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2021.10.13 (Wed)

わたしたちは自らの望みによって滅びるのかもしれない話





人類全体がどんどん排他主義になっていった (ただ自分たちが没落しただけのことを別のなにかのせいにしだした) とき、「太陽の円環」の名を与えられたウイルスが現れ、人類の望みを手伝うかのごとく、各々のコミュニティを徹底的に隔絶した。

わたしたちは、となりの国に渡るだけでもかんたんなことではなくなった。ついでにウイルスは人類を絶滅させかねないくらいやる気に満ち溢れていて、こちらの話を聞いてくれるわけでもなかった。

という笑い話。


「『気に食わないから』という理由で他者を排除するものは人に非ず! なぜならわたしがその態度を気に食わないからだ!」というのもだいぶ笑える話である。鏡に向かってこのセリフを吐いているのなら立派にホラーである。

「唯一なる神」をバックに背負っている連中にとって、謙虚になるのはそんなに難しいことなのか。

(もしかしたら、近頃お暴れあそばされているフェミニストどもを見てのつぶやきなのかもしれないけれど、その嫌悪、不快感、憤り……すべてがフェミの攻撃理由そのもので、どこも変わらねーというwww)







信仰はすばらしいものだろうが、この「異教徒は死ねば良い!」みたいな思い込みだけは早々に乗り越えなければならないと思う。



01:11  |  +NaGISA大先生とノベゲの話題  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2021.10.13 (Wed)

行うは難し の話





なにか偉そうなことが標榜されているが、「ネトウヨwww」さまのいう「良識」とは、保守的・封建的な価値観からはみ出すようなものではない。


すこし前に池上さんの某番組でタリバンを扱っていた。

そのなかで「良識的な」イスラム社会において、家族以外の前で女性が肌を見せてはいけない理由を「イスラムは女性を大切にする宗教だから、女性を守るために必要」なのだと説明していた。(逆にタリバンは「男性の方が偉い」と考えているから女性を抑圧するのだ、とも)

この「一般的な」イスラムの考え方を否定するつもりはない。

しかし、この宗教的な「思いやり」すらも煩わしく感じるイスラム女性がいるとして、結局、そのコミュニティは宗教と一個人、どちらを尊重するのだろうか。

西洋人のように振る舞うのは「良識」が許さないと思うが、だったら彼女は「悪」なのか? 神は彼女を裁くか?

(一方で、イランの「金持ちの」子女が、大きなスキーリゾートで西洋人そのままの格好で乱痴気騒ぎをしていたのも思い出した)



まあ、それはどうでも良いのだけれど。

誰も彼もが「自由が大事」とか軽々しくのたまっているが、「真の自由」や「本質的な芸術」は、思わず目を逸らしたくなるような不都合さや、怪物的な苦痛を伴って現れることがある。それらは大衆を慰撫するためだけに存在しているわけではないから。

だからわたしたちは、それこそ「自由な」こころで物事を捉えなければならないのだ。そしてそれは決して容易くないのである。


それにしても、ノーベル賞ですら意味があるのかと疑われている時代に、安易な「権威付けゴッコ」(ナントカ賞は経歴に箔をつけるだけ)はほんとうに寒い。

止めてほしいわ。



00:43  |  +NaGISA大先生とノベゲの話題  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2021.08.25 (Wed)

「人間に想像力なんてなかったのです!」の話

『仮面ライダーセイバー』、本編完結。


平成シリーズ一期の頃にはあまり聞かれなかったようなキレイゴトが多いなあ、という印象が常に気になった本作。

コメディに振り切ったことで好評な『機界戦隊センカイジャー』と比べると、もしかしたらコロナ禍の状況ではシリアスなドラマは作りづらいのではないか? とも疑っていたのだけれど、クライマックスの展開が熱すぎたので、すべて吹き飛んだ。

(それと、横田真悠さんが本編にも出演してくれたので、それだけでニ十点は加点。MBS ドラマ『ホームルーム』での不良役が神カワイイのだ)


とにかく、最終決戦は皆、観たほうが良い。特に創作をやっている人、まさにフリーノベルゲームを制作しているような人には刺さると思う。

第46話の飛羽真とストリウスの問答は、創作で行き詰まったときに、いつでも観返してほしいレベル。

仮面ライダーシリーズは、序盤で示された方向性が後半に進むに従ってまったく別の道に逸れることに少なくないが、「物語」というキーワードを最後まで維持できたのは良かった。

