2018.08.09 (Thu)
communication breakdown
もし「感想を言う人」になろうとする後進がいるのなら
— みそにんげん (@misohuman) 2018年8月7日
作者様の仰ることを全部受け入れようとするのはやめた方がいい。
溜まり続けるストレスにパソコンに物を投げつけて2回壊して、賃貸の壁をぶんなぐって穴を空けることになる。
ほどほどにするのが一番。私はもうそれが素になって戻れないけど。
「正当な評価をしろ」という意見と「趣味で作っているのだから評価するな」という意見に、「感想を言う人」1人で応えるのは無理なんだよね
— みそにんげん (@misohuman) 2018年8月8日
これまでなんとか実現しようとしてきたけど、私には無理
本当は人手を増やすために動くべきだった。これまで頑張っていたのは滅びへの道だったのかもしれない
善意という名の拳で殴り合う人々の図。
「趣味で作っているのだから評価するな」とプレイヤーに迫る制作者は、おそらくリアルで社会的・経済的に「奴隷」として他人からの評価にさらされ続け、疲弊しているのだろう。
そんな彼らがある種の「癒やし」や「救い」を求めてはじめた創作でもまた、他人から評価されるなんてことには耐えられない、というのは人情としては充分、理解できる。
しかし、公の場に作品を公開した以上、他人からの批評や引用を拒むことはできない。それはシロートの趣味であろうが関係ない。
そもそも、フリーノベルゲームが純粋な自己表現ではなく、あくまで娯楽の範疇であるとするならば、他人の存在は必要不可欠である。
仮に、多くの制作者が口にするように、相手の人生を (瞬きほどでも) 占有し、自らのなにかしらを伝えたいというのなら、フリーノベルゲームの公開もある種のコミュニケーションだといえるだろう。そして、そのコミュニケーションにおいて、他人の不在や一方通行的な押しつけはありえない。
つまり「わたしの作品を評価するな」という主張には正当性がないわけである。「他人をないがしろにして良い」というもの自身がおなじ目に遭うのはあたりまえ。
結局、世のなかに向けて放った下心 (「わたしの善意を無条件で受け入れろ」といったような) は鏡のように反射して、必ず自分を傷つける。
それが嫌ならマインドを変えるしかない。
2018.08.07 (Tue)
五十六語録を引用したかっただけですか?
で、出たー! 「私だけでしょうか……」www
わたしが大先生を嫌っている理由のひとつ、「私だけでしょうか」。
「時代錯誤にしか思えない」で止めれば主張としては充分なのに、「私だけでしょうか」と続けることで、暗に他人からの賛同を得ようとする (期待している) この卑しさが大先生の本性なのだと気がついたとき、彼に対する尊敬の念はきれいさっぱり消え失せました。
自分のレビューを褒められて、ウキウキべらべら喋ってしまうのもおなじダサさ。
そもそも、戦時中のスローガン「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」めいたことを口走ってしまう自分こそが時代錯誤なのではないですか?
誰のなにを見てこうつぶやいたのかは知りませんが。
2018.08.04 (Sat)
endgame
(確か) 80 年代の若者が「社会の歯車になんかなりたくないよー」と主張できたのも、日本経済がまだまだ上向いていたからであって、こんにちのように国家が衰退の憂き目にあえばそこに生きる大半の国民は貧乏人で、いつのまにか自ら進んで奴隷の道を選ぶようにもなったわけである。
そして、世のなかに溢れる「感動」を冠するすべての事柄は、奴隷が自らの運命を忘れるためのモルヒネでしかないし、それらを礼賛するものは奴隷のなかでも見下げた連中なのだ。
なにが言いたいかといえば、つまりはそういうことさ……。儚い……。
2018.08.04 (Sat)
自己啓発
個人的には後者だろうと思っていますが、はたしてそれは「読書体験」と呼べるのか、ただの「思考パターンの反復」なのではないでしょうか。
善良であることのおそろしさ。
