⑵激やせの裏側~隠された陰謀~ | love-3025のブログ

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禁止タグはどうやらコピーの時の枠だったようです。

慌てましたのですみませんでした。お騒がせしました。

再度投稿いたします。

 

 

      昨日は、町内会のお祭りが散歩コースの公園であるはずでしたが、雨で準備はし 

      ていたようですが中止になったようです。気分はお祭りでもオリンピックでもな

      く、東北コメどころの災害が、ただただ心配です。

      ラブはつまらないせいか、珍しく玄関のゲージに行き大鼾をかいて寝てました。

      いつも私が見えるところで寝るのが多いのですが、最近は玄関とか、見えない場所

      でくつろいだりしてます。何気に探してくれるのを待ってるのかな?

 

昨日の記事で、敬宮様が激やせしたのは

2016年の15歳の頃で、同年7月には明仁天皇の生前退位を国民に理解してもらいたいと

ビデオが公表されたと書きました。
2017年、2月当時皇太子だった今上陛下が見誕生日会見で発言した、

敬宮様が「将来どのような立場になるにせよ」という言葉に隠居夫人が反応し

激やせから抜け出しつつあった敬宮様の拒食症キャンペーンかと思う報道が続いたのは、

この機会に雅子皇后と敬宮を排除する狙いがあっただろうとも書きました。

 

しかしなぜ、敬宮様は激やせしたのでしょうか?

 

一説には、2012年に紀子妃と悠仁さんが大膳課に侵入したための毒物混入の疑いや
一説には、炭水化物ダイエットが行き過ぎた、などが囁かれました。

 

15歳といえば思春期で、自我の確立され自立心や反抗期、親離れの時期ですね。

真面目で深く物事をとらえ考えられる敬宮様であることを考えると
やはり、小学生の頃に学習院で母の日に作成したという詩集「カーネーション」の中におさめられた「おかあさま」の詩がよみがえります。

 【「おかあさま」 

生まれたとき 私を抱きしめてくれたお母さまへ
私は8歳になりました 16歳まで半分になりました
生まれたときのことは おぼえていないけれど
お母さまとお父さまに出会うまで
おじいさま おばあさま ひいおじいさま ひいおばあさま 誰か一人でもいなければ 私は生まれませんでした
そう考えると いのちを繋げてくれたすべての人に『感謝』を伝えたくなりました
これから大人になっていくまで 雨の日も 雪の日も 曇りの日もあるでしょう
でも きっと お母さまと いつも一緒です
いつだったか 『ママ』ではなく 『お母さま』と呼ぶようになりました
ふと見ると お母さまはすこしさみしそうでした
たくさん泣いて 文句を言って お母さまを困らせたことや
『ごめんなさい』が素直に言えなかったこともありました
だけど いつもそばにいてくれた お母さま
怒った顔も 笑っている顔も 泣いている顔も
どんなお母さまも 大好きだから
私は お母さまが 私のお母さまで ほんとうによかったと思います
だから 見えない旅路も いつも そのままのお母さまを 見守りたいと思います
だけど いつかはきっと離れていく日が来るでしょう
だから おかあさま 産んでくれてありがとう 出会ってくれてありがとう 育ててくれてありがとう
そして 愛してくれて ありがとう
私は お母さまとお父さまの子供に生まれ 世界で一ばん幸せです

                  敬宮愛子】

 

この詩は同じお子様を持つ母親からのリークで、2020年か21年に表に

出てきたものだそうです。
宮内庁からも何の反応もないという事は、
学習院初等科時代にカーネーションという詩集があったこと、
敬宮様の詩であることは事実でしょう。

私の過去記事で、隠居夫人に「16歳になったら出てお行きなさい」と

言い含められてきたことや

皇室典範で16歳になれば自分の意志で皇族の立場を離れられること

など簡単に書いています。

『⑵ 妨害と奇妙な符合の意味 ~16歳という暗号と美智子様の焦り~』      今朝、カーテンを開けたら一面雪景色     2~3センチの積雪だが今日は転倒危険日、何せ雪ノ下は氷だから。    ameblo.jp

 

激やせの時期が16歳を控えたころとも重なることから、

敬宮様は真面目にこの問題をとらえ思い悩んでいたのではないかと、

私は考えます。

 

そして、両陛下が敬宮様の深い悩みの原因についてお知りになったのも
この頃ではなかったかと思うのです。

 

ちょっと話がそれますが、
明仁天皇は2010年には生前退位の事を周囲に相談したといいます。
2005年ころという説もあります。
2006年には赤坂に男児が作られましたから、私はこの後と思いますが・・

2012年から美智子様発案で頂上会議が(明仁天皇、皇太子様、秋篠宮)行われてきてました。
この意図は生前退位と、皇太子さまに皇位をあきらめさせること(男児がいない)

雅子妃が公務に支障をきたしてる、などを理由にしたものでしょう。
もしかしたら、天皇の定年制もこの頃には話し合われていたかもしれません。

 

2012年には聡明な両陛下は、一連の問題が嫁姑や男児がいない問題だけではなく

皇統の移動を狙ったものであることに気づいておられたと

考えるのが自然に思えます。

2013年には、これまた美智子皇后が皇太子に天皇になることを諦めさせられないと、

二人皇后なることを画策しています。

『二人の皇后の計画とは ~平成の闇ありすぎ⑵~』      本格的に寒くなってきました。今日はマイナス4度が最高気温です。     それでも例年よりは暖かいかもしれません。 ameblo.jp

話を戻します。
敬宮様の激やせはこうした皇統の問題の延長線上にあり、
両陛下は隠居夫婦や次男夫婦が考えているのは、単に皇統を移動するだけではなく排除なのだと気づいたと思います。

 

私は、2016年の激やせしたと言われる敬宮様と両陛下の濃密な話し合いが
何度となくあっただろうと想像します。
天皇制、おかれた立場、皇族のあるべき姿、国民との向き合い方、祭祀など真剣な話し合いがなされ、敬宮様も受け止めてこられたのだろうと。

 

那須でのご静養の時に単にお手振りから、お出迎えの方と会話する機会を持ち

敬宮様も加わるようになったのは、まさにこの頃とつげのりこ氏も書いています。

 

振り返ると、敬宮様お一人に対しても、いろいろな策を用いて引きずりおろす為にあれこれとしていましたよ。
笑わない、自閉症、逆さバイバイ、会いに来ない、苛め、登校できない・・拒食症に仕立て上げることにも失敗しましたね。

 

その裏にある赤坂の思惑というよりは陰謀ですが、誰が主導してるかもお分かりでしょう。

 

今、その最後の段階に差し掛かってますよ。
愛子天皇を望む私たちは、自分にできる事をしつつお支えするのみですね。

 

 

今日はここまで

        今日も読んで頂きありがとうございます。パー

 

 

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