とある探偵たちのクトゥルフ神話事件簿


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作:兼六園
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さよならスワンプマン 2/7


 小雪の発言に一瞬固まった葉子は、なんとか言葉を絞り出す。

 

「し、死なせてあげたい、というのは?」

「──情報の先出しはここまで。本当に危険なので、ここから先の話は私の依頼を受けると確約してからにしましょう」

「……わかりました、ただし依頼は私だけで受け──「いや、あたしらもやる」っ、真冬ちゃん!?」

 

 せめて子供を巻き込むのはと自分だけで話を聞こうとした葉子だったが、真冬は気だるげな動きで挙手をしながらニヤリと笑う。

 

「ここで除け者にされたところで、どうせまたどっかで巻き込まれる。その時に限ってもしあたし独りだったら、というリスクを踏まえれば、先にここで経験積んどく方がお互いの為でしょ」

「では貴女と……結月ちゃんも参加する、ということで良いんですか?」

『もっちろーん。面白そうだし』

「うーん魔術師向きですね」

 

 問いに真冬の頭の上でサムズアップで返す結月に、小雪は()()()()を理解していればおおよそ褒め言葉とは受け取れない発言をする。

 それから改めて腰を据える小雪が、深呼吸を挟んで重々しく口を開いた。

 

「……お三方は、ショゴスをご存知ですか」

「なにそれ」

「──もう躓きましたよこれ。与一くんからそういう知識は教わっていないんですか?」

「…………。あ、そうだ。なんかそういう情報纏めたファイルがキャビネットにあるはず……ちょっと待って」

 

 ソファから立ち上がった真冬が、そう言って与一用のデスクの横に固定されたキャビネットを開ける。

 ファイルを漁る背中を眺める小雪たち三人は、戻ってきた真冬が掴んでいるファイルに視線を移した。

 

「これだこれ。魔術関連の基礎情報を纏めてあるやつ」

「────。それうっかり流出したら貴女方まとめて消されかねないので気をつけてくださいね」

「へー、こわ。……と、『し』の……や、ゆ……よ、あった。ショゴスの欄」

 

 脅しをさらりと流しつつ、真冬は横からと頭上から覗き込む結月と葉子を交えてファイルを開くと、貼り付けられた写真にうげぇと声を漏らす。

 

「なに、この……なに」

『目と口の生えた……スライム?』

「ええと、『ショゴスとは液状の不定形生物であり、その液体は大抵の物質・物体を溶かせるため、便宜上酸性として扱われている。更には液体を操作して目や口、耳などの器官を増やすことができ、指示にも従うが、知能面には期待できない。しかしショゴスやウボ=サスラの雛には擬態能力があり、生物の遺伝子情報を取り込ませることで、精巧なコピーを作ることが出来る。当然ではあるが、ショゴスやウボ=サスラの雛を用いたコピーと通常のクローンは全くの別物である』……あの、これが何なんですか?」

 

 ファイルからパッと顔を上げて、葉子は小雪を見る。彼女は無言のまま()()()と言わんばかりに微笑を浮かべて、葉子から隣の深景に視線を移す。

 

「────。……!!」

 

 そのアイコンタクトに一瞬悩む葉子だが、これまでの情報を纏めれば、嫌でも何を言いたいかを理解できてしまう。『人間として死なせてあげたい』、この言葉の意味と今しがた手に入れた怪物の情報を重ねて、確かめるように問いかけた。

 

「深景ちゃん、貴女は……人間に擬態したショゴスだったんですね?」

「……はい。で、でも! あの、人を傷つけようとか、そんなことは絶対にするつもりはないので……」

「んなことは別にいいけど、あんたがショゴスとやら……なのと、人間として死なせたいって依頼にどういう繋がりがあるわけ?」

「あっ、っ……」

 

 真冬がじろりと深景を見る。本人としては睨んでいるつもりはなかったが、深景は萎縮したように縮こまり、頭の上の結月にべちべちと額を叩かれた。

 

『真冬ぅ、あんた目付き怖いんだからさぁ、睨んだら可哀想でしょ〜〜が』

「睨んでないわ」

『だいぶ鋭い眼光だったよ』

「わかったわかった悪かったって。……それで、なんでそんな依頼をしてきたの? 別に自殺志願者って感じじゃなさそうだけど」

 

 しつこく額を叩いてくる結月をソファの隙間にねじ込みながら問うと、その光景を眺めていた小雪が気を取り直して説明を再開する。

 

「前提知識として、ショゴスやウボ=サスラの雛が人間に擬態する際、その形状を維持するのはかなり難しいんです。ずっと人間のままで居るには、擬態前に分けた自分の細胞を圧縮して作った(コア)を埋め込まないといけないんですが……」

「深景にはそれが無い、ってこと?」

 

 真冬の飾らない言葉に、小雪は頷く。

 

「数日前、彼女含め複数のショゴスを利用していた施設を潰した際、私は作られたばかりの擬態生物──すなわち深景ちゃんを連れて逃げようとしました」

「……でもその時、確か……白痴教(はくちきょう)? を名乗る人たちがいきなり現れて、私たちは襲われたんです」

 

