2018.07.20 (Fri)
いつかの夢
しかし、なぜ大先生は変わらないのだろう、と考えていた。
まともな感性があるなら、時代の流れをそれなりに受け入れたり、新しい知識を得ることで発展的に変化していくほうが自然なはずなのに、大先生はなぜ、十年ものあいだおなじ主張を繰り返しているのか、と。
そんななか、ちょうど今日、この tweet を目にして、「ああ、若い頃の自分を追い続けているのだな」と納得した。
大した文才もないのに作品を残そうとするのも、お節介なレビューに心血を注ぐのも、すべては過去においてきたなにかのせいなのだな、と。だから現在の自分から脱却する必要もないわけだ。
そう思うと、なにかとてつもなく虚しい。
それにしても「インターネット上で意見を集められるから完成度が上がる」という理屈はだいぶ眉唾。現在の若者の作品のほうが優れて見えるのは、大先生の当時とくらべて、模倣の対象となるコンテンツが膨大だから、というだけのことではないか。
2018.07.20 (Fri)
お互いに相手を「馬鹿だ」と思っていれば まともに話ができるわけはなし
批判しか言葉を吐けない人ってかわいそうな人、としか思えないから心にもない一言に一瞬驚くだけで刺さらないしなんとも思わないんだけど、そんな人に限って好きな者に対しての熱が凄いしマジ〇〇神!崇拝してる!他はクズ!死ね!的な猪突猛進的なアレだろうなって。若いならいいけど老いてるなら心配
— りぼまる!!!! (@RivoXx) 2018年7月14日
で、出たー! 「訴えてやる!」www
(あちらはわたしのことを狂人だと思っているのだろうから仕方がないとはいえ) まともにケンカをする度量も能力もないから、とりあえず弁護士センセーの存在をちらつかせておけば黙るだろうというその発想、さすが権威主義者www
だいたい「実害」ってなに? 大先生のレビューが無価値だと皆にバレること?www
それにしても、シロートの趣味程度のことでも、やはりロクでなしのほうが生き残りやすいのだなあ、と感じる。
それが創作物であれ、それに対する賛辞・批判であれ、おかしなことを書けば馬鹿にされるのは当然であって、だからこそ必死になって考えたり、少しでも利口になろうと努めるわけである。
しかし、大先生やそのおともだちのような「品の良い方々」は、「創作 (や自分の活動) は尊い。褒められて然るべき」という前提を持ってテキストに向かい合っているから、他人の主張に対して快・不快や敵味方のような単純な反応しかできないのだろう。
要するに、他人さまの評価を YouTube の GOOD/BAD ボタン程度にしか考えていないわけだ。
だいたい、「批判しかできない人かわいそう」などと書いているが、善良というだけの「品の良い人々」は、褒めるといったって「面白かったです!」「感動しました!」以上の表現ができるわけがないわけで、いったいどちらが哀れか? という話である。
2018.07.13 (Fri)
あと半分 がんばってね
コメントをいただいたので、あらためて将棋の棋戦について調べてみたら、大先生、そこまでぶっ飛んだことを書いていたわけではなかった。
やはり、知識も興味もない事柄について軽はずみに語るものではない、と少し反省した。
ただし、それでも疑問は残る。
Wikipedia の情報「棋戦 (将棋) - Wikipedia」で申し訳ないけれど、
・将棋界はタイトル戦を中心に回っている。
・タイトルのなかでも「名人」と「竜王」は別格。
・名人はタイトルのなかでいちばん歴史が古い。竜王は名称が改まる以前のタイトルを含めれば二番目に歴史が古い。かつ、契約金の額による序列は一位。
……ん? シロートの目からでも、名人がないがしろにされているようには見えないのだけれど。むしろ歴史的な意義を尊重されているからこそ、特別扱いされているように思えるのだけれど。
しかも竜王戦自体の歴史も長い。序列も「契約金の額」で決まる。さらに序列といっても、機関誌の記載や署名の際の順番がどうとか、それだけ。名人・竜王が別格であることに変わりはない。
なんじゃそら。事実と大先生の認識がまったく異なっているのでは? (そして、やはり竜王の持つ「歴史」を軽んじている)
将棋関係者や棋士、そしてファンのなかで「名人はすごいよね!」という共通意識があるのなら、大先生は何に対して怒っているの?
読売が嫌いなの? 渡辺元竜王が嫌いなの? じぶんが「お金」にこだわっているだけ?