それにしても、宇宙のはじまりから終わりまでのすべては「全知全能の書」にあらかじめ記されていて、人間は書の内容をなぞっているだけ。だから、実は「人間に想像 / 創造力があるわけではない」という設定は、人類総クリエイター時代の現在を皮肉っているようで、興味深かった。


まあ、『セイバー』のメッセージと、NaGISA のクズ老人に代表されるフリーノベルゲーム・コミュニティのひとたちがいつも語っていることと、冷静に考えるとなにが違うのだ、ともいえるわけだけれども。



00:31  |  +NaGISA大先生とノベゲの話題  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2021.08.20 (Fri)

android ユーザーによるアプリゲームについて の話







だれもフリーノベルゲームについて述べていない。

個人制作のノベルゲーム作品でも、商業ゲームに近づけた証としてか「全シナリオ読了まで十時間以上!」を謳ったりすることがあるが、たしかにこのプレイ時間は「ハイコスト」である。

SNS 上では数十秒の動画が大流行り。YouTube の動画で十分程度ではあっても、テンポを極限まで切り詰めて先鋭化している。

この高い瞬発性に慣れてしまって、100 分の映画はおろか三十分のアニメ・ドラマですら冗長に感じる一般人からしてみれば、超長編ノベルゲームなど拷問に等しいだろう。(つまらない日常描写が多ければ多いほど、なおのこと)

このような時流と併せて考えてみると、商業ノベルゲームはもう娯楽として成立しないね廃れちゃうね当然、というのは、なるほど得心がいく。

……のだが、このクズ老人、世間知らずが過ぎるのか、この短い tweet になにが書かれているのかさえ理解できないから、主観的・脳内俺ワールドにむりやり変換して「フリーノベルゲームアゲ」しているのだから、ほんと怖いんですけど。

いうなれば「超主観話法」。いいねしている連中も文盲なの?



廃れるといえば。

android ユーザーのわたくし、スマートフォンでゲームを遊びたいとなると「Google Play ストア」を頼るわけだが。

最近、「基本無料アプリゲーム」でおすすめの大半を占めるのはいわゆる「大陸」系、つまり韓国・台湾・中国のデベロッパが提供するゲームばかりなのだ。

(以下、それこそゲームについているレビューを大量に読んだ上で推測した私見であることを断っておく)

そしてその「大陸系」、どうやら「ゲームを売っている」わけではないようである。

つまりは「集金装置」というか、美麗なヴィジュアルや日本の人気声優さんたちを出演させることにすこしだけ力を入れて、開発費プラスアルファを稼ぎきったら、早々とサービス終了に向かう……というタイトルもなくはないらしい。

そこまで露骨な売り逃げではなくても、基本は「Pay to Win」、課金しなければゲームとして成立しないことがままあるそうである。

(あるいは「おま国」と呼ばれる待遇、大陸版と比べて日本語版のゲームバランス・ガチャバランスが厳しく調整されることも多いとのこと)

そしてなにより恐ろしいのが、「そんな大陸系ゲームでも、国内デベロッパ産のアプリゲームよりかは、まだマシな出来」とレビューされてしまう現状である。


このままいくと、基本無料アプリゲームの市場も、遠からず閉じていくことになるかもしれない。

それにしても、ストアのレビューを読むのはおもしろい。もちろん、呪詛めいた罵詈雑言も多いが、そのように書き込まなければ浮かばれない思いがあるのだろうと考えると、ちょっとだけ他人さまの気持ちが理解できるような気がするからである。

ただ、実際に DL してみようという意欲は殺がれるけれど。



00:51  |  +NaGISA大先生とノベゲの話題  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2021.08.20 (Fri)

「君とぼくでセカイ系」から「我思う。故にセカイあり」になった現代 の話







「感想 / レビュー / 批評」にもいちおう定義があったのだな。

わたしも、特に詳しく調べようとせず、ぼんやりと大別していただけなので、そこは反省。


しかし、それにしても客観ベースの批評は「だれかを不快にさせる・傷つける」かもしれないが、主観ベースのレビューなら「大丈夫」というのは、やはり不可解である。

つまりこれが「概念『社会』が消失した現代」なのだろうか。

思い返せば、平成にはすでに「電車内でも平気でメイクをする女性」のような、旧来的にパブリックとされていた場の意味が弱まり、まるで自宅の部屋のようなプライベート空間として置き換えられる、一種の逆転現象はあった。その変化が令和の大インターネット時代になって決定的に完成したのか。

