ハンナン事件 浅田満 その7

これら「松原食肉荷受」「松原ミートプラント」を運営していたのが第三セクターの松原食肉市場公社で設立されたのは86年。

 

 

資本金は1億円で出資者は大阪府4450万円、業界4450万円、松原市1000万円、府総畜連100万円。

 

10人の役員のうち副知事を含む5人の府幹部が就任していました。

 

しかし、開設以来赤字続きでこれまでに100億円を超える補助金を投入したものの経営状態はいっこうに改善されず、府議会ではたびたび乱脈経営と税金の無駄遣いが指摘され経営破綻の状態に陥っていました。

 

 

そこで持ち上がったのが、同公社の再編処理問題でした。

 

 

横山ノック府政時代から府内部でその処理方法をめぐる協議が続けられ、太田府政になってからの補正予算では、同公社の破綻状態を調べるために、1000万円の調査費が計上されました。

 

 

その調査結果を受けて、大阪府は府議会に処理案を提示しました。

 

 

その処理案の柱は、松原食肉市場公社は廃止し、「松原食肉荷受」を核として松原、羽曳野両市場の機能を一本化。市場開設・と畜解体・卸売を行なう完全民営の新会社を設立、府は同公社へのこれまでの貸付金14億円を放棄、完全民営化の新会社に府は29億円の補助金を出し新会社の運営資金などに無利子で25億円貸し付ける・・

などというもので、府の負担は総額68億円にも上る案でした。

 

 

またこの処理案は、同公社は購入時20億円を投じた市場用地を府に寄付し、府はこの土地を公的支援の一環として、無償で新会社に貸し出すといったまさに至れりつくせりの案でした。

 

 

この異常なほどの優遇ぶりは処理案の中身を検討すると、浅田氏が代表取締役を務めている南大阪食肉畜産荷受が問題視され、府の処理案では新会社の採算ラインは年3万頭分の集荷が前提条件になっているうち、1万頭は羽曳野市場から移行。

 

 

このため羽曳野市場の荷受をしている南大阪食肉畜産荷受は解散し、年1万頭の牛の営業権を新会社に譲る代わりに、新会社への府の補助金から営業権保証として4億円を受け取る、というものです。

 

 

ところが、羽曳野市場の集荷数は、85年の4万9000頭を最大に年々減少。

 

 

2000年度の実繚は、1万3500頭でした。

 

 

しかも処理案では、羽曳野市立と畜場は、今後も1万頭以上の食肉業者が自ら販売する生体をと畜・解体し持ち帰るいわゆる自家割と畜場として存続することになっており、現実に移行できるのは、1万頭にはほど遠い3500頭にすぎなかったのです。

 

 

明らかにおかしな処理案であり、浅田氏へのあからさまな営業権保証を前提にした案でした。

 

なぜかというとそれは太田知事と浅田氏との驚くべき関係にありました。

 

 

横山ノック前知事がセクハラ事件で辞職した後に行なわれた2000年2月の知事速挙の最中に浅田氏と面談。

 

 

ついで、浅田氏がクニマチをしている大相撲の八角(元横綱・北勝海)部屋の力士激励会に出席、そして7月8日には羽曳野市にある浅田氏の自宅に招かれ接待を受けました。

 

さらに、2001年の大阪府食肉事業協同組合連合会の新年互例会に出席し浅田氏と会い2000年10月には浅田氏の親族の結婚式に、太田知事の夫が招待されて出席していました。

 

結婚式は故中川一郎農水大臣の元秘書で当時自民党の総務局長だった鈴木宗男・前衆院議会運営委員長が仲人をしました。

 

 

太田知事は夫の結婚式出席については

「関係業者から私に依頼があったが断わった。その直後、夫に直接依頼があり夫は事情がよくわからないまま私の代理で出席しなければならないと思い承諾した」

と弁明。

 

 