まさか、本気で「名人は万事において最前に据えられるべき!」とか考えているの? 意味がわからない。
いや、そもそもこの人はほんとうに将棋ファンなの?
2018.07.09 (Mon)
飽きるまで
まあ、自分のためですね。
大先生の tweet 群に目を通すと「歴史」に強く固執していることがわかります。
なるほど、確かに歴史を尊重することは大切かもしれません。
しかし、当の大先生自身が人類の愚かな歴史や先人たちが遺した叡智から、なにかを学んだようには見えない。そして再三指摘しているとおり、芸術に対する「敬意」もない。
ああ、なんのことはない。大先生はただの権威主義者でした。
早い話が (信仰心のほうはともかく) 皇室や将棋のタイトルは「長く続いているから偉いんだ!」(そして「そんな歴史を愛しているボクはスゴイんだ!」)というだけのことなのです。理屈よりかは思い込みに近い。
それにしてもこの「長いは偉い論」を聞くたびに思うのですが、このような主張をする人たちは例えば「人類がいちばん時間を費やしてきたのは戦争なのだから、もっと戦争しろ!」(これは大先生いってた)とか「売春は世界最古の職業なのだから、売春婦を尊べ!」(これも思ってはいそう)などとはいわないのですね。なんとも恣意的なのです。
とはいえ大先生、偉そうなわりには詰めが甘い。
(わたしに将棋の知識はまったくないと始めに断っておきますが) 例えば前回も引用した「将棋のタイトル」の件でいえば、
大先生が挙げた偉大な棋士のみなさんが「俺は歴史を作ったんだ!」とふんぞり返ったりすると思いますか?
あるいは生ける伝説・天才のなかの天才である羽生善治さんが「タイトルの歴史を尊重するべき!」なんてマヌケな発言をすると思いますか?
それを聞いた大衆が羽生さんを尊敬すると思いますか?
このように自問してみれば「一般人には納得が行かない」などという意味不明な主張がどれほど馬鹿馬鹿しいのか理解できるはずです。
(序列がどうとか、つまらないヤンキー漫画みたい。あるいは「じゃあおまえがスポンサーになって名人戦の賞金額を釣り上げれば良いんじゃねーの?」というか)
この主張、結局は「読売が嫌い」なだけなのがダダ漏れで一目瞭然なわけです。
「将棋の歴史ガー」は単なる口実にすぎない。別に歴史に対する真の「敬意」があるわけではないのです。
ただ、自分が精神的に依存し自己投影する対象 (ここでいえば「名人」) が最上位の権威ではないことが気に食わないのです。
グループアイドルで例えるなら「ボクの最推しのだれだれちゃんがセンターでないの、我慢ならん!」というわけです。
こどもですね。こどもジジイです。
と、ここまで書いても大先生やその周りの人たちにはなにも伝わらないのですから、大先生の説くレビュー論もどこまで実践可能なのか疑わしい限りです。
結局、皆が誠実さに欠けるから「配慮」や「敬意」を必要とするのでしょうね。
2018.07.08 (Sun)
天才
しかしこの tweet は読めば読むほどおもしろい。何度でも笑える。
これだけはほんとうに才能を感じる。お笑い流行語大賞決定だわwww
ただ「褒められて嬉しい」ことを伝えるだけのリプライでこの調子なのだから、きっと奥さまに対しても似たようなことを言ったのだろう。
「あなたへの慈しみを喜んでいただけるのが一番嬉しいと感じる私は、やっぱり (あなたの) 恋人というより、生粋の (生涯における) パートナーなのかもしれません。
結婚してください!」
こんなプロポーズをされたら Okay するどころか、キュンキュンしすぎてそのまま妊娠しちゃうね!www
あー、ウケるwww これを送られた「たぬ子」さんは笑いすぎて呼吸困難にならなかったのかな?www
2018.07.07 (Sat)
生きるとは
そして現実の世界では、その年に生まれた女の子がすでに芸能人として活動しているわけである。
わたしが大先生の存在を知ったのはそこからさらに数年後のことではあるが、それにしてもわたしもずいぶんと年を食ったわけだし、あるいは大先生がそんなにも長いあいだ変わらずあの調子というのも、どちらもまたおそろしい。
思い返してみれば結局、わたしの大先生に対する反発は、ある種の直感から始まったとしかいえない。自分でも確たる理由がわからず衝動的になっていた部分も大きかったが、いまとなっては大した感情はない。(数年間も好きや嫌いが続くほど器用な人間ではないので)