それにしても、この結びのことば「きっと明日を生きる元気をもらえる」、まさに広告的な文句ですね。
テレビや新聞などの既存のメディアを嫌っているくせに、すでに自らもコマーシャルと化している大先生。
2018.08.02 (Thu)
わたしは TTFC で知った
flash サポート 終了 - Google 検索
一時期は、Flash アニメがインターネット上の娯楽のジャンルとして確立されていたほどでしたが、それも歴史の彼方に追いやられてしまうわけです。
やはり時代の変化によって、自分のこだわりや固定観念をアップデートせざるを得ない状況はやってくるものですね。
2018.08.02 (Thu)
Live 2D XD
『BanG Dream! ガールズバンドパーティ!』や『ららマジ』では、立ち絵に Live 2D が使われています。
アニメ調のルックに動きまでつけられるので、他のゲームアプリでも採用されていることが多いです。
その『ガルパ』、会話イベントを観ていて気がついたのですが、たまに screen shot のようにとなりの発話者に視線がいくことがあるのですね。
これ、何気ない演出ですが (演出ですらないかもしれませんが) 、意外と好きです。
立ち絵劇をするなら、こういう部分を参考にすると良いかもしれません。
2018.07.25 (Wed)
違いがわからぬ
大先生にはせめて、わたしが挙げたゲームアプリの画面を確認してほしいですね。
確かに縦画面のゲームは肘が当たっていることもありますが、横画面はそこまで違和感なく並んでいるように見えるけれどなあ。
そんなに立ち絵の距離感が気になるなら、『DFFOO』『THE RAYS』のように 3D モデルにお芝居してもらうくらいのことをすれば良いし、一枚絵の構図は絵師さんの技術でカバーできるのでは、と。
もっと根本的なことをいえば、ここまで映像作品的なカットシーンが充実してきた昨今のゲーム業界においては「立ち絵が正面を向いて横一列に並んで……」という手法自体が時代遅れになりつつあるのではないの? というか。
正直、ヴィジュアル面における大先生の懸念は、あまりクリティカルではないような。お得意の思い込みかな?
ただ、テキストの表示領域は、どれもけっこう狭めにデザインされていますね。余白が多すぎるくらい。
画面の端から端までズラズラと文章が表示されることはないので、この点は大先生の感覚が正しい。
制作者の気遣いが必要になる部分ですね。
2018.07.25 (Wed)
コメントありがとうございます #483
Mac ユーザーで SEGA ファン……。
「選民思想」と「強いこだわり」と「老人特有の頑固さ」の三身合体ですね。強い仲魔はできるかな?
はじめましてさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
印象操作はビックリしましたね。
もしかしたら「自分の周りでは 800x600 まだ人気あるよ!」という意図なのかもしれないし、tweet した瞬間にはブッチギリで勝っていたのかもしれませんが、投票結果と併せてみるとギャグでしかないという……。
確かに「新しいものが正しい!」といってしまうのもまた短絡的ですが、しかし、ゲームの画面が横長になることが、それほどの重大事なのでしょうか。
そもそも、機械類の機能やスペックが変化していくのは、ある意味で「自然の摂理」ともいえるわけです。大先生はそれを「流行り」で済ましたいようですが……。ダイナミックな時代の流れについていけないのでしょうか。
わたしよりもっと下の、物心ついたときからスマートフォンが手元にあった世代からしてみれば、大先生の憎しみはナンセンスですよ。それこそ老害レベル。
フリーノベルゲームは「老人会」ばかりが回しているわけではないことに、気がついてほしいですね。
それと、解像度の高いディスプレイを使っていると、800x600 はすこし物足りない印象があるのですよね。640x480 はもう小窓ですから。
だから、個人的にはワイド画面はありがたいです。根が単純なので大きい画面のが嬉しい。
2018.07.25 (Wed)