また浅田邸では、浅田氏の一の子分と言われていた、前述の自民党・岡田進元府議会議長をはじめ、北浜正輝・同元議長、杉本光伸・同元議長、橋本昇治・同元議長、北川一成府議、原田憲治府議の6人の自民党府議が、府側からは太田知事をはじめ、梶本徳彦副知事、古財正三・環境農林水産部長、神尾雅也・知事公室長、桝谷真一秘書課長が参加し、浅田氏から酒食のもてなしを受けていました。

 

 

巨額の赤字を抱えた松原食肉市場公社の処理問題は、ノック前知事時代からの懸案事項で、ノック知事の側近中の側近として知られていた古財知事審議官が、2期目のノック府政の人事異動で、格下げとなる環境農林水産部長に就任、この人事は松庶食肉市場公社の処理の一環ともいわれていました。

 

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ハンナン事件浅田満 その6

田尻町では駅前再開発構想予定地約100坪を浅田氏が社長を務める羽曳野市の金融業アークライトによって事前に買い占められ、町議会で問題になっていました。

 

当時、田尻町長は町議会で「浅田満氏と親しい間柄といわれているがどうか」と質問され「そういうことは報告する義務はない」と否定しませんでした。

 

ハンナンには都合二十数社からなるグループ企業があり、そのハンナングループには地元羽曳野市の公共事業受注をめぐってたびたび疑惑が取りざたされました。

 

羽曳野市は73年から89年までの4期16年、共産党員が市長に選出された自治体として知られていますが、福谷剛蔵市長になってからはハンナングループが市の公共事業を独占するようになりました。

 

たとえば92年羽曳野市立と場の増改築工事を当初16億円でハンナンのファミリー企業「昭栄興業」がほかの建設会社との共同企業体で受注しましたが、落札から1か月も経たないうちに事実上浅田氏が支配する地元の食肉組合が工事内容の変更を要望。

 

福谷市長はこの要望に添って93年2月、市長の専決処分で予算規模を22億円にアップし、さらに議会で「27億円にグレードアップする」と表明。

 

また市は同じくファミリー企業の浅田建設に91年から95年の間、公共事業12億5000万円を発注していました。

 

市が5年間で両社に発注した工事は44億円にもなりましたが、97年の市議会で実は両社とも本社と称する羽曳野市内の浅田ビルには実在しない幽霊会社だったことが発覚。

 

ハンナングループは、市議会で追及されたその翌日、昭栄興業名のトラックで本社所在地に登録している浅田ビルに机や機材を急遽運び込み、ビル内の案内プレートを、「阪南畜産」から「浅田建設」「昭栄興業」に書き換えました。

 

福谷市長の後援政治団体「羽曳野政経研究会」の顧問には浅田建設の役員が就任していました。

 

また、ハンナングループが、同市長の支援団体に1100万円を献金したり、ハンナンマトラスが社有地を市長の選挙事務所に提供するなど、福谷氏と浅田氏との間柄は、浅田氏が「羽曳野市の影の市長」と言われるほどでした。

 

畜産振興事業団の汚職事件以降、浅田満氏の名前が再び登場することになったのは、大阪府知事が太田房江氏になってからのことでした。

 

太田知事は、横山ノック前知事が辞任に追い込まれた後の2000年2月の選挙で知事に当選。

 

太田氏は自民党幹事長だった野中広務氏と公明党が主導した候補者選びで浮上した旧通産省出身候補として出馬。

 

その太田知事もまた浅田疑惑の渦中の人で、その一つが大阪府の第三セクター、松原食肉市場公社の統廃合再編にまつわる疑惑がありました。

 

大阪府下にある食肉卸売市場は、松原市場、羽曳野市場、大阪市・南港市場の3か所にありますが、疑惑の舞台となった松原市場は、荷受業務を行なう「松原食肉荷受」と、と畜解体業者 「松原ミートプラント」で構成されていました。

 

つづく

 

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ハンナン事件浅田満 その5

96年からは関西空港の全体構想を盛り込ませるための促進キャンペーンが始まりました。

 

そして、当時の中川和雄府知事が、泉南市などの地元自治体が貴重な財源としてあてにしていた空港施設の固定資産税を地元自治体の財源には組み込まず、全体構想の事業費に充てると表明したため、泉南市議会は反発。