ただ、彼の主張や活動の問題点が明確に理解できるくらいには知恵をつけて、あながちわたしも間違っていなかったとか、ほんの少しはマシな人間になったのか、とは思う。
まあ、仮に「礼儀がなく乱暴だからあの人の話は聞かない」とか「配慮が行き届いているなら内容や姿勢は度外視」といったことが正しいこととしてまかり通るのなら、わたしたちの知性や良心はなんのためにあるのか。
といった問いを与えてくれるだけ、大先生も必要な存在なのかもしれない。
そもそも、打って響く人ではなし、道を戻る齢でもなし。呆れてはいるが怒りはない。
そのような感じ。
2018.07.07 (Sat)
千葉の星のあの人「かしゃ、かつらま、ぽ」
以前のアカウントでも将棋に関しての言及があったが、真面目に取り組んでいる棋士たちをここまで愚弄することばもない。
プロに近づけばそれだけ、より追い求めるようになるのは「勝ち」のほうだろう。タイトルは勝利の積み重ねの先にある結果でしかない。(そもそも狙ってタイトルが取れるほどかんたんな世界ではないらしい)
まともな棋士がタイトルの序列がどうのとごねたり、選り好みしたり、あまつさえ「読売が嫌いだから竜王なんていらねーよ」と試合を投げたりするわけがないし、そんなありえないことをする人間がプロ棋士になれるはずもない。
つまり、上のようなことを気にしているのは馬鹿だけ。
大先生の理屈は過剰なファン心理とすらいえないし、将棋界を正しく認識できているとも思えない。当事者たちに関係がないことを喚いてどうするのか。馬鹿か。
こんなくだらない妄言をさも正論のように発信するから、下品なじじい (一般人というよりイカれた歴史至上主義者) だと罵倒されるのだ。
大先生はわたしが彼を妬んで突っかかっているくらいにしか捉えていないのだろうが、そんなわけあるか!
だいたい、拝金主義を嫌っているわりには、自分も見事に商業主義の劣化コピーでご満悦じゃねーか!
「思想の問題ではなく、人間のあり方の問題!」www
2018.07.07 (Sat)
本州に渡ってくるの 禁止ね
あまりにも陳腐!www 結婚相談所のババアかな?www
以前に持っていた twitter のアカウントで、大先生は自分の読書量を誇っていた。
そもそも読書量を自慢するのも良くわからない心理ではあるが、結局、読書家といったところで向上しているのは読書の「技術」(より速く読めるとか要点を上手く掴めるとか)だけで、肝心の魂がなにも得ていないのであれば、まったく時間の無駄というほかない。
フリーゲームのレビューを書くにあたっては、レビュアーは2つの方面に配慮する必要があると思います。1つは、プレイヤー側、もう1つは作者側です。作者側に配慮するとは、「あなたの作品をプレイしました。面白かったですよ」と伝える事であり、プレイヤー側に配慮するとは「この作品をプレイしました。いい作品ですからお勧めですよ」と伝える事です(どちらの要素もないならば、そんなレビューには存在価値がありません)
さて、このように Blog のエントリで気炎を吐く大先生ではあるが、文才のカケラもない無能が、他人さまに「いい作品ですからお薦めですよと伝える」ことの傲慢さにはまったく気がついていないわけだ。
「どちらの要素もないならば、そんなレビューには存在価値がありません」などと偉そうに宣言しているが、まともな人間なら存在価値がないのは押し付けがましいお節介じじいのスケベゴコロに塗れた「レビューそのもの」だと理解できるはずである。
例えばサマセット・モームが『世界の十大小説』を選ぶのとはわけが違うのだ。大先生はいったい何様のつもりなのだろうか。エリート書店員さまだろうか。
「商業主義の真似事」とは、まさにこういう痴態のことを指す。こんな大馬鹿に他人の作品について語る資格はない。
上の tweet や Blog で「言うまでもないですが、無印は面白くないと言う意味ではありません。本当に面白くない作品は、取り上げることをしません」言及されているとおり、大先生のレビューは (いま風にいえば) 「改竄」された情報でしかないわけである。
(まあ、ひとりで言っているなら個人の見解なのだろうが、ここ「Stories Café | 作者の自己紹介」で挙げられている「好きな作品」も皆、似たようなものばかりで寒気がした)