 思い出しながら名前を絞り出すように言う深景。ふと呟かれた聞き覚えのない()()に、首を傾げながら真冬がオウム返しする。

 

「白痴教?」

『あー、なんか聞いたことある……かも。宗教団体だよね』

「ああ、カルトか」

『その発言はだいぶ危ういよ!?』

 

 隙間から這い出てきた結月にツッコミされながらも話を聞く真冬に、苦笑しながらも小雪が続けた。

 

「白痴教の信者かそう名乗っているだけの別の団体かは置いておくとして。まあその内の一人に、ものの見事に隙を突かれて……体内に入れようとした深景ちゃんの『核』を破壊されてしまいましてね」

「深景はもう人間の姿を維持できない、だからせめて人らしく──ってことね」

「ええ。なのでこれから、いつ訪れるかわからないタイムリミットまでに深景ちゃんに良い想い出を作ってあげたい……のですがねぇ」

「問題は、まだ自称白痴教の人間が残っている……研究施設とは別勢力が深景ちゃんを狙っている、ということですか」

 

 葉子が小雪の悩みを言い当てて、小雪はため息をついてから口を開く。

 

「ついでに言うと、その『核』を破壊した奴がまた厄介でしてねぇ」

「というと?」

「──()()()()なんですよ。そいつ、無形の落とし子の適合者だったんです」

「あんた以外にそういう体質の人間が居るんだな」

「そうなんですよね、ビックリしました」

 

 あっはっは、と乾いた笑いをこぼす小雪だったが、その目は一切笑っていない。

 自分と同じ体質。それはつまり、自分と同じように体内の水分を抜き取りその代わりとして落とし子を注入された人間ということ。

 

 人でありながら怪物でもある──秋山に保護されて連盟組織に属している小雪は、そう自覚しながらも一般的な知識や常識を与えられてある程度は真っ当に育ったが。

 襲い掛かってきた()は、恐らく自分と逆の人生を歩み、歪んでしまったのだろう。

 

 そう、考察せざるを得ない。

 そうでなければ──()()()()()()()()()()他者を傷つけようとするはずがないのだから。

 

「────」

 

 今現在、小雪の中には、言語化できない激情が渦巻いている。その感情が、同じ力を持ちながらも私欲で振り回していた相手に対する『なんとなく気に入らない』というモノであることに気づけるほど、彼女は大人ではなかった。

 

「……小雪さん?」

「ん。ああはい、大丈夫ですよ深景ちゃん。必ず、貴女を人として死なせてあげますから」

「…………うん」

 

 目尻が細まり、チリチリと殺意が漏れている小雪の膝に手を置く深景。

 小雪は深景の心配が『依頼を完遂できるかどうか』だと勘違いし、『無茶をしかねない自分を心配している』とは露ほども考えていない。

 

 その認識の違いに違和を感じた真冬が()()の指摘をしようとして──それを深景の咳に妨げられ、ちらりと向けた視線が捉えた異常事態に目を丸くする。

 

 

 

「ごほっ…………あれ?」

「……深景?」

 

 反射的に口許を手で押さえた深景は、手のひらにドロリとした感触を覚える。

 それが赤黒い血液であると理解した直後、続けて血涙と鼻血が溢れ、深景の口から更に血の塊が咳と共に噴き出した。

 

「──がっ、ごふっ、ごほっ!?」

「深景ちゃん!?」

「っ、葉子さんタオル!」

「すぐ持ってくる!」

 

 咳き込みながら前のめりになる深景の背中を、小雪が慌てて擦る。

 葉子に指示を飛ばしながらテーブルを迂回して深景に近寄る真冬は、彼女をソファに横にさせた。

 

「顔を横にしろ、器官に血が入ったら余計にむせる。結月は台所からバケツかボウル持ってこい! これ以上床が汚れるのは不味い!」

「いえ、その心配はありません」

「あ?」

 

 慌ただしく顔をあちこちに動かして指示する真冬に短く言うと、つい、と指を床に向ける小雪。

 視線を辿ると、そこには床にこぼれた血が炭化したように固まって黒ずみ、ボロボロと崩れてゆく異様な光景が広がっていた。

 

「……どうなってんだ」

「これは血ではなく、限りなく血に近い物質に擬態したショゴスの体液です。体の中に異常が起きて、擬態を維持できずに排出され、炭化に近い状態になって最後には崩れて消える。……見てください」

 

 小雪が荒く呼吸する深景の襟首を指でずらすと、肩から首が黒ずみ、頬にまで侵食が進んでいる肌を露出させて真冬に見せる。

 

「……!」

「これが、『(コア)』を失ったまま擬態しているショゴスの末期症状です。深景ちゃんもいずれ、吐いた血と同じように体を炭化させ……崩れて消滅する」

『ま、マジで……?』

 

 さしもの結月ですら茶化せない状況。小雪は憔悴してそのまま眠るように気絶した深景の頬を、慈しむように優しく撫でながら懺悔をする。

 