2000 年代のはじめでは、まだインターネット世界は「セカンド・ライフ」と呼ばれ、いちおうは現実社会の副次的な存在とされていた。「学校・職場ではパッとしない自分でも、ネットの世界では人気者になれました!」というような扱いで、「リアル / ネット」の二面性はあれど、あくまで「軸」は現実社会にあった。

それから二十年を経て、概念「社会」は消失し、仮想・下位と呼ばれていたインターネット上のプラットフォームだけが現実になったのであろうか。

(そう考えると「迷惑行為動画」などはまさに、撮影者にとっては動画のなかで表されているものが「リアル」であって、ファースト・ライフのほうはただの舞台装置、裏に回れば書き割りやハリボテ程度の現実感しかないのだろう。ある意味で「旧来的な価値観に囚われていない」のである)


そのような時世にあって、市井の人々は自分の信じたいもの・心地良いものを追求し (自分らしさ)、その対極にあるものは容赦なく廃絶し (ハラスメント)、それこそが正しいのだと疑わなくなった。

しかもそれは「わたしが信じたいものに合わせて (巷に溢れる) エビデンスをビュッフェ風に取捨選択・カスタマイズする」という、いわゆる理論武装のレベルではない。

むしろ、「わたしはこう信じる。その (わたしの) ためにこのエビデンスは存在している」とすらいえるのだろう。主観がすべての客観的根拠を超えるのである。

そして、その「超主観」を持つ人間が多数を占める環境では、「わたしはこう思う!」よりも「客観的な見地から申しますと……」のほうが不誠実に受け止められるのかもしれない。まるで、文明人が未開の地の呪術を見るまなざしのようなものだ。

だが、それは例えばタリバンが「イスラム女性に人権なし (宗教法は文化的進歩に勝る) 」と宣言したのと、どこが違うのであろうか。


なんとも寒々しい……という感覚すらも飲み込んでいく、わたしたちの新たな現実である。



00:03  |  +NaGISA大先生とノベゲの話題  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2021.08.19 (Thu)

自分だけは自由で健全なつもりなのだものなあ





なぜか皆、「多様性、多様性」と気軽に口にするけれど。

おそらく、「みんなが好きなものを (外部から差別や排除なく) できるだけ多く平等に寄り集めたもの」をイメージして「多様性」と呼ぶのだろうけれど。

実際に多様性を担保したいのなら、「自分が最も嫌い、憎むもの」あるいは「社会的に悪とされているもの」までもを含めて、各々が受け入れないといけないわけである。

それこそ上記 tweet にある「わたしは (他人さまの) 性癖全開の作品を好まないがその作品が存在することを認める」、もっといえば「フリーゲームはこうあるべきものだ、という相手の意見を認める」のが多様性の第一歩ではないのか。

仮に、これらを「誰かを不快にさせるから」「意見の押し付けだから」という理由で排除するのなら、それはただの検閲である。


申し訳ないが、わたしには NaGISA の頑固じじいや情緒が女々しい制作者たちに、多様性なんて獲得できるとは思えない。

というか、そもそも個人の「こうあるべき論」の、なにがいけないのだっけ?



01:33  |  +NaGISA大先生とノベゲの話題  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2021.08.19 (Thu)

むしろ、主観しかない









若者が公衆電話で連絡を取り合っていた時代ならともかく、この情報社会において、自分の読みたいもの・読むべきものを自力で見つけられないヤツは、なにをいくら読んでも無駄である。

「レビューwww」を読んでからはもちろん、だれかが提示したリストから作品をピックするだけでも、それは結局「体験のアウトソーシング」、その確認作業でしかない。

もちろん、現実には詳しい他人さまからの教えを請うことは大事だが、他人に頼りすぎる人間は、別の趣味を持ったほうが良い。

つまり、クズ老人のやっていることは、純朴なマヌケにツボを売りつけるようなものなのである。


それに、そもそも嗜好の細分化と個人の孤立化が進んだこの時世に、ある作品を不特定多数にリーチするように伝搬するというのは、時代と噛み合っていないのではないか。

確かに、YouTube や SNS ではより多く人を集められたものが強者であるが、フリーノベルゲームにおいてはその限りではない。

瞬間的なバズよりも、数百年後の時代であっても読む意味があるかどうかが物語の真価なのだから。

逆をいえば、たったひとりの胸に響きさえすれば、どんな駄作であってもそれだけで浮かばれるというものであろう。



01:19  |  +NaGISA大先生とノベゲの話題  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2021.08.18 (Wed)