U. Z. A.
この向風鈴という人もだいぶ下品ですね。
そもそも、例として挙げている二項は特に対立していません。
正しくは「自分の趣味嗜好を優先した作品でチヤホヤされたい」と「誰かにプレイされやすい作品でチヤホヤされたい」でしょう。はっきり「良い感想ためになる感想がないと枯れてしまう」と書いているのですから。目的に違いがない。
(さらにいえば「誰かにプレイされやすい」が「自分の作りたいもの」であれば、やはり対立しません。誰かに強制されているわけでもなし)
要するに「自分は読者ウケを狙わない己の表現を貫くタイプ!」というアピールなのでしょうが、プレイヤーからすれば知ったことではないですね。
これ、一作目の動機はともかく、二作三作と重ねるうちに自分が欲深くなったのをプレイヤー側に責任転嫁しているだけではないですか。
それなら素直に「チヤホヤされたい」と書かれたほうがよほど好感が持てます。
わたしがこの誰も読んでいない Blog を続けているのも、自分がただ書きたいからだけのことであって、仮にここで「コメントをもらえないと続けていけないよー」といったところで聞いている人はいないし、なによりそんな泣き言はダサすぎます。
そして、存在価値の薄いレビュアーがこれ好機とばかりに乗っかってくるという……。
こういった卑しい制作者を延命させることがレビューの使命だというのなら、やはりいますぐに辞めるべきですね。
2018.07.24 (Tue)
まず見た目が華やかだよね
ガチャでの☆ 4 獲得時演出より
TALES OF THE RAYS
ガチャでの魔鏡獲得時演出より
ららマジ ホニャららMAGIC
おおかみのコスプレが可愛すぎるオカルト少女
欅のキセキ
ヴィジュアルだけならりかがいちばん
さらに一枚絵のイメージと縦画面の会話イベントも。
個人的には縦画面のほうがより見やすいし、演出も自由なものが多い気がします。PC 上で再現しようとしたらえらい不評そうですが。
それにしても、実写取り込みのゲームは PS/SS 時代ではほとんどが地雷、PS2 以降には絶滅と、とんだ体たらくでしたが、解像度が高いからなのかカメラが良いのか合成の技術が進歩したのか、こう見てもあまり違和感がありませんね。
ファンの贔屓目もありますが。
しかし、今回 screen shot を載せたアプリの何十倍何百倍と他のゲームがあって、それらと (おなじ娯楽 / ゲームとして) フリーノベルゲームは競合しているのですから、まったく大変な時代です。
つまらないことでいがみ合っている場合ではないかもしれませんね。
2018.07.24 (Tue)
環境の違いを考慮しても
ランキング参加者の桁が違うおばけゲーム
TALES OF THE RAYS
レジェンディア最高、クロエも最高
DISSIDIA FINAL FANTASY OPERA OMNIA
パロムはわたしたちの代弁者
Tokyo 7th Sisters
初回ガチャが半額に引き上げられてしもうてのう……
試しにスマートフォン向けゲームアプリの会話イベントを (自分のアカウントから) 集めてみましたが、どうでしょうか。
画面デザインがスマートフォンに最適化されているからか、わたしが鈍感なのか、特に違和感があるほどではないのですが……。
この画面に慣れているいまの若者と、ガラケーで押し通すつもりの元若者である大先生、どちらにリーチするのがフリーノベルゲームの今後のためなのでしょうかね。
2018.07.23 (Mon)
そもそもスマートフォンユーザーではないのに
★
以前、@nagisa1770さんがお話していた、ノベルゲームのレイアウトについて。 これすごく考えます。どちらが正解なのか。
— 巡遠(フリゲノベル制作 (@junen_novelgame) 2018年6月3日
16:9が主流になってますが、ノベルレイアウトって4:3の箱型が見やすいんですよね
16:9を活かせるゲームにできれば、上手く使えるかもしれませんね。 逆転裁判とか、ああした形だとワイドで演出をふんだんに使える気がします。 空いてるスペースでのカットインの使い方など、16:9の画面を使いきれているノベルゲームって商業でも少ないかもしれません
— 巡遠(フリゲノベル制作 (@junen_novelgame) 2018年6月3日
★
「PC オンリーのプレイヤーにも配慮しろ!」 ろ、老害!www
★
ワイド画面のほうが過半数を超えている (こだわりのない人の回答を含めればさらに増える) のに、なんという印象操作www
★
大先生はとにかくワイド画面がお気に召さないご様子。
もちろん、大先生の言い分もわからなくはないのですが、ケータイに代表されるスマートデバイスの普及率や将来性を考えると、駄々をこねているわけにもいかないのではないでしょうか。
例えば、スマートフォン向けに PS 時代のコンシューマゲームが配信されるくらい「ゲーム機」としての需要があるわけですし、あるいはスマートフォン向けアプリの PC 版がリリースされることも増えてきています。
ゲームという娯楽の分野においては PC とスマートデバイスは相互的な結びつきを深めています。どちらが主でどちらが従かという壁もいずれは取り払われることでしょう。
フリーゲームの主戦場がスマートデバイスに移行していくのかもしれないのですから、いまのうちに意識を切り替えておくほうがよほど建設的ではないでしょうか。
