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マリーの生首がフランス革命歌を歌うという衝撃的な映像の何が最高にヤバいか解説します→解説を見ると死してその遺体をおもちゃにされてる感ある

思い切った演出だと思ってたけど、解説見てから改めて見るとまた興味深い。
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いっしー @isshyisshy

🇫🇷語わからんから気づかなかったけど、あの歌がサ・イラなのか。 貴族の首を(街灯みたいにして)吊るせって歌を、ギロチンされたマリーアントワネット自身に歌わせる。あまりに死者への敬意に欠けるよ。 マリーは世間知らずのお嬢さんに過ぎないよ。社交界出たがらず田舎風別荘に篭りたい人だったのに x.com/tooutlivetobe/…

2024-07-28 4:46:14
世界死bot/『世にも奇妙な「世界死」大全』発売中 @ToOutliveToBe

マリー・アントワネットの首がフランス革命歌「サ・イラ」を歌うという衝撃的な映像が流れてるので、久々にちょっとお話を。 革命期初期に流行した「サ・イラ」は、「ああ!うまくいく、うまくいく、うまくいく」という歌いだしで始まるのですが 後に続く歌詞によって2パターンがあります。 x.com/BrandonKHill/s…

2024-07-27 12:07:16
t.mio @micomicoblan

映画「ナポレオン」の冒頭シーンでも歌われてたのが記憶に新しい ベルサイユ宮殿ではマリーアントワネットが描かれたお土産で溢れていたから現代の国民が彼女の処刑をどう思っているか分からなかったけど、開会式を見るに肯定的に捉えてるっぽい…? x.com/ToOutliveToBe/…

2024-07-27 22:05:01
こむぎこ @KNvMSSMQKaadndA

こういう解説を見ると、あの生首アントワネットは自分の意志で歌ってるんじゃなくて、死してその遺体をおもちゃにされてる感あるな。 x.com/ToOutliveToBe/…

2024-07-27 21:28:28
ましゅまろ@牛乳たくさん飲む @p57iE7DKPnoQZc2

アントワネットが貴族を吊るせ!を歌う時の橋に長い棒でブランブランダンサーもなかなか革命時の串刺しを彷彿とさせて怖かったし、最後の晩餐ダイバーシティ版も黙示録の馬も 「旧世界秩序」に対する革命というか、「ブッコロス」で溢れてて フランスってそんな感じなんや〜と思ったな x.com/ToOutliveToBe/…

2024-07-27 21:19:46
とも @HCtm0ifyi0

詳しい人の話って面白い 貴族をさらし首〜的な歌をギロチンで首掻っ切られたマリーアントワネットに歌わせる演出は彼女に対する皮肉なのかな。 映像を見て「この人がこれ歌うの?」とちょっと腑に落ちなかったので… x.com/tooutlivetobe/…

2024-07-27 23:38:00
リンク www.y-history.net フランス革命 1 user 4
リンク Wikipedia 街灯に吊るせ "街灯に吊るせ!" (フランス語: À la lanterne!) とは、1789年夏のフランス革命時のフランス、特にパリにおいて用いられた標語。暴動を起こしたパリの民衆は、役人や貴族を捕らえて私刑にかけ、街灯に吊るし首にした。 街灯は、革命フランスでの民衆と正義の象徴となった。革命歌サ・イラにも「貴族を街灯に吊るせ!」(les aristocrates à la lanterne!)という一節がある。バスティーユ襲撃を扇動したジャーナリストのカミーユ・デムーランは、自らを「街灯の代理人」と呼び、『街灯
リンク Woburn Abbey マリー・アントワネット|フランス革命に散った悲劇の王妃は、贅沢三昧で無知だったのか? マリー・アントワネットの悲劇は、輿入れのときから暗示されていた?! マリー・アントワネット(Marie-Antoinette、1755-1793)は、オーストリア皇帝のフランツ1世とその妻マリア・テレジアとの間に、第15子としてウィーンに誕生します。ドイツ語名ではマリア・アントーニア。 出典: Wikipedia (少女時代のマリー・アントワネット) この時代は、ヨーロッパ大陸で急速に国力をつけるドイツ(プロイセン)の脅威に対抗し、オーストリアのマリア・テレジア、フランスのポンパドゥール夫人、ロシアのエリ 1 user 59
リンク www.weblio.jp ベルナール・ルネ・ジュールダン・ド・ローネー - ベルナール・ルネ・ジュールダン・ド・ローネーの概要 - わかりやすく解説 Weblio辞書 ベルナール・ルネ・ジュールダン・ド・ローネー ベルナール・ルネ・ジュールダン・ド・ローネーの概要 ベルナール=ルネ・ジュールダンBernard-René Jourdan de Launayローネー侯爵出生 (1740-04-09) 1740年4月9日フランス王国パリ、バスティーユ死去 (1789-...
リンク Wikipedia カミーユ・デムーラン リュシー・サンプリス・カミーユ・ブノワ・デムーラン(仏: Lucie Simplice Camille Benoît Desmoulins、1760年3月2日 - 1794年4月5日)は、フランス革命期のジャーナリスト、編集者、政治家である。バスティーユ襲撃の際にパレ・ロワイヤルで群衆を扇動したことで知られる。 ピカルディ地方ギーズに生まれ、父はバイイ裁判所総代理官であった。親戚のソワッソン代官ヴエフヴィル・ド・エサルの推薦状で奨学金を得て、パリのルイ=ル=グラン学院に進学。フレロンやロベスピエールとは同 26
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