 

 

そして94年3月、周辺自治体が全体構想促進決議を上げるなか、泉南市は唯一、地元無視の全体構想計画実行に反対する決議しを賛成多数で可決しました。

 

 

この反対決議に大阪府や関西財界などは衝撃を受け、地元自治体議会が反対の声を上げるプロジェクトに、国がすんなり首を縦に振ることなど考えられない事態になりました。

 

 

「反対決議の動きに、中川知事はあわてふためき、『泉南の言うことはなんでも聞くから、それだけはやめてほしい』とあらゆるルートを使って阻止に出た。当時の自民党の岡田進府議会議長が、反対決議に相乗りしていた泉南市議会議長に『やめとけ』と圧力をかけたり、旧社会党や旧民社党の府会議員から系列の泉南市議会議員に『除名』をチラつかせて、反対決議已ないよう、執拗な働きかけがあった」

 

との証言もあったくらいでした。

 

 

事の重大さにショックを受けた当時の泉南市長は、反対決議直後に突然、引退を表明。

 

 

追い討ちをかけるように、同市長は脳溢血で倒れ、翌日急死。

 

 

3か月後の6月、この「反対決議」が一転して撤回されることになりました。

 

 

新市長当選のわずか一週間後、中川府知事と当時の浦西良介筆頭副知事が新市長と面談し、反対決議撤回について協議したことから市議会の空気ほ一変しました。

 

 

反対決議は撤回されることになったのですが、この不可解な反対決議撤回をめぐつて現ナマが動いていたことが発覚、市議会議長と元議長が贈収賄事件で大阪府警に逮捕されてしまいました。

 

 

そこでは、現金の出所が、地元のミニコミ誌の主宰者だったと判明しました。

 

 

どうして、ミニコミ誌の主宰者なのでしょうか。

 

 

反対決議撤回から約1カ月後の94年8月初め、大阪ミナミの高級料亭で、浦西副知事、ミニコミ誌発行人、同発行人の知人、泉南市市長、のちに汚職事件で逮捕された当時の泉南市議会議長、同市議会議長に「反対決議はやめよ」と圧力をかけた岡田進・前大阪府議会議長(当時)らが会合し、反対決議撤回の慰労会を開きました。

 

 

宴席で下座に座った浦西副知事が、上座にいたミニコミ誌発行人らに「いろいろ努力してもらいありがとうございました」とお礼を述べたとされています。

 

慰労会出席者の人選は、このミニコミ誌の発行人が行なっていました。

 

宴会参加者の中に、反対決議撤回で現金を市議に渡すなど、フィクサーの役割を果たしたミニコミ誌主宰者の知人が同席していたとされていましたが、この知人こそハンナンのオーナー浅田満氏のことでした。

 

浅田氏は、当のミニコミ誌のスポンサーの一人でした。

 

 

当時の泉南市議会関係者は、「反対決議撤回の動きが表面化した時期、のちに逮捕された市議会議長はしきりに浅田氏のことを話題にしていた。自宅を訪問したらしく、なんでも建設費は70億円ですごい豪邸やったと言っていた。経過を振り返ると反対決議撤回の真のフィクサー役は浅田氏だったということになる」と証言。

 

 

また、泉南市議会議長に圧力をかけた岡田進・元府議会議長は当時大阪府藤井寺市出身の府議会議員で、藤井寺市を含む南河内地方の地元政界を事実上動かしていたと言われていた浅田氏の一の子分としても知られていました。

 

 

浅田氏が関空開発をめぐつて暗躍したのはこれだけではなく、地元自治体の再開発計画予定地を事前に買い占めていたことも分かりました。

 

 

泉佐野市では、当初、外資系ホテル、大手スーパー「マイカル」を核にした駅前再開発事業が計画されていましたが、その用地の一角をハンナンの関連会社で、浅田氏が代表取締役を務める食肉販売会社ハンナンマトラスが買い占めていたのです。

 

 

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