まあ、大先生のようなお年寄りが幅を利かせている限り、フリーノベルゲームが PC から出ることはなさそうですが。
時代と逆行することばかりいっていると「老害」認定されますよ?www
2018.07.23 (Mon)
世間を騒がす快盗さ
そもそも資本主義社会において、搾取に加担していない人間などいるわけがないのだし。
結局、これは個人の裁量の問題であって、自分が泥棒である事実に耐えられないのなら活動を辞めれば良し。泥棒であっても続けたいのなら、相応の姿勢で臨むしかない。つまりは大先生のいう「配慮」や「敬意」をもって、ということ。
そう、配慮や敬意とは、自分が泥棒である(自分の活動が相手に対して不利益になる場合がある)ことを認めたとき、はじめて芽生える意識なのではないか。
そして、泥棒としての謙虚さもなく「自分は善いことをしているだけだが、配慮や敬意も必要ですよね」というのは、単なる紛争を回避するためのリクスヘッジ、責任の所在をうやむやにするごまかしなのではないか。
もちろん、自分の身を守ることも大切だが、それなら正義面して他人を非難するのはおやめなさい、という。
中途半端な解決策を語るよりかは、制作者もプレイヤーも好きなようにやって、仮に諍いが起こったときにはコミュニケーションで解決する、これで充分なのでは?
2018.07.23 (Mon)
愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない
ここにきて長年の疑問が解消されつつある。
自問してみてほしいのだが、禁止事項を設ける制作者のことを、どこかでナイーブだとか気にしいだとかと感じてしまうことはないだろうか。
(上記の tweet でわかるとおり、大先生としても「お願い」がエゴイスティックな行為に思えるから、傍からみると配慮に欠けるような冷たい態度になっているのかもしれない)
だがしかし、これはほんとうに制作者側の問題なのか?
試しに、フリーゲーム作品に対する生殺与奪権について考えてみる。
これはもちろん、作品を生み出した制作者が生殺与奪権を持つとするのが自然だろう。
制作者が公開をやめてしまえばインターネット上に作品は存在できなくなるし、レビューや実況動画に対して意見したり、最悪の場合、それらを取り下げさせたりもできるわけだ。
一方で、大先生やその他の人たちの主張から推測するに (レビュアーや実況者も含む) プレイヤーも作品を好きに扱うことができるとする風潮があるように思える。
確かに、作品を一度世に出してしまえば批評や引用を拒むことはできない(=作品に関するすべてのことを制作者がコントロールできるわけではない)。それに一応、プレイヤーは作品の (複製の) 所有権を持っている。
ただ、それに加えて生殺与奪権まで引き継ぐのかといえば……良くわからない。個人的には厳しいのではないかと思うが、とにかく一般的にはプレイヤーもある程度の権利を有すると信じられている。
このように、制作者とプレイヤー、そしてそこから派生した情報発信者の関係は奇妙な「ねじれ」を起こしているし、さらにいえば一種の暴力 (例えば「レビュアーが制作者のエゴを糾弾する」といった) も潜んでいる。
つまりは、制作者の人格や表現は常に脅かされているともいえるわけで、感受性の強い制作者が防衛策としてなにかしらの制限を加えようとするのも仕方がないことかもしれない。
これは構造的な問題であって、制作者の資質は関係がないのだ。
結論:制作者がどれだけわがままをいっても、業界 (?) が衰退する原因にはならない。
大先生のなかでは「制作者があまり厳しくしすぎるとレビュアーや実況者が萎縮していって、その結果、業界が衰退する」という理屈なのだろうが、第三者からすれば「泥棒がなにを言っているの?」という。
2018.07.22 (Sun)
万引きは窃盗です
人間には悪を成したり他人を傷つけたりする自由もある。この向風鈴とかいう人の指す「自由」がまさにそれ。(これを踏まえて「実況者が自分のために好きにやれば良い」と主張するなら、確かにそのとおり)
さらにいえば、なぜか実況者に与えられているらしいその「自由という名の権利」は、例えば「アメリカ人には黒人奴隷を仕えさせる権利がある」のような、聞く人が聞けば噴飯ものの「権利」でしかなかったりする。(だから制作者をイラつかせる)
つまりどちらにせよ、本人の認識とは裏腹に、おおよそ善行と呼べるものではないわけだ。
個人的にどう思おうが、他人さまのもの (フリーノベルゲーム作品) を利用 (実況動画しかりレビューしかり) して自分の利益としているのなら、それは泥棒である。
結局、ぼんやり「自由は善いもの」と考えているだけだから、こんな高飛車な発言をするのだろう。
それにしても笑ってしまうのは、大先生のリプライが、まさに泥棒の屁理屈でしかないところである。
「そもそも万引き禁止なんて単なるお願いであってなんの拘束力もないですし」
確かに (人殺しも戦争もできる) 人間の自由を前にすれば拘束力などないわけだが、しかしそれをいっちゃあお終いだろうと。
ところで、不勉強で申し訳ないのだけれど、動画にたくさんコメントがついたら、実況者になにかバックされるわけ? だからコメントをオフにしようと提案しているの?
