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「家父長制」を正しく知ろう。

こんにちは、フェミニスト・トーキョーです。

今日は、とある漫画家さんの投稿を元に、その内容が「家父長制の権化である」かのように扱われていることに対して深く疑問を持ちまして、あらためて考える機会にしていただければと急遽まとめました。

いつもにも増してとりとめのない内容になっておりますが、書いている私も頭の中に色んな考えがグルグルと渦巻いている状態ですので、読まれた方も無理に結論を急がずに、一緒に考えていただければ幸いです。


発端の投稿とその反応

きっかけは、以下の投稿でした。

明記はされていませんが、おそらく小田急線内で発生した無差別傷害事件への反応として、漫画「生理ちゃん」で知られている、小山健さんによるイラスト投稿です。

個人的な見解としては、これは、

「ある父親という存在をメタファーとして、人生においていつ訪れるか分からない不幸な瞬間のために、大切な人間との限りある時間を尊ぼう」

という雰囲気のメッセージだと受け取りました。

ですが、

この「父親」の部分に反応した方が少なからずおりまして、その中でも、

という感じに、何故か家父長制の話と、家父長制とは言わずとも女性が父親の所有物のように扱われているという論旨を持ち出す人がリプ欄に続出しており、ねじ切れそうなくらいに首を傾げまして。

いや……あれ?ちょっと待ってください?

家父長制ってそういうものでしたっけ??

と思ったのです。


あらためて「家父長制」とは

家父長制は、一般的には以下のように定義づけされています。

家長たる男性が権力を独占し,父系によって財産の継受と親族関係が組織化される家族形態にもとづく社会的制度。
父権制ともいい,英語ではpatriarchy。

国家体制が家父長制的家族形態に擬せられることも歴史上多く見られる。フェミニズムの立場からは、女性を抑圧しつづける権力構造であり、性差別を生み助長してきたとされ、フェミニズムはこうした状況を打破し変革する運動と位置づけられている。

<出典:株式会社平凡社 百科事典マイペディア>
この家父長がもつ権力は無制限かつ恣意(しい)的で、しきたりとなっている伝統的規範が侵しがたいものだという信念に基づく個人的な服従によって正当性を与えられている。
それゆえ、他の伝統によって制限されたり、または競合する他の権力によって妨げられたりしない限りは、まったく自由気ままに行使される。

<出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)>

これは日本のみならず世界中において見られてきた概念で、家族制度において男性である家長が絶対的な支配権を持ち、家族全体をいわば封建社会とその首長のように隷属的に支配するものです。

家父長制そのものの是非については、それだけで長文記事が余裕で書けそうなほどのトピックですので、ここでは今回の件が家父長制の概念に該当するのか?という点に絞って見ていこうと思います。


どの辺りを「家父長制」だと見たのか?

例として引用したリプを含めて、反発している他のリプなども含めて見ていると、

「育てた父親が悲しむから、女性を傷つけるのはいけないことだと語られている」
「父親が大事に育てたからこそ女性には価値が生まれるというのか」

といった論旨が多いようで、つまるところ、

「女性が父親の所有物として扱われており、その所有物が傷つけられることに悲しみを抱いている」

と、解釈されているようです。

これには面食らったと言いますか、自らの価値観をひっくり返されつつ、なるほどそんな解釈があるのか……と、しばし呆然となりました。


疑問その①:父親が大事に育てた子供は、父親の「所有物」になるのか?

この話が家父長制に紐づくのかという点において、まず第一の疑問はこれです。

再び元ツイートを引用させていただきますが、

吹き出しにあるイラストは、子供が生まれてからの思い出を綴ったもの以上でも以下でも無いように見えます。

それを、父親とおぼしき人が回想しながら、娘に危害を加えようとしている人間を制止しようとしている、という構図なわけですが。

ここで私が重要だと思ったのは、このイラストに当てられている文言が、

「どれだけ大事か 話せる時間」

だという点です。
もしこれが、

「私の娘を傷つけないで!!」

などの文言であったなら、

「”お前の”娘とはなんだ!」
「女子をモノのように扱うとは!」

という批判も、分からなくはないというか、いや全く分からないですけれど、いちおう理屈としては通るかなと思います。

ですがこのツイートは、イラストとこの文章から素直に真摯に読み取るならば、やはり最初に私が申し上げた、

「ある父親という存在をメタファーとして、人生においていつ訪れるか分からない不幸な瞬間のために、大切な人間との限りある時間を尊ぼう」

という解釈になるのではないでしょうか?

投稿者の書いた文章をサラリと無視し、そこに独自の解釈をねじ込むのであれば、それは世間一般にいうところの曲解以外の何物でもないと思います。

***

また、あえてその曲解についても語るのであれば、三度このイラストを引用させていただきますけれども、

画像1

この吹き出しにあるような交流を、娘さんとしたことがあり、思い出に持っている父親は、みんな、娘を所有物のように考えている、ということでよろしいのでしょうか?

