わたしは何かと闘っているのだろうか、と考えていた。 わたしは差別主義者やヘイターと闘っているわけではない。 わたしが闘っているのは、トランスジェンダーの存在を「いないもの」とする社会だ。 差別やバッシングは、その「いないもの」とする社会のひとつの現われ方にすぎない。 「当事者&アライ」 VS 「差別者・ヘイター」 といった二項対立であらゆる人々のポジションを配置し、理解することなどできない。今の日本社会で暮らしている人たちの9割以上の人は、そのどちらの群にも属していない。トランスの存在が「いないもの」とされる社会なのだから、それは当たり前でもある。 Twitterのような場所では、「差別に反対しないことは差別を是認すること、差別することと同じ」といった話法がよく用いられる。しかしそれは、必ずしも100点満点でない(とされる)認識や言動をする人たちを「差別者・ヘイター」という名の箱へと押し込めるという、不毛な欲望を正当化する。その欲望は、不毛かつ暴力的な欲望だとわたしは思う。 わたしはトランスを「いないもの」とする社会を変えたい。それが、トランスたちの生の可能性を広げる道だと信じている。