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【戦国時代】信長に気に入られた忠義のアフリカン武者!黒人の大名となった可能性もあった「弥助」とは?

原田ゆきひろ歴史・文化ライター

ときは戦国時代。武田家を滅ぼした信長は、徳川軍と合流して甲斐の国を視察しに向かいました。そのとき、家康につき添っていた松平家忠という家臣が、信長の一行を見て驚愕します。

「な、なんじゃ、あの側近の者は!」

織田家のサムライの中に、当時の日本人からすれば見たこともない、黒人の大男が信長の後ろに控えていたのです。

「はっはっは、皆お主の姿に目を丸くしておる。面白いのう!」

「フフ、オヤカタサマ。アイカワラズ、オタワムレガ、オスキデスネ」

このとき松平家忠が目撃した人物こそ、おそらく日本で初めて、黒人にしてサムライとなった“弥助(やすけ)”でした。

いずれは黒人初の大名に?

アフリカ南方の国・モザンビーク
アフリカ南方の国・モザンビーク

弥助の出自については不明な点が多いのですが、もともとは戦国時代に日本へ訪れていた、宣教師とともにやってきた人物と、記録に残されています。

当時はヨーロッパの強国が世界中に版図を広げ、とくにアフリカでは征服された国の人々が、奴隷として連れて行かれるケースも、多くありました。弥助もおそらくはその1人で、アフリカ南部のモザンビーク出身というのが、ひとつの有力説です。

また奴隷となった人々は労働をさせられますが、その中でも見込みのある人物は、戦闘術や規範を叩き込まれ、ヨーロッパ人を守る戦士に育て上げられました。その一形態が“ハブシ”と呼ばれる軍事奴隷で、弥助もその一員であった可能性があります。

ただ宣教師の間では規則として“奴隷は禁止”とされており、名目上は護衛の様な形で、日本へやってきたのかも知れません。

そして、どのような経緯で信長へ仕えることになったのか、これも直接の記録はないのですが、弥助が京都へ来ていたことは、いくつかの記録にはっきりと残されています。

今の価値観では問題になりますが、当時の日本人からすれば極めて珍しい“肌の黒い人種”をひと目見ようと群衆が殺到したと言われ、それが信長の耳に入った可能性があります。

宣教師たちは布教の許可を得るため、たびたび信長へ謁見しているので、その際に“献上”した、あるいは信長の方から「こやつをワシに仕えさせぬか?」と誘ったパターンも、考えられそうです。

いずれにしても信長は弥助を心から気に入った様子で、奴隷どころか織田家の正式な家臣として、取り立てました。それも戦国時代の中で覇者となった信長に対し、通常は特別な人物でなければ会う事も叶いませんが、弥助は登用されたばかりにも関わらず、極めて間近な家臣として仕えることとなったのです。それを聞いた人々は「いずれ彼は、大名になるのでは」とウワサしたと言います。

本能寺の変が勃発

このように弥助が織田家へ仕えて1年がすぎた頃、しかしここで本能寺の変が起こってしまいます。

このとき弥助も本能寺にいたと言われますが、信長から「お主は逃げよ!」と促されたり、外部に向けて何かを託されたり・・あるいは自分の意志という可能性もありますが、とにかく彼は脱出に成功しています。

そして、そのままどこかへ逃げ去ることも可能でしたが、そうはせずに信長の後継ぎである、織田信忠のもとへ向かったのです。そこへも当然、明智勢が押しよせてきますが、弥助は傷だらけになりながらも、果敢に奮闘しました。

この行動を見ると、もはや義務感という枠を超え、織田家へ心からの忠義を抱いていたのではないかと思えます。しかし多勢に無勢、そのまま明智勢が勝利して、信忠は自刃してしまいました。そして弥助もそのまま、捕らわれの身となってしまったのです。

捕縛後にたどった人生は?

さて、戦闘で傷を負っていた弥助ですが、何とか無事に回復することができ、命に関わることはなかったと言います。また明智光秀は彼の忠義に感じ入ったのか、あるいは宣教師と不仲になる事を避けたのか、弥助は処刑されるといったことはなく、解放されました。

その後、彼はどこへ行ったのでしょうか。残念ながら現在のところ記録には残っていません。故郷のアフリカへ帰る道を模索、再び宣教師のもとへ行って護衛に・・もしくは日本のどこかで、ひっそりと暮らした可能性もあるでしょう。

いずれの道を辿ったとしても、どこかの地で空を見上げながら、信長と過ごした日々を思い返していたかも知れません。この時代に別世界とも言える異国で、これほどまでの激動の人生は、壮大なドラマを感じずにはいられません。

これは“たられば”の話にはなりますが、もし信長が本能寺の変を回避して、天下を統一していたならば、お気に入りの弥助が大名に昇格していた可能性は、高かったのではないかと思われます。

現代に目を移せば2009年にオバマ大統領が、アフリカ系で初の大統領となって快挙が叫ばれましたが、その400年以上も前に、すでに信長は人種の壁を超えていたとも言えます。その先進性には、あらためて驚きを禁じ得ません。

こうした弥助の生き様は国内外を超えた注目もあり、ハリウッドで彼を題材にした映画制作が決まったほか、日本でもいくつかのマンガ作品でモチーフとなっています。

中には「実際の歴史と離れすぎている」など、賛否を巻き起こしている作品もありますが、いずれにしても史実でよく分かっていない足跡も多く、この先も彼の存在は時代や国境を超え、多くの人を惹きつけて行きそうです。

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ありがとうございます。
歴史・文化ライター

■東京都在住■文化・歴史ライター/取材記者■社会福祉士■古今東西のあらゆる人・モノ・コトを読み解き、分かりやすい表現で書き綴る。趣味は環境音や、世界中の音楽データを集めて聴くこと。鬼滅の刃とドラゴンボールZが大好き■著書『アマゾン川が教えてくれた人生を面白く過ごすための10の人生観』

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