そして、それらのかけがえのない時間を胸に抱いて、子供に危機が及ぶのを憂うことを、自分の所有物が傷つけられるのが嫌だ、と考えている、と、本気で仰るのでしょうか?

あるいはさらなる拡大解釈として、

「こうして父親に大事に育てられたのではない女性には価値が無く、殺されても仕方のないものだという意識が垣間見える」

という論理展開をされて、それにもたくさんの同意が集まっていましたが、

そんなことどこにも書いてありませんよ?

というよりも、仮にそうだと仰るのならば、

「愛情を持って育てた子供に危機が及ぶことを憂う気持ち」

という心からの願いがあったとして、それはいったい、どのように表現するのが正解だと言うのでしょうか?

このイラストが正解ではないというのであれば、ご自身の考える正解例を示してからご批判されてはいかがかと思います。


疑問その②:結局のところ、これは「家父長制」に該当するのか?


結論から言いますと、家父長制には該当しません

何故かと言えば、家父長制は封建社会の縮図とも言われる通り、家長の権力は絶対です。
言葉を選ばずに言うならば、家族に生まれたすべての子供は、生まれながらにして家長の所有物です

こうした家族は〈家父長制家族patriarchal family〉とよばれる。家父長paterfamiliasは,奴隷ばかりでなく妻や子どもに対しても(極端な場合)生殺与奪を含めて無制限で絶対的な権力をふるう。家族内のいっさいの権威は家父長にのみ帰属する

<出典:株式会社平凡社世界大百科事典 第2版>

つまり、大事に育てられたからこそ所有感が生まれる、などという感傷は一切挟まる余地がないのです。

加えて言うならば、これは何も女児に限ったことではなく、男子も権力としては優位性を得るものの、家長に歯向かうことは許されなかったという点において、扱いは同等です。

投稿のイラストにあるような心の交流によって、所有する側とされる側の関係が築かれる、などという甘いものではないのです。

***

そうした意味合いで言うならば、イラストの父親は涙を流して懇願しているように見えますが、本来の家父長制において家長が犯人に対して抱くべき感情は、自らの所有物を侵害されたという、怒りと憎悪であるはずです。

そうしなければ、自らの家の人間に示しがつかないのが家父長制だからです。
メソメソ泣いているのではなく、すぐに拳を振るいあげ、一族に害を為す敵を打倒しにゆく号令を発するのが、家長としての第一の務めなのですから。


まとめ

疑問その②から続く話ですが、このイラスト程度で家父長制がどうのこうのと沸き上がっている方々は、家父長制というものを軽々しく扱いすぎです。

家父長制というものは、長らくフェミニストが戦ってきた家族構造であり社会構造であり、今もなお脈々と続いている、よくも悪くも一つの人類文化です。

女性が所有物として扱われる、というのも、歴史的に見れば、本当にただのモノとしてしか扱われなかったような時代を経てきて、今があるのです。


誓って申し上げれば、私は家父長制を擁護するつもりなど一切ありません。

ですが、というか、だからこそ余計に、正しく知り、理解し、その上で人権に対し憂慮すべきことがあれば立ち向かいたいと考えています。

一つの言葉が持つ威力は、時として絶大です。
言葉のレッテルを貼られたものは、容易にその呪縛から抜け出せなくなることもあります。

最後にもう一度申し上げます。

強い言葉ほど、正しく知り、正しく用いましょう。


結びとして

最後になり誠に恐縮ですが、事件に遭われ心身に傷を負った被害者の回復を心よりお祈り申し上げます。

また、現場にて対応にあたった鉄道関係者の皆さま、ならびに緊急の要請に応じて即座に協力されたという医療従事者およびエッセンシャルワーカーの皆さま、そしてもちろん居合わせたという縁だけで尽力された全ての協力者の方々に、最大限の畏敬の念を表します。

(了)

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  • 17本

コメント

raphis214
Twitterで他記事を見つけ拝読させていただきました。
冷静かつ的確な考察だと感じました。
昨今は何かにつけて炎上しやすい傾向にありますが、そのすべてが揶揄されるべき案件ではないと実感しています。
心理学のテストで、同じ模様を被験者に見せてどのように見えるかでその人の心を知るようなものがありますが、
ヒビの入ったメガネをかけてそこを通して見るとすべてヒビが入っているように、このように感じる方々の心には何かしらの傷や苦しみがありそれが投影されてそのように感じられているのでしょう。

そのようなヒビわれに気付くには客観的な目線を中立的に訴えている考察に触れていく必要がありますし、これからも楽しみに拝読させていただきます。
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「家父長制」を正しく知ろう。|フェミニスト・トーキョー
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