「諦めない」とは?
諦めないこととよく混同されるのが、執着することです。
諦めることとは、もう見込みがないと思い断念することを主な意味として使われますから、諦めないというのは、見込みがないと思ったとしても断念しないということです。
一方、執着するとは、あることや物に強くひかれ、深く思い込んで忘れ切れないことです。
私自身が諦めないことと執着することの違いについて思っていることがあります。
「諦めないこと」には、明確に自分の思い描く将来像があり、その思い描く将来像に向かって諦めないことだと思います。
あくまでも、自分の気持ちが諦めないのであって、まだ、物事を広く考えられる状態であると思うのです。
「執着すること」は、思い描く将来像さえも忘れて、ある一つのことや物に深く思い込んで忘れ切れないことではないかと思います。
だから、何かに執着する時は、平気で人のせいにもします。我を忘れて一つのことや物にしか考えが及ばない状態なのですから、他人にまで気持ちは及ばないのだと思います。
執着し、人のせいにすることは、もう諦めていることです。
ずっと執着して考え、自分で解決しない、できない、だから人のせいにしてしまえ!
それはもう自分で解決することを諦めて断念しているからです。
私の
「諦めてはいけない」とは、
誰かのせいにして逃げないで、見込みがあろうと無かろうと断念しないで努力してみる価値はあるよ
ということです。
見込みがないとわかった時、自分の思い描く将来像により近い選択をし直せばよいのです。
その地道な努力を諦めないということです。
その努力もないくせに、自分の思いだけが強くて目的も失っていくことが執着になっていきます。執着は目的に近づくことはないので、気持ちだけが深くなり実現できない自分を認めたくなくて人のせいにします。
「諦めてはいけない」って、簡単じゃないですね。
「私、夫を諦めていませんから、女から取り返しますから」って、常に誰かのせいにしてたら、それはもう執着になっちゃったってことね。修正しなきゃいつまで経っても目的は達成されないですね