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Conversation

最近、弥助というアフリカ人が有名になって、「彼は侍か否か?」という議論が流行ったから、改めて「侍とは何か」を語るぞ。 まず、「もののふ、つわもの」と「ぶし、さむらい」を区別する。前者は天皇の官僚機構にいた公的な兵士だが、後者は天皇の権威とは別の私的な兵士じゃ。 解説する! 奈良時代から平安時代中期までは天皇の権威が強く、兵力は官僚機構に組み込まれていた。 この頃は、兵士が盾を持っていたぞ。 やがて地方に分散した天皇の男系男子が、田舎のボスになって田畑を管理して経済力を持つと、天皇の権威は弱まった。 かわりに武装宗教団体などが力を持ち、 天皇や上皇の身辺警護が必要になり、中央貴族の中から腕っぷしが強いのをガードマンに集めた。 これが滝口の武士、北面の武士とか言われた。 ただ、ワシらが言う武士は、こうした貴族による職業軍人のことではなく、 田舎で勢力を伸ばした武装勢力を言うよな。 源頼朝がわかりやすいのじゃが、ほぼ無一文で地方に流され、付き人も数人。 でも、「俺は天皇の男系男子だ!」という意識が高く、地元の地主の娘、北条政子をゲットして義パパの兵力もゲットした。 武士団とはなにか? 「苅田狼藉」という米を収穫前に刈り取り奪う犯罪に武力だけではなく「天皇の権威」で対抗するため、 地方に流れてきた桓武天皇の男系男子や、清和天皇の男系男子をトップにして、武力集団をつくった。 血縁と地縁で、多妻制をして男の子を沢山産み、近所の人を抱き込み、 日本各地で武士団ができ、衝突しては合併して、でかくなったわけじゃ。 そして、天皇から征夷大将軍にしてもらい幕府を築くようになった。 現代とは違い、共同体から外れたら餓死だからな。武士団に参加した人は、まさに命懸けで忠義を果たしたわけじゃ。 そして、百姓は安心して農作業ができた。武士団がいないと働いても苅田狼藉されて餓死だからな。米を渡す代わりに安全を得た。 さて、そんな感じで、「名田」(みょうでん)という土地をパパママが守り、子に相続させ、何世代も相続を繰り返すうちに大量の名田を持つ一族があらわれた。 これを大名という。 山名氏清という大名は、日本の66ヵ国中11ヵ国も所有していた。 しかし、戦乱の時代で一族が滅亡したり、所領を他人に奪われたりして守護大名から戦国大名になれたのは極小数だった。 島津氏は、近衛家の人だったが、平氏との戦いのあと薩摩の土地の管理権をもらって、 そのまま守護大名から戦国大名、明治には華族になった例じゃ。顔つきは京都っぽい一重だった。 さて、ここで「侍とは何か」を語る。 それは忠義なんじゃ。昔のつわものは、家に食い扶持があって更に戦った。しかし、侍はその土地しかないんじゃ。 誰かの保護を受けて生きていける。その土地、その主君しかないんじゃ。 主君と合意があれば新しい主君に移動することもあったが、忠義こそが侍の特徴とワシは思う。 だから、研究者が弥助は信長から自宅や刀や俸禄をもらっていたから侍だとかいったが、侍の家に生まれてない者らしい発想じゃな!  忠義を理解しとらん! もし、信長が討たれたとき、弥助が追腹をするか、明智に斬りかかって返り討ちにされていたならば、 ワシは弥助に苗字があろうが無かろうが立派な侍だったと思う。 百姓出身の秀吉が、なんであんなに偉くなったか? それは下剋上とかで主君を裏切る侍モドキに溢れた中、信長の敵討ちをしたからじゃ。 忠臣蔵がいまも語り継がれるのは主君の敵討ちをしたからじゃ。 なので、苗字もなく、主君の敵討ちさえしないのはフツーのおニイチャンじゃな。 信長から貰った刀と自宅や俸禄だって、信長は相撲大会の景品にしとるからな。あんま侍とは関係ない。 ワシは、忠義がある者こそが侍だと思う。 サラリーマンが社長に忠義を持つのも立派な侍じゃ。 現代日本では身分が廃止されたが、忠義の精神は廃止できない。 忠義がある人が侍なんじゃ! 父に母に! 夫に! 妻に! 国に! 忠義なくして士道は語れず。 侍になりたかったら忠義を持て! 御恩を忘れるな! 奉公せよ! それがサムライじゃ! みんなの意見を聞かせてな! ところで私が書いた『われ、正気か!』という本は、侍を産んだ日本の伝統価値観とは何かをワシの地元の言葉、広島弁で解説した。侍の国、日本の実像を改めて掘り下げた! 読んで深く知り一緒に日本を守ろうな! amzn.asia/d/0F6WSxq 電子版も各社ある! 写真の説明は今日は無い! 地元図書館や学校にリクエストして応援してな! 文章が気に入ったらフォローしてな!
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