自分の運命に立ち向かうことと、他人を蔑ろにすることは別物である




インターネットの登場による次世代メディアの台頭(特に情報伝達のスピードの高速化)、あるいはかれこれ数十年にも渡る日本国の経済的不振によって、マスメディアは売上を大きく落とし、「貧すれば鈍す」、カネがなければ力も感度も衰えるのが人の世の常。

というわけでこんにち令和、新聞やテレビ、出版、音楽等々、旧来的なマスメディアは軒並み瀕死状態になったとさ。

一方、上記 tweet のクズ老人、旧来マスメディア (の特にテレビ?) を憎みすぎるあまり、情報源にいまいち乏しいのか、現実に対する認識が世間から見るからにズレまくり、多分に偏向している始末。


それにしても、東京五輪に関する発言には腹が立った。

COVID-19 の蔓延という未曾有の危機にあって、大規模な国際イベントの開催を中止することは、感情的にも合理的にいっても、当然の帰結ではないか。

五輪をなにがなんでも開催しなければならない理由はない。違約金についてどれだけ脅されようが、さっさと中止を決断して、五輪に割かれていたすべてのリソースを感染症対策に回す道はあったし、それが政治の役目なのではないか。

それを、開催中まで反対というのは「自分が気にいらないものは排除しないと気が済まないのか?」とは。

要するに、「単なる個人的な好みや思い込みで (天下国家が取り決めたイベントに) 反対しているのだろうおまえら」と言っているわけである。これは (イデオロギーの対立うんぬん以前に) あまりにも他人さまを馬鹿にしているではないか。

国民の生命(つまりは、クズ老人やそのかかあや田舎のばばあ)よりも、五輪の盛り上がりのほうが大事というのは (おのれのナショナリズムをひとときでも慰撫したかったのかは知らないが) どう考えても狂っている。ホームレスを見殺しにするのとは桁が違う。

それなら、クズ老人のいう「立派な考えの中学生」とやらが「世界中でたくさん COVID-19 で人が亡くなっているのに、五輪を開催していいの?」と罪悪感に苛まれたとして、クズ老人はどう声をかけるのか。「風邪と大差ないから問題ない」とでも言うのか。そんなごまかしでこどもが騙せるか。

まあ、ホッカイドウと呼ばれるあの島が、地球外のどこか他所の惑星に存在しているのだとしたら、話は別だが。


(それにしても、実際はすでに大した力も残っていない連中に対して、「あいつらは国民を騙している! すべて嘘! 危険だ!」と喚くのは、結局のところ、旧来マスメディアの持つ権威性をネガティブな方向に過大評価しているだけなのではないか、と思えてくる。

ここまでくると QAnon めいた陰謀論である)






そしてなによりクズ老人が気色悪いのは、「マスメディアよりも国家権力のほうがよほど多くの (あるいは暴力的な) 嘘を吐く」ことを完全に無視しているところだ。

確かに、日本の野党はもはやゾンビだし、わたしも民主党の分党騒ぎのときは「いや、いっぺん解党して全員いちから出直せよ。ぬるいんだよ」と思ったが、政権与党も大概だぞ、という。

思うにクズ老人、「キリスト教においては神さまがすべて正しい」ように、現実の巨大な権威・権力 (唯一神は信仰においての絶対権力) もまたすべて正しいと盲信しているのではないか。

山口県下関は自民党大国なのだそうだが、それを差し引いても、ちょっと異常である。(個人的に、政治勢力にそこまで肩入れする感覚が理解できないのだが)

とはいえ、わたしは信仰を持つ人がクズ老人のように頭脳がマヌケだとは思わない。

著名な学者や作家がすべて無神論者なのかといえばそんなわけはないし、信仰と客観的・科学的態度は両立する。

つまりは、クズ老人がただ幼稚なのである。






それなwww

これが自戒のことばなら、尊敬もできるのに。

志茂田もとんちんかんなこと言ってたそうで、類友ですか? という。



01:04  |  +NaGISA大先生とノベゲの話題  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2021.08.17 (Tue)

だからなに?