2018.07.21 (Sat)
馬鹿が作って 馬鹿が売り 馬鹿が買う
しかし、ゲーム実況やレビューまでもが個人の愉しみの範疇に含まれるといわれて納得するのは馬鹿だけだろう。
ほんとうに盗人猛々しい連中だな。
2018.07.21 (Sat)
おなじことばを つかっているとは おもえないほどの 隔絶
ゲームもジャンルや価値観で好みがあるから善悪は付けられないけど、実況動画を出す事だけに意識し過ぎて製作者さんが凄く時間かけて作られた作品を蔑ろにしてるのは悲しいし、違うと思う。普段の仕事終わってプライベートな時間を削って作品を生み出してるだろうに…
— りぼまる!!!! (@RivoXx) 2018年6月20日
「ふーん……」
「いや、どっちだよ!」
しかし、「自分は善いことをしているのだ。世のなかの役に立っているのだ」と思い込んでいれば、ここまで増長してしまうし、
批判しか言葉を吐けない人ってかわいそうな人、としか思えないから心にもない一言に一瞬驚くだけで刺さらないしなんとも思わないんだけど、そんな人に限って好きな者に対しての熱が凄いしマジ〇〇神!崇拝してる!他はクズ!死ね!的な猪突猛進的なアレだろうなって。若いならいいけど老いてるなら心配
— りぼまる!!!! (@RivoXx) 2018年7月14日
仮に自分が批判されたとしても「難癖をつけられた」くらいにしか感じないわけだ。
それにしても、サミュエル・ジョンソン
「地獄への道は善意が敷き詰められている」
あらためてすごいなあ。
あまりに有名なのですこし陳腐かなあとか、ひねくれ者が中二病的に世間をディスっているのかなあとか思っていたのだけれど、このことばの深みを理解できるほど人間ができていなかったのだな、と反省した。
2018.07.20 (Fri)
ちっぽけで素朴で おそろしい人々
ゲームもジャンルや価値観で好みがあるから善悪は付けられないけど、実況動画を出す事だけに意識し過ぎて製作者さんが凄く時間かけて作られた作品を蔑ろにしてるのは悲しいし、違うと思う。普段の仕事終わってプライベートな時間を削って作品を生み出してるだろうに…
— りぼまる!!!! (@RivoXx) 2018年6月20日
大先生やそのおともだちの間違いは、世のなかには「良いレビュアー」と「悪いレビュアー」(動画配信主も同様)がいると信じているところ。
レビュアーも配信主も、他人 (の作品) を利用している時点で等しく同罪であって、どれだけ綺麗事を並べても、恨まれるリスクは残る。
そしてこう指摘すると「わたしは善意でやっている!」という反論が返ってくるだろうが、サミュエル・ジョンソンの有名なことばにもあるとおり、善意とは社会を破壊し得る思い込みにほかならないのであって、そんなものを掲げたところでまったく免罪符にはならない。
要するに、泥棒が別の泥棒を非難しているわけで、見苦しいにも程がある。
2018.07.20 (Fri)
北海道くんだりまで乗り込むとか? ないない
大先生はわたしがストーカーのように長年こだわっているのだと思っているようですが、そんなことありますかいなwww
新しいインスピレーションを与えてくれるでもない事柄について、長々と考え続けるほど暇ではないです。
まあ、言われるとおり好きにします。