日本人の知らない珍説が世界中で大拡散!歴史家「弥助は信長の首を守ることで日本の歴史を変えたと見なされてきたのです」アサクリ以前から始まっていた弥助の史実ブーストとその歴史 & Wikipediaに出典付きでフェイクを載せられたら10年間誰も気づけない件
「小姓の地位が高い」「森蘭丸と同じだ」と主張される方もいるのですが、弥助の場合、小姓待遇だから出世コースというのは無理があるような気がします。
2024-05-31 10:31:02@laymans8 @uRoe9JcMIaJuB0H 天下人として朝廷や公家と頻繁に関わる信長の「小姓」て求められる水準高いだろうな…。 伊勢流や小笠原流の礼儀作法は勿論、足利幕府の歴史や地理関係を信長のサポート出来る水準て…。
2024-06-18 15:08:55ロックリー氏の反論。 「弥助は『殿』(文字通り『殿』または『主』)と呼ばれ、信長から禄高を受け取り、信長の紋章を帯びていました。」 呼ばれてない なぜあなたは盛るのだjapantimes.co.jp/life/2024/05/2…
2024-05-30 0:17:18「桐野氏が『アフリカンサムライ』のファクトチェックをした」というJapan Timesの記事が訂正されました。今回のまとめの唯一の成果です。ただ、ロックリー氏の謝罪を見ても責任の所在はよく分からないまま。 pic.twitter.com/3p3tvdORzW
2024-06-13 17:52:53私見
査読無し学術書『信長と弥助』 (2017)
史料の少ない人物故、いくつもの仮定の上に推論を重ねるような内容には、評価が分かれると思います。しかし、「これが史実だ」と主張しているわけでもないので問題はなし。
ノンフィクション伝記小説『African Samurai』 (2019)
弥助に関しては意図的に史実と創作の境を曖昧にしていますが(劇長脚注で真実らしく装飾もしているが)、小説の体を崩していないので白 。
『外国人がほんとに知りたい日本の文化と歴史』(2019)
メディア対応 (2019~)
気合を入れて弥助のプレゼンに臨んだことは理解できますけど、歴史家として(Historian says)小説の中身を語るべきではなかったと思います。原稿チェックの段階で止めることもできたはず。語るなら(査読ありの)『つなぐ世界史2』の内容にするべきでしたね。
私は弥助の存在が日本に興味を持ってくれる人を増やすきっかけになると思っているので、ロックリー氏の功績は大きいと考えます。ただし、歴史家としては・・・ x.com/laymans8/statu…
2024-05-25 21:28:36逆に私は弥助の存在が日本に興味を持つ人を増やすきっかけになると思ってます。これはロックリー氏の明確な功績。彼は完全に(私も大好きな)司馬遼太郎先生です。
2024-05-23 18:13:18アカデミアの世界で食べていくのは大変です
「ロックリーは反日だ」とかすぐ言いたがる人いるんですけど、単に「弥助で食っていく」と腹を決めただけだと思いますよ。ほとんど誰も手を付けていない場所からダイヤモンドの原石を見つけたのだから、そりゃ一生懸命磨きますよ。ハリウッドのことを考えていたかは知らんけど。
2024-06-02 14:04:41物議を醸しそうな記事一覧
信長は弥助を「大黒天」ではないかと考えた。大黒天は豊穣(ほうじょう)の神で、寺院では通常、黒い像によって表現されている。信長は弥助の肌の色は墨によるものだろうと思い、こすり落とそうとした。本当に黒人だと納得すると、直ちに宴会を開いて敬意を表したという。
「弥助は初めこそ物珍しい余興の種とみられていたものの、1カ月以内に侍として重用されるようになり、信長の側近の一員になった」
1581年、弥助は織田軍による伊賀侵攻に加わった。信長は4万~6万人の軍勢を擁する忍者の地、伊賀を攻撃。息子の信雄による1579年の伊賀攻めは失敗に終わっていたものの、今回は攻略した。弥助にとって、これが信長の下での最初の戦になったという。
ロックリー氏が明かす言い伝えによると、信長の弥助への最後の指示は、刀と首を息子のもとに届けるよう命じる内容だった。「信長の首が他人の手に落ちるわけにはいかなかった。弥助の仕事は一族の権力を維持することだった」
