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Conversation

夏に向けて戦争の話題が多くなる。しかし、多くは自虐史観で真実を隠している。 そこで今日は、日本が、日独伊三国間条約と日ソ中立条約という対立する2つの関係の中、独ソ戦争でソ連軍への武器弾薬燃料食糧の輸送に日本海軍が協力した話をする。 日本が優先したのは「日ソ中立条約」だったのじゃ! まず、第二次世界大戦当時、 日本は1940年9月に日独伊三国間条約を締結し 1941年4月に日ソ中立条約を締結した。 1941年6月にドイツとソ連で戦争が始まると、 日本は日独伊三国間条約の立場になるか、日ソ中立条約の立場になるかで揺れ動いた。 陸軍は日独伊三国間条約を優先すべきだと考え、関東軍特種演習と称してソ連との戦争を意識したが、 海軍はナチスよりもソ連との条約を優先すべきだと考えた。 では、ソ連への支援とは具体的に何か? 当時、アメリカではリンドリース法というソ連に武器弾薬を支援する法律が可決され、 米政府が自国企業に兵器製造を発注し、 完成した兵器をソ連に海上輸送していた。 戦車、戦闘機、あらゆるものじゃ。 PQ船団とかが有名じゃな。 この輸送航路は五つあった。 北海経由、地中海経由、喜望峰経由、ベーリング海経由、そして日本海経由じゃ。 大西洋を通るコースは、ドイツ海軍の潜水艦隊などによる通商破壊作戦でとても危険だった。 しかし、日本の領海である宗谷海峡(樺太と北海道のあいだ)を通過して、 ウラジオストク港に入り、 日本海から対馬海峡を抜けて帰るコースは安全だった。 日本はまだアメリカと戦争をしていなかったからじゃ。 しかし、1941年12月に日本とアメリカの戦争が始まると、 日本政府は非常に困ったことになった。 駐日ドイツ大使は 「日独伊三国間条約によって日本海軍はソ連行きのアメリカ輸送艦隊を攻撃しろ!」 と主張した。 一方、 駐日ソ連大使は 「日ソ中立条約によって日本海軍はソ連行きの輸送艦隊を攻撃するな!拿捕するな!」 と主張した。 日本政府は議論を重ねた。 外務省は 「船の国籍は製造国で決まり、積荷の所有者の国籍ではないから拿捕または撃沈すべき」 と、ドイツ寄りの立場を主張した。 海軍省は 「船の国籍は積荷で決まるからアメリカで製造された輸送艦で乗組員がアメリカ軍人でも日ソ中立条約が適用できる」 とソ連寄りの立場を主張した。 結局、海軍省の主張が通り、 ソ連行きのアメリカ輸送艦隊は、 日米戦争中も日本の領海を通航できるようになった。 でもな、『ジェネヴァ条約の原則を海戦に応用する条約(明治44年条約第10号)』第22条で、船の国籍は建艦地で決まる。 海軍は国際法を曲げてまでソ連を支援したわけじゃ。 レンドリース法でソ連に送られた武器弾薬の50%以上は、日本海軍の協力によってソ連に到達した。 このレンドリース法支援がなければ、 ソ連はドイツに勝つことは出来なかったのは言うまでもない。 この事実は、日本では全く知られていないが、イギリスでは有名な話じゃ。 日本海軍の上層部が共産化していたのか、ナチスが単に嫌いだったのか、わからない。 しかし、客観的に言えることは、 日独伊三国間条約よりも日ソ中立条約が優先されたという客観的事実じゃ。 中立条約が優先される同盟などこの世にない。 つまり、日独伊三国間条約は同盟とは無関係の条約であったことが客観的にわかるな。 アメリカと日本が戦争中、アメリカ東海岸で生産された武器弾薬は、鉄道で西海岸に輸送され、 そこから輸送船で太平洋を渡り、千島列島を通過し、北海道と樺太の宗谷海峡をわたり、 ウラジオストック港に陸揚げされた。 そして、空になった輸送船は対馬海峡を抜け、再び太平洋をわたりアメリカに帰ったのじゃ。 ソ連行き輸送艦隊への攻撃は、 伊180潜(艦長 藤田秀範大尉)が1944年4月19日にアラスカ湾にて雷撃をしてリバティ輸送艦を撃沈したことがあるが、 日本海軍によるレンドリース法輸送艦への攻撃は公式にはこれ一件のみじゃ。 日本は、ドイツとは一切同盟関係になかったことがわかるエピソードとして知られる。 歴史をフィクションで修正することは許されない! 日本はナチスの仲間ではない! ありもしないことを言うのは人種差別じゃ! われ正気か! みんなの意見を聞かせてな! ところで私が書いた『われ、正気か!』という本は、日本があゆんだ外交と戦争の方向性について歴史的背景をわかりやすく、地元の言葉、広島弁で解説した。 教科書には嘘ばかり載っているから気をつけてな! 正しい歴史認識がなければ国際紛争の荒波を生き残ることはできん! 読んで深く知り一緒に日本を守ろうな! amzn.asia/d/0F6WSxq 電子版も各社ある! 地元図書館や学校にリクエストして応援してな! 文章が気に入ったらフォローしてな!
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