こんな見え透いたプロパガンダでギョーカイに寄与するというのも片腹痛い話ではあるが、困ったことにこのレビュー群に感化される人間も、当然現れる。
大前提として、わたしの魂を磨き上げられるのは「わたし」しかいない。だからこそわたしは「わたし」のために自分の力で世界に漂う「美」を掴み取りそれと向き合わなければならないわけだが、あろうことかこの御仁は、自分のための業をすっかり他人にゆだねてしまっている。
例えるなら「その日に履くパンツまでママに選んでもらっているマザコン野郎」のような愚行ではないか。
こんな魂もあたまもからっぽな阿呆 (tweet を覗いたらほんとうにそんな感じの「素朴な」人だったwww) を叱りつけるどころか、褒められてただ喜んでいるだけなのだから、大先生も救いようがない。
はっきりと言ってしまえば、フリーノベルゲームを「消費」し使い捨てている犯人は大先生のレビューやそれに群がる馬鹿な読者なのである。
結局、大先生は芸術や他人を愛しているわけではないのだろう。
だいたい、自分に酔っていなければ「やっぱり創作者というより生粋のレビュアーなのかもしれません!(キリッ」なんて恥ずかしいセリフは吐けない。
以前にも書いたかもしれないが、大先生は奥さまとふたり、北海道の地で慎ましく暮らしていてください。
2018.07.07 (Sat)
憐憫
↓
以前からレッテル貼りを繰り返していた大先生がなんておそろしいブラックジョークをいうのかと目を疑ったが、本人はいたって真面目なご様子。
↓
以前から既存のマスメディアを小馬鹿にしていた大先生が「新聞がこんな言葉使ってたら駄目だと思うんですが!」などとのたまう
「北海道新聞なんて読ませていたら、ボクの愛する憂国のチャイルドソルジャーたちがサヨクになっちゃう!」www
イマドキの小学生が新聞なんて読みますかいな。購読者は老いぼれだけですよ。
↓
「ボクは真面目に生きているのにバカ女が余計なことを書くから痴漢仲間だと勘違いされちゃう!」www
男性の無理解を嘆いているだけのつぶやきを理解できないことのほうが「驚き」です。
ただ、NaGISA の大先生がもう後戻りできないくらいに偏見で凝り固まってしまうのも仕方がないことなのかもしれない。
一神教の歴史とは、一柱の神さまに仕えようとしたある集団が「あなたと違うんです!」と分裂し切り離されていった、その繰り返しであるがゆえに、熱心な信仰者が排他的な傾向にあっても不自然なことはない。
あるいは、戦後日本が掲げた「世界と人々をつなげる」という理想もとうに絶え、ただひとりひとりがバラバラになってしまった現実だけが残ったわけである。
つまり、大先生必死の「俺は世間に染まってないぜ!」アピールも虚しく、ばっちり「ニホンジン」しているというわけだ。とほほ。
とりあえず、どうせなにも理解できていないのだから、社会について言及するのは控えたほうがご自身のためですよwww
2018.07.07 (Sat)
ボケろうじんのくに
馬鹿に馬鹿といわないでだれに馬鹿というのだ馬鹿。
こういった「金持ちのルール」を持ち出して大上段に振りかざす貧乏人が、最も卑しいのはいうまでもない。
それにしても、時代の終わり、国が滅亡するかの瀬戸際にあって、未だ「右だ左だ」と貧乏人同士が争っている不毛さ。
くたばれ。
2018.07.07 (Sat)
あまりにも窮屈な人たち
ファン・ゴッホは生涯「画家」として生活し創作を続けていたわけだから、(NaGISA 大先生やその他の制作者の理屈に乗らなくても) ファン・ゴッホがアマチュアだったとはいえないはずではあるが、その一方で、現代の商業主義的な観点からみれば、一枚しか絵が売れなかった (特に無名の) 人間を「プロ」と認めることは難しいかもしれない。
しかし、どちらにせよファン・ゴッホが偉大な芸術家であることは、疑いようがないわけである。
つまり、なにが言いたいかというと、「プロだアマだ」という区分は、芸術や自己表現の本質とは関わりのないまやかしにすぎないのではないか? ということだ。
だからといって、「アマだってすごい!」などという短絡的な持ち上げ方もできないわけだが。
2018.07.07 (Sat)
街中の公園は市民の憩いの場にはなれるが だからといって商業的なテーマパークのように肥大化はしない
例えば娯楽に関していえば、動画配信にしても数年後にはどうなっているのかわからないのである。