来日から1年もしない内に、弥助は侍としての身分を手に入れた。間もなく弥助は日本語を自在に操り、信長のお供として戦場に出るようになった。
弥助のドキュメンタリー映画を製作しているフロイド・ウェブ氏とデボラ・ディスノー氏は、弥助が奴隷だったというのは憶測に過ぎないとみている。ディスノー氏は、「戦士としての経験がなければ、たった1年で侍に上り詰めることは難しいはずだ」と語る。武士階級に生まれた者は通常、子どもの頃から訓練を積まされるからだ。
ロックリー氏によると、弥助は訪日前にアフリカやインドで生活した経験があり、こうした地域の話を信長に聞かせて楽しませたのだという。
信長は弥助を気に入り、家族のように扱ったと言われる。弥助は、信長と共に食事をする数少ない家臣のひとりだったという。
歴史家のトマス・ロックリー氏によると、信長は弥助に介錯を頼み、自分の首を刀と共に息子に送り届けるよう頼んだという。これは絶大な信頼の証だ。
彼は彼らが見た初めてのアフリカ人だっただけでなく、日本の基準では身長188センチの「巨人」で、容姿端麗、知的で面白く、10人の男の力を持っていた。
また、仏陀は黒い肌で描かれることが多いため、多くの人が彼を神の訪問者と見なしていました。
数日後、ノブナガはヴァリニャーノに弥助を自分に仕えてくれないかと尋ねた。弥助は信長の武器持ち、つまり非常に名誉ある地位となり、海外問題についての腹心となった。
数か月以内に、彼は給料、京都の北東にある安土城の住居、使用人、そして刀を受け取りました。刀は武士の象徴であるため、日本では弥助が記録に残る最初の外国人武士であると伝統的に理解されています。
弥助は少なくとも一度は信長の戦いに同行した。彼らは、織田家の不倶戴天の敵である武田家が長年保持していた富士山のすぐ北の領土を征服していました。弥助は、安土へ帰る途中、聖なる山のすぐ南で日本人日記作家によって観察された。
伝説によると、信長の最後の命令は弥助に下され、敵の手に首が落ちないように守れと命じられました。
彼は大名が亡くなったとき、ノブナガの側にいました。一般的な言い伝えによると、信長は弥助に首を息子に返すよう命じました。
「信長を取り囲む非常に小さな取り巻きの一団で、その武士はおそらく30人から50人ほどで、主に若い男性で、その多くは信長の愛人でもあった」とロックリーは言う。
伝統的に、当時50代前半だった信長のような年長の武士は、若い武士を指導し、性的関係を育んだ。弥助と信長が恋人だったことを示す証拠はない。
最終的に、信長、弥助、そして当時の領主の愛人だった森蘭丸という従者は、寺の部屋の一つに退却した。ここで信長は蘭丸に斬首される前に、刀で腹部を切り裂かれて切腹を行った。その後、蘭丸も切腹し、今度は弥助に斬首を求めた。
信長と蘭丸が死ぬと、弥助は主君の首を引っ張って寺から逃げた。信長の遺体を守ることで、弥助は光秀が敵の首を奪い、正当性と権力を確立する手段として見せびらかす機会を奪った。
歴史家たちは、弥助は信長と会話できるほど日本語が堪能だったと推測し、またすぐに信長に兵士としての腕前を証明したとも考えている。最初の出会いの直後、信長は弥助に日本名を与え、仕官を認め、記録に残る外国人として初めて侍の称号を与えた。弥助はまた、信長と食事をした数少ない人物の一人であり、二人の関係が親密であったことを示している。
弥助は武士として、信長のために何度か戦っただろうが、正確な数は不明である。
敗戦を覚悟した信長は、自らの死と名誉を守るために切腹した。弥助が信長の介錯人(切腹する人の首をはねる役目)を務めた可能性もある。
「彼は腹心だったようです。ノブナガは彼と頻繁に話していたことが記録されています」
「記録はありませんが、敵から救うために信長の首を奪ったのは弥助だと言い伝えられています」とロックリー氏は語った。 「もし敵である明智が首を手に入れて、首を掲げることができていたら、彼は正統性の強力な象徴となっていたでしょう。」ロックリーは、そのような行為が明智に統治者としての信頼を与えるだろうと説明した。信長を攻撃した後、明智は多くの支援を得られず、すぐに戦いに敗れました。 「したがって弥助は首を持って逃げることで、日本の歴史を変えたと見なされてきたのです」とロックリー氏は語った。
