計算ばっかしてんじゃねえよ。
東京在住の女性M様から「会いたい」とご連絡をいただき、喫茶店で合流した。自分には常に「足りない」という感覚がある。自分は基準に足りていないという思いがあって、頭ではこうした方がいいってわかっているのだけど、なかなか動けない。色々なものを手放したいとは思っているのだけれど、何が怖いのか、手放すことができない。見栄とか、美しくやらなきゃという思いとかを、手放したい。昔よりはマシになったけど、基準に足りていないという思いはまだある。M様は、そのようなことを話した。
私は「そんな気持ちを抱えながら生きるのは苦しくないですか?」と聞いた。M様は「そうなんです!」と、元気よく答えた。足りないと思う欠落の悩みと、余計な装飾を取り払いたいと思う過剰の悩み。矛盾する悩みが、一人の人間の中にある。引き裂かれる苦しみに悶絶しているのは、きっと、M様だけではないと思った。M様は言った。基準に満ちていないだなんて、自分の思い込みだったのかもしれません。それを謙虚なことだと思っていたけど、基準に満ちていない人なんて一人もいませんよね。そんなことより近くに酒場があるから、飲みに行きませんか。わたしがご馳走をしますよと言った。
最近、恋に悩む女性の方と立て続けに会った。何かに悩むと「どうするのが正しいのだろう」的な思考の罠に陥るが、正しさなんて、ない。正しさを考えた時点で、恋は終わっている気がする。もう、あなたは、彼のことをそれほど好きではなくなっているのではないでしょうかと思う。好きだから一緒にいるのではなく、一人でいるよりはマシだから、一緒にいるのではないでしょうかと思う。恋は一種の病気であり、あらゆる補正が目の前の相手をレオナルド・ディカプリオに変えて、欠点さえも愛しさに変える。正しいから一緒にいるのではなく、楽しいから一緒にいるのが筋だと思う。正しさを求めると、楽しさが消える。生きる喜びが消える。
経済的に自立したいと思う女性は年々増え、起業塾に通う女性も増えている印象を受ける。だが、私は、そんなものはやめてしまえと思う。私に「どうすればファンを増やせますか?」とか「どうすれば人から呼ばれる人間になれますか?」と聞く人がいるが、計算ばっかしてんじゃねえよと思う。頭を使うな。ハートを使え。起業塾で何を学んでいるのか聞くと、自分を発信しろとか、こう書けば読まれるとか、こう見せれば愛されるとか、最悪の場合は「他人の記事にいいねをすれば、自分の記事もいいねをしてもらえるからいいねボタンを押しまくれ」などと教えるところもあるらしい。最悪である。真面目な生徒たちは、日夜、泣きながら他人の記事を巡り続け、いいねボタンを押している。最悪である。バカの言葉を聞くと不幸になる。
うまくやろうとか思うな。綺麗にやろうとか思うな。自分の中にあるぐちゃぐちゃな部分を晒して「これが私の心臓です」と差し出すくらいが、ちょうどいい。心臓で書き、心臓で読む。どうするのが正しいかとか、どうすればうまく行くかとか、夢中になっていない証拠である。私は言いたい。計算ばっかしてんじゃねえよ。誰かに好かれようとか思うな。嫌われないように生きている奴が一番嫌われる。自分のために書きなさい。自分が一番の読者になりなさい。自分が自分の一番のファンになりなさい。自分の血が湧き肉が踊るものを書きなさい。自分が読みたいものを書きなさい。筋道なんて立ってなくていいから、それっぽいことをやめて、もっとぐちゃぐちゃになりなさい。ぐちゃぐちゃのカオスから、キラッと光る生命が顔を出す。ぐちゃぐちゃなお前を見せてくれよ。俺はそれを愛したいんだよ。別れ際、M様は「今日は泊まる場所はありますか?」と聞いた。私は「ないです」と元気よく答えた。M様は「これ、少ないけど使ってください」と言って、私に宿代をくれた。私は、こうして今日も生きている。
おおまかな予定
7月24日(水)東京都品川区界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
バッチ来い人類!うおおおおお〜!
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