「だから。……だから、私はこの子を、可哀想だと思ってしまった。施設を潰すなら当然、()()()()も全て抹殺しないといけないのに」

「…………。やっぱりか」

 

 眉間にシワを寄せて、真冬が短く言うと。彼女は流れるように小雪の胸ぐらを掴む。

 

 

 

「──真冬ちゃん、タオルを……」

『おわ──っ!? ちょちょちょ真冬!?』

「……? どうしたんですか」

 

 浴室から戻ってきた葉子が、結月のそんな慌てる声を耳にする。

 そして真冬が小雪の胸ぐらを掴み、低い身長ゆえにぶらんと宙に持ち上がっている状態になっているのを視界に収めた。

 

「!! 真冬ちゃん! なにやってるの!」

「……『人間として死なせてあげたい』。これ、あんたが勝手に言ってるだけだろ」

「……え?」

「────」

 

 止めに入ろうとした葉子が、その言葉に足を止めた。言われた張本人である小雪もまた、図星を突かれたように表情を歪める。

 

「当ててやろうか、小雪さん。あんたは最初は深景を助けるつもりなんて無かった。でも『核』を破壊されて殺されそうになってる深景を見て、()()()()()()()()()()。要するに順序が逆なんじゃないか?」

「助けた深景ちゃんを連れて逃げようとしたら『核』を破壊されたのではなく、『核』を破壊された深景ちゃんを助け出して逃げた……と?」

 

 真冬の推察と葉子の要約が纏まり、胸ぐらを掴まれたままの小雪は、諦めたかのように力無く乾いた拍手をしてから口を開いた。

 

「大正解。探偵の素質がありますよ、真冬ちゃん」

「茶化すなよ」

「…………概ね推察の通りです。深景ちゃんは抹殺対象、本来なら研究施設もろとも瓦礫の下に埋めるべき存在。……だったんですがねぇ」

 

 参ったとばかりに両手を上げ、真冬に降ろされると言葉を続ける。

 

「私と同じように落とし子を体内に入れている魔術師を初めて見て、そいつがこの子を殺そうとしているのを見て。私は頭がこんがらがって……気がついたらこの子を連れて脱出していた」

 

 深景が寝ているソファの縁にはみ出るように座り、小雪は彼女の頭をそっと撫でた。

 

「考えてもみてください。魔術的研究の隠蔽で殺さなきゃいけない相手は子供で、その子は第三勢力に殺されようとしている。なのに、()()()()()()()だから自分が殺されそうになっていたとすら分かっていない。この子は……後付で一般常識をインプットされただけの、10代の姿をした赤子なんですよ」

「その赤子が余命数日で、今日か明日には消え去る運命にある。……まあ確かに、酷い話だね」

「──偽善だと笑いますか?」

「確かに偽善だわ。……()()()?」

「はい?」

 

 想定外の返しに、小雪は反射的にすっとんきょうな声で聞き返してしまう。

 

「……あたしが気に入らないのは、あんたが深景から心配されていることにも気づけていないこと。偽善だろうがやり通せばいいだけでしょ。それがあんたなりの信念なら、あたしらは()()に味方するだけ」

「────!」

「……ははは、そういうもんですか」

 

 偽善だと断言し、だからなんだと、あっけらかんと跳ね除ける。

 その啖呵に──その言い分に、葉子は以前の自分に味方してくれた()を想起した。

 

「そんじゃまあ、ここで話してても何も進展しないし、深景を連れて車で移動しようか。与一が二代目を買って下のガレージに入れてあるから」

「初代はどうなったんですかね……」

「知らん」

 

 小雪の問いに小首を傾げる真冬だが、与一の車が以前にシュブ=ニグラスを撥ねて壊れた事をこの場の誰もが知り得ないのは余談である。

 

「鍵はデスクの……中、と。よし、葉子さんは深景抱えてくれな────なにニヤニヤしてんの?」

「…………ふふ、お気になさらず」

「ふーん?」

 

 与一が与一なら、真冬も真冬。幼馴染なんだなあ、という微笑を浮かべる葉子に辛辣にそう言いながら、真冬は小雪に鍵を投げ渡す。

 

「……それにしても深景ちゃんの心配すら察せていなかったとは、年齢を言い訳にするべきではないですが、私もまだまだ青二才ですねぇ」

「そういや小雪さんって何歳なの?」

「ん? まあ、だいぶサバは読んでますよ」

「へえ。車は運転できるんだし意外とタメとか?」

 

 鍵をキャッチした小雪にいたずらっぽく聞いた真冬に、彼女もまた深景を横抱きに持ち上げる葉子を横目にしながらさらりと返した。

 

「いえ、13です」

「13ね…………は?」

「じゃあ行動開始といきましょ〜」

「いやちょっ、13!? はぁ!?」

 

 ちゃりちゃりと鍵をもてあそぶ小雪の先導で葉子が玄関に向かい、真冬も結月を頭に乗せて追従する。

 

「……とんでもない世界に首突っ込んじゃったんだな、あたしら」

『世界は広いねぇ』

 

 

 

 小雪の返しは冗談ではないのだろう、という妙な確信を抱きながら、真冬は頭を振るのだった。




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