@a65944346 この騒動を追っていると外国の方がソースとしてBBCやCNNやブリタニカやスミソニアンの記事を貼ることが非常に多いんですよ。そのどれもがロックリー氏の書籍に依拠する部分が多いのです。
2024-05-20 13:18:53ずんだもんの歴史解説動画を見たときに、何故か弥助の戦歴に伊賀攻めが加わっていたから「何で?」と不思議に思ったんですよ。元ネタ誰? pic.twitter.com/iyAcdxWZVG
2024-05-20 15:20:44UBI公式のポッドキャスト(5月27日放送)で語っていたこと
UBI公式のポッドキャストEchoes of Historyより 『Yasuke The First African Samurai』(トーマス・ロックリー)open.spotify.com/episode/1vFxe5…
2024-07-09 18:09:30「(研究によると)弥助はアフリカで人身売買されたが、インドで傭兵として雇用されていた。イエズス会は刀や武器を持つことはできないので、日本にやって来るときにボディーガードとして雇われた可能性が高い。また、日本に来る前に何らかの軍事訓練を受けていた可能性が高い。」
2024-07-09 18:10:23「(日本人が弥助を見て騒いだ理由は)その大きさで目立っていたのであって、必ずしも黒い肌であるという事実で目立っていたわけではないのです。当時の日本人の平均身長は150センチ前後で、これは楽観的な平均値だろう。弥助は頭一つ抜けていました。」
2024-07-09 18:10:55私には150cmと聴こえたんですけど、これだと彼が広報してきた日本人の平均身長の中で最小になりますね。リスニング力に自信のある方に確認していただきたいです(6:18)。この身長無双のくだりは大変人気があるので、小さい方に盛ってしまった可能性があります。
2024-07-09 18:50:30「一つの解釈だが、ブッダや様々な神々は黒い肌の人物として描かれることが多いので、多くの人々は神聖なものに思えたかもしれない。信長は弥助を側近にすることで以前よりさらに神々しく見えるようになったことだろう。」
2024-07-09 18:11:47これは『弥助が背負わされた重い感情まとめ』でも取り上げた通り、史実クリエイトの方向性の一つである「黒い肌に対する好奇心の否定と畏敬の念の付与」をなぞったものですね。「togetter.com/li/2379650#h23…」
2024-07-09 18:13:38「弥助が他の10人と相撲を取っている素晴らしい屏風がある。私は99%の確信をもって、それが弥助の唯一の真実の姿だと断言できる。」「彼が剣のトレーニングをしたかはロマンチストとしてはイェス。歴史学者としてはノー。」
2024-07-09 18:15:30「弥助はおそらく生前の信長を見た最後の人物です。側近30人のうちの1人でした。一般的な言い伝えによると (The normal legend goes)、信長の首を蘭丸が斬り、蘭丸の首を弥助が斬り、弥助は信長の最期の命令に従って首級を持って信忠の元に走ったと言われています。」
2024-07-09 18:16:045月27日の放送です。大体CNNに話したことがベースになっていますね。そろそろ批判の声も届き始めた頃だからか、大黒天のくだりは「解釈ですが」と予防線を張っています。
2024-07-09 18:23:15
「弥助は友好の象徴」「弥助レジェンド化はそこまで大事にはならないだろう」という希望的観測でまとめましたが、日本文化の侮辱に繋がるノイズが見つかるようでしたら、このまとめを外国人さんに紹介してくださいな。
海外の掲示板やJapan Timesで『African Samurai』の日本人ファクトチェッカー扱いされていた桐野氏が、実際には日本版を一読して少し意見しただけだった件、「小姓だからエリート」という主張に待ったをかけていた件を追加しました。