そもそも「フリーノベルゲーム」は「オタク業界」という町内にある「同人界隈」という名のマンションのなかの、さらに一部屋くらいのものでしかない。
その程度の規模の活動が「発展していく」などとは、またとんでもない妄想ではないか。
正直、「フリーノベルゲームが廃れていくほうがどれほど自然か」という話でしかないが、仮に凋落の原因を探すとしたら、このような単純な事実にも思い至らず、おかしな義務感にかられて恥の上塗りをしている意識が高いだけの馬鹿も、そのひとつに数えられるだろう。
にもかかわらず、その当事者たちがなんだかとぼけているから、また罪深いのである。
「何なのでしょうね?」って、そりゃあ飽きられたんだよ!www
2018.07.07 (Sat)
野良猫の挟持
そしてもちろんプロのほうが厳しく判別される。それこそ「人生が変わる」くらいに。
ゲームもジャンルや価値観で好みがあるから善悪は付けられないけど、実況動画を出す事だけに意識し過ぎて製作者さんが凄く時間かけて作られた作品を蔑ろにしてるのは悲しいし、違うと思う。普段の仕事終わってプライベートな時間を削って作品を生み出してるだろうに…
— りぼまる!!!!セーブ難民 (@RivoXx) 2018年6月20日
だからこそ「アマチュアの作なのだから配慮して (されて) 然るべき」などという理屈にはまったく賛同できないし、
長い作品を最後までプレイして、レビューまで書いてくださり、本当に海より深く感謝せざるを得ない。レビューからは、真摯に作品に向き合っていただけた感じが伝わってきて嬉しかったなぁ。自分には見えなかった欠点も分かって、この辺も楽しめた。本当にありがたいです…
— Yazuki@空前絶後の超展開メーカー (@eccentricyazuki) 2018年6月4日
この「全身全霊」ということばも、ただただ空々しいわけである。
自惚れ屋の制作者が誇る努力など、「寝る前のオナニーがんばった!」程度の価値しかない。例えば、自分 (とその作品) をないがしろにした相手に慰謝料でも請求するのだろうか。
敬意を払うべきなのは、つまらない言い訳をしない制作者に対してであって、それ以外は商業主義の真似事がしたいだけの馬鹿なのだから、容赦なく打っても良いのだ。
そちらのほうがよほど健全である。
当然、ゲーム実況の配信者に非礼があったのなら、相手と一対一で詫びてもらえば良いだけのことであって、それを目撃した第三者が「だから皆こうするべき!」などと提案するのは大きなお世話なのである。
2018.07.07 (Sat)
はっじまっるよー!
予感のとおり後悔したwww
やっぱり創作者というより生粋のレビュアーなのかもしれません!(キリッ www
あいかわらず、ある作品を「公正・公平」に「評価できる」という二重の思い上がりが救いようのない大先生。さすがです!www
フリーノベルゲームについて、以前の方が良かったというつもりはあまりありません。今は量も質も充実しています。ただ「使い捨て傾向」は物凄く強まったなと思います。少し古い作品でも、埋もれるのが惜しい作品はたくさんあります。古い作品を探すのは大変だという方は、NaGISA netをご参考に(笑)。
— NaGISA (@nagisa1770) 2018年7月4日
これで微力ながらも皆を「導いている」つもりなのだから笑わせる。
今日はレビューではなく、雑記を。私のレビューに対する立ち位置みたいなもので、Twitterで書いた事を長文で書いてみました。よろしければご一読ください。
— NaGISA (@nagisa1770) 2018年6月7日
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レビューというもの https://t.co/cftqEDb7fB
それにしても、大先生の主張が以前とまったく変わっていないことに背筋が寒くなる。
この御仁は、おそらく十年以上もおなじ妄言を繰り返しているわけである。まさに「苔むす巌」のような頑迷さ。
こんな石頭でもうろくしたおいぼれを担ぎ上げて喜んでいる連中も、その神輿にほいほいと乗り込んでしまうスケベじじいも、全員まとめて死んでくれないだろうか。
2018.07.06 (Fri)
100 人のゾンビを はべらすより ひとりの人間と孤独を 分かち合うほうが良い
いいから全員、黙って死ねよ。