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パリ五輪で柔道の永山竜樹選手が絞められ、審判が待てと言ってるのにルールを破られ止めず、なのに一本負けとなった。多くの日本人が勘違い、というか妄想することに「ルールを守るのが美徳」という価値観がある。 しかし、国際社会では負け犬の遠吠え。ルールを守るのは敗者でルールを作るのが勝者。 そこで今日はオリンピックの歴史を踏まえた上で解説する。 1956年、メルボルンオリンピックで田口勝選手が水泳で金メダルを取った。 肺活量の多さを活かした潜水泳法で勝利した。 すると白人らは怒りだし、潜水できる距離をルールを変えて制限した。 1972年、ミュンヘンオリンピックで、水泳選手日本代表の田口信教がドルフィンキックのような特殊な泳法で金メダルをとった。 やっぱり白人らは怒りだし、スタートから潜水出来る距離に加えて、 水泳中は常に身体の一部が水面から出ていないといけない、とルールを変えた。 日本人が自分たちの有利になるように何かのルールを変えたことはみないが、 日本人が勝った後に日本人を勝たせないようにルールが変えられ、健気にもそれに従うことが美徳であると洗脳されている。 奴隷は奴隷でいることが美しい、という理屈だ。 長らく治安が良い政体を経験している日本人は、 日本の国外でもルール破りに限界な罰が下されるという盲信がある。 それはいまに始まったことではなく、 例えば日本海軍は1930年にロンドン海軍軍縮条約が締結されると、 「訓練に制限はない!月月火水木金金」と言い出し兵を疲労させ 見事に戦争に敗北したが、 一方でイギリスは「いつでも軍艦に転用できる商船」を沢山作った。 ルールは負け犬が守るものという現実。 今話題の二酸化炭素排出制限(京都議定書)も、 日本は律儀に守ってCO2排出抑制技術を磨き、他国に金を払って他国の排出枠を買い取ってきたが、 大量に二酸化炭素を排出するアメリカはそもそも京都議定書に参加していなかった。カナダもな! ルールが嫌なら参加しない。 対人地雷禁止条約も同じで、 一個たりとも他国に対人地雷を輸出したことがない日本がせっせと守り、自衛隊に対人地雷を廃棄させ、沿岸部の守りを困難にさせたが、 一方で中国やロシアは対人地雷を製造輸出して、今日もどこかで子どもに地雷を踏ませ足を吹き飛ばしている。 日本人がルールを守るのが美徳だというのは、熊を相手にルール遵守を叫ぶような狂気だと言える。 ルールとは、自分たちに有利になるとき弱い者に守らせ自分たちの権益守り、 自分たちの不利になるときは、ルール自体が不正であり改正または当初から存在が無効だったと宣言するのが普遍的なやり方だ。 ただ、日本でも一例だけそれがある。 刑法第200条には昔、尊属殺人罪という条項があり、子が親を殺すと無期懲役か死刑しか選べなかった。 ある時、実の娘を強姦しまくり何回も中絶させていた父を娘が殺してしまった。 刑法の規定によれば無期か死刑。それはあんまりだということで、 最高裁は「刑法第200条は犯行当時から憲法違反だった!」と無効宣言をして娘に執行猶予をつけた。 歴史的に常に安定していた日本人にとってルールは聖書同様の神聖さを持つから、ルールを変えるのは「よっぽど」のことがないといけない。 だから、憲法が変わらない。 女子中学生が拉致され強姦され強制出産させられた程度で平和憲法は影響を受けない。 だが残念ながら核兵器の技術が進歩したいま、その「よっぽどのこと」が起きたとき、日本人は絶滅しているだろう。 オリンピックを東京で開催したならば自分たちのテリトリーだ。 ルールを絶対視する美徳を思う存分に世界へ見せつけるべきだ。 だが、日本国外にでたら美徳はたちまち敗者の遠吠えとなる。 日本人女性が海外で性被害にあったら警察はアジア人のために何かするか? する場合もあるし、しない場合もある。強姦罪があっても、そのルールが適用されるかされないかはまた別の問題なのだ。 日本人よ、世界をみよ! みんなの意見を聞かせてな! ところで私が書いた『われ、正気か!』という本は、世界における日本の今後の在り方を、地元の言葉、広島弁で解説した。日本人の感覚は決して世界では通じない! 写真は、地下鉄博物館で撮ったわたし! 読んで深く知り一緒に日本を守ろうな! amzn.asia/d/0F6WSxq 電子版も各社ある!
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