は非常に
良か
った。

ただ、実際の使用においては、
合う合わないというのはある
ようだ。マシンセッティング
や運転手の個体によって。





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