【歴史解説】戦国・穢多、
非人!人ならぬ者の物語!【MONONOFU物語】
こういう事を学校できちんと
教えるべきだろう。
幕末に咸臨丸で日本人はアメ
リカに初めて渡ったが、その
操船を為した「かこ」と呼ば
れる人々も「賤民」と呼ばれ
た階級だった事も教科書には
出て来ない。
実は、日本の文化や各種技術
は「賤民」と呼ばれた階級に
置かれた人々によって築かれ
てきた。
刀鍛冶でさえ元来は「賤民」
階級だった。
歌舞伎役者たちも。
そして、江戸期の出版関係の
人たちも。
医者も産婆もそうだった。
日本の教科書では、階級身分
により最下層の階級に置かれ
た人々が差別された事のみを
教える。
だが、実は日本の歴史の中で
多大なる功績を残して、日本
を作った人々に「賤民」階級
の人々が属した事を一切教育
しない。
さらに、部落差別は明治以降
に差別の再生産がされて、見
かけ上の階級は無くなっても
江戸期以上の差別が国内で明
治以降に横行した事も学校で
は教えない。
そして、今でも部落差別はこ
の日本において強烈に残って
いる。
これは首都圏都心部でもそう
であり、西日本地方では目を
覆うような差別意識と実際の
差別が大手を振ってまかり通
っている。
多くの人たちは「見ない、聞か
ない、言わない」事でその場
のみを局所的にスルーしよう
としている。
だが、部落差別は過去のもの
ではなく現在も強烈に残存し
ているのが現実だ。
部落差別は、職業差別でも地
域差別でもない。血脈差別で
ある。
穢れを払う能力があるとかつ
ては特別視された人々が、そ
の存在そのものが穢れである
と故無く見做されて差別され
るのが部落差別だ。
そして、それだけではなく、
就職や結婚についても差別
され続けていたし、現在でも
結婚差別などは根強く存在す
る。
病院も出産施設も看護施設も
かつてはそうした「賤民」階
級に置かれた人々が一手に担
って日本の人々を助けて日本
の歴史を形成していた。
人の生にかかわる今でいう医
師も看護師も助産婦も、また
人の死にかかわる埋葬者も、
すべていわゆる「賤民」階級
に置かれた人々だった。
この動画で解説されている
ように、日本の歴史の中で
日本の人々を救っていたの
はそうした「賤民」階級に
置かれた人たちだった。
だが、「穢れが多い」「人に
非ず」としての呼称まで植え
つけられて、日本人の最下層
に置かれた。
地域でも職業でもない。血脈
によって。
「えた」「ひにん」たちが武
士の委託を受けた下級警察官
として脇差を帯刀して農村の
叛乱監視や取締り、街道沿い
の門番を任じた歴史事実も
学校の教科書では教えない。
豊臣秀吉が「非人村」の出自
である事さえも隠ぺいしたま
まだ。(藤吉郎は若年の頃、
猿回しを得意とした)
広島藩においては、「かわた」
と呼ばれる階級があった。
これは別地方では「えた」と
呼ばれる階級だ。
「かわた」たちは、藩の命によ
り各農村に少数家族で配置され、
居住する住居は「革田小屋」と
呼ばれた。
主たる任務は農村での一揆監視
と報告と取締りの「横目(=監
視任務)」の役だ。
これは広島藩領内全域に配置さ
れた。
また、広島城本藩では「かわた」
による今でいう特殊部隊が創設
され、隊員たちは武士顔負けの
武技を修練し武術に精通してい
た。広島藩のそれは「岩関流」
といった。私は皆伝書実物を
見たが、総合格闘術であり、
柔から捕縛術、居合から鎖鎌な
どの刀槍武術にまで修練科目が
及んでいる。
その広島藩「かわた」部隊が
藩内の百姓一揆鎮圧に出動し
た記録がある。
その時には形勢悪く、武装す
る農民数千人に取り囲まれて
絶体絶命になった。
広島藩の精鋭の「かわた」部隊
は50名で、鎮圧どころか生か死
かの局面になった。
だが、広島藩「かわた」部隊は、
全員が脇差を抜刀して切り抜け、
ただの一人の死者も出さずに生
還した。
その記録が藩に残っている。
広島藩においては百姓農民階級
が激烈な部落差別を為し、これ
は今でも農家こそが部落差別を
行なう筆頭だが、歴史的に農民
を監視して為政者の尖兵となっ
ていた血脈階級を敵視する歴史
性が現代でも続いていると思わ
れる。
今でも広島県の農村においては
徹底した部落差別教育が子孫に
対して非公然で為されており、
未だに強烈でエゲツナイ差別
感と差別言動を百姓たちは為
しているのが現実だ。本当の
現実。
それは表には出ないので、公的
糾弾対象にさえならない。
なお、全国で被差別部落地区が
一番多いのは広島県だ。
広島県内は江戸期から現在まで
農業に従事する被差別地区も多
いのだが、この動画にあるよう
に水はけの極悪な場所や山間部
に追いやられていたという現実
があった。
それを広島県の被差別部落の人
たちは「水との闘い」として、
先祖の悲痛な苦労話と環境改善
を目指す行動の歴史として後世
にきちんと語り残している。
人は憎まず、制度とその差別構
造を彼らは憎んだ。
そして、差別状況の中で必死に
毎日を生きて来た。
子どもたちは学校にさえ通えな
いような日々を送りながら。
江戸期には「えた」「ひにん」は
武士階級の下級官吏としても任に
ついていた。
それは江戸での道路の木戸番(ば
んたと呼ばれた)や、刑吏とし
て死刑執行や犯罪者の死体処理
を行なっていた。
町方の下級官吏である、いわゆる
よく時代劇に登場する十手持ちの
親分や下っぴきなども全員が「え
た」だ。
つまり、小説映画ドラマの「銭形
平次」は間違いなく「えた」階級
である。
また、江戸の市民の安全を護った
町火消たちも全員がそうした階級
だった。
このような事は、学校では教えな
い。
なぜ教えない?と感じる。
そこには「寝た子は起こすな」と
「見ざる、聞かざる、言わざる」
が美でありスルーする事によって
その場しのぎで自分が無関係を
装えばよい、とする歪んだ心が
厳然とある。
清く、とあるが、人の「清らか
さ」とは何であるのか。
それは血脈などには一切規定
されはしない。
やる事の中身そのものがどうで
あるか、心の在りかがどうで
あるのか、だ。
その本質を忘れて、血脈や出自
で人を見下して人ではないと
して穢れた者たちとする。
それが差別であり、実はその
ような心根を持つ人間こそが
心が穢れている。汚れ切って
いるのを通り越して、穢れて
いる。
自分に刃を向けて、まず自分が
どうであるのか、から始めない
と、日本人の間に今でも根強く
残存する血脈差別は消滅しない。
人が人としてすべての人が同じ
ように笑える日を願うためには、
まず自分がどうであるのかと
自問自省自戒、根本からの心
の改善と制度的な差別の撤廃
を願い、かつ行動しないと、
明るい未来は築けない。