一人で怒る悔しさ。正義中毒も勝ち馬。

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ひとりひとりが独自の判断で怒り狂った結果として炎上するのではない。やはり正義中毒も勝ち馬である。よくよく考えると当たり前であり、一人で怒るのは悔しいのである。たとえばわたしが個人的におかしいと思っているのは、兼近大樹という犯罪者である。潜在的におかしいと思っている人間はわたしだけではあるまいが、いまのところ、兼近というお笑い芸人は平気でテレビに出ている。そして兼近大樹に対して、わたし一人で怒るのは悔しい。不思議と炎上しない話はそういうものなのだ。あと、以前からわたしがおかしいと思っていたのは小山田圭吾であり、1990年代に音楽雑誌のインタビューなどでいじめ自慢をしていたから、おかしいおかしいと思っていた。これも孤独であり悔しかった。ああいうインタビュー記事が平気で掲載され、まかり通っている世の中がおかしいと悔しい思いをしていた。みなさんの知る通り、小山田圭吾のいじめ自慢はなぜか数十年ぶりに発掘されて大炎上し、彼はすっかりそういうイメージになったのだが、なぜいまさらという気はしている。兼近大樹もWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の生中継に出てきたときは本当に唖然としたが、なんか不思議というか、大谷翔平の人格を褒め称えるひとは、兼近のような犯罪者にも寛容なのだろうか。小山田圭吾の事例にしても、おかしいおかしいとずっと思っていて、ようやく忘れた頃に炎上していたから、兼近大樹という犯罪者も、まあいずれ、とは思っているが、人間は本当に不思議である。小山田圭吾と兼近大樹のどっちが悪いのかしらないが、ルフィルフィとあれだけ騒いでいたのだから、小山田圭吾のいじめ自慢よりはよほど知られたはずである。一人で怒るのは悔しいから、関心を持ちたくないのだが、一応はネットに書いておこうと思う次第である。ちなみに、小山田圭吾のいじめ自慢の件もずいぶん前ネットに何度か書いたが無反応であった。正義中毒でこれだけ溢れているのに火柱が上がるまで乗ってこないのだから呆れている。
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