物書きの最大の才能とは、「にんげん」を的確に捉えるその感性なのだと思う。

自分自身や他人、異性、年齢や立場の異なる人、聖なる人、悪しき人、この世界に生きる様々な人々の内にある、習慣や常識のベールの奥に隠された「にんげん」を掴めなければ、言語や時代を超えて、読み継がれる作品を生み出せないだろう。

一方、NaGISA のクズ老人、個人的な悩みはたくさんあったのだろうけれど、「にんげん」について真剣に考えたり、悩んだりしたことがないように見える。

だからことばが軽く薄っぺらいのだ。

彼にとって人間とは、自分の頭のなかにあらかじめ築かれた世界に配置され、役割が永遠に固定されている登場人物のように映っているのではないか。つまり、そこあるはずの「にんげん」を感じられていないのだ。

だから一面的なすがただけを見て「あれは駄目。これは善い」とかんたんに仕分けをする。したり顔で小学生にも通用しない論を説く。

そもそも、自分がどれだけ人間についての理解があるのか考えたこともないのだろう。自分の無知が恐ろしくなることもないのか。






もちろん、例えば故郷で家業を継ぎ、「お商売をがんばるぞ!」と一生懸命な人に「にんげん」がどうなどはまったく意味のない話かもしれない。

しかし、一応「他人さまになにかを伝えたい」と努力している人物が、こんなに浅はかで良いのか。

浅はかなのに自信ばかり身につけて、その空虚なことばにまた引っかかる人もいる。

地獄か。



ちなみに「感動をありがとう!」現象もきちんと学問で説明できるらしいよ。難しすぎてわたしには良くわからないけれど。



01:46  |  +NaGISA大先生とノベゲの話題  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2021.08.17 (Tue)

時代に的確に順応できるのも大きな才能である






ある人が言っていた。

この令和は公私でいう「公」の部分、すなわち「社会」が消失した時代になった、と。

しかし、平成の世を長く生きてしまった、あたまの固いおいぼれのわたしには、概念「社会」が消失したとはどういうことなのか、まったくイメージができないでいる。

しかし、このクズ老人が良く言うフリーノベルゲームに関するあれこれ、あるいは、例えば特撮ファンの集まりの場でたまに目にする、上記 tweet のような否定的意見を否定する「みんなちがって、みんないい」的な振る舞いこそが消失の証左なのではないかと感じた。

つまり、「公・社会」というコミュニティを構成する人間それぞれをつなぐ共通認識としての「軸」が消失すれば、客観的な「評価」も同時に失われ、後に残るのは主観的な「個人の感想」だけになる。

もちろん、作品の出来の良し悪しといった客観的評価は厳格に残酷に存在するわけだが、それを受け取る「社会」を失った人間には、まるで宇宙人の言語のように理解不能なのだ。

こう考えると、クズ老人が「すべてのフリーノベルゲームは尊く『評価不可能』なのだ!」と口走ったことや、プレイヤーがどれだけ客観的なエビデンスを積み上げ、細心の注意とともに示したとしても、制作者に意味もわからずキレられることがある、このどうにも埋めようもないすれ違いのことがすこしは理解できるようにならないだろうか。

そして、評価が消え感想しか存在しない世のなかになって、皆さんのいう「多様性www」が担保されるかといえば、実際は「わたし / その他」にすべてが分断され、「敵 / 味方」の単純化によって憎しみ合うだけの皮肉。

怖い時代である。ポジティブな発言以外は黙殺するべきとは。



それにしても「ド田舎北海道とパートナーとイエスさん」が世界を占める総てであろうクズ老人には難しすぎて理解できないのだろうが、一生に一度あるかないかの大イベント……それなのに準備段階から常にゴタゴタ。開催日が近づいてもグダグダ。東京はアツスギル。あれだけがんばったのに結局、会場のどこにも観客のすがたはない。そしてなによりコロナがどこかに行ってくれるわけでもない難重苦の状況にあって、どうにもやりきれず乗りきれない……と感じる人がいても、どこもおかしくない。

そしてもっといえば、開会式に端を発するいくつかの「やらかし」にかこつけて関係者数名を社会的に抹殺したくせに、そんなことはケロッと忘れて「金メダル感動しました!」とか五輪を大いに満喫しているヤツがいるとしたら、そいつのほうが不貞腐れている人の万倍は狂っている。



01:18  |  +NaGISA大先生とノベゲの話題  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2021.08.17 (Tue)

地獄に堕ちろクズ



これが曲がりなりにも福祉・医療に携わっていた人間の発言なのかと戦慄する。

確かに、事前に叩き潰すこともできず、開催直前になって言い訳がましくデモを行っていたのを目にしたときは情けない限りだったが、当然、東京五輪は中止すべきだった。

コロナ対策とのニ本柱が無理ゲーであることは「小学生でも」理解できる。そして全力で取り組むなら感染症のほうだろう。



コロナ禍と呼ばれる時代のなかで。

我らが日本国の首都・東京はすでに、明らか生命の危機に瀕するレベルの COVID-19 の重症患者しかほぼ入院できなくなっている。

(つまり事実上の「コネなしの貧乏人は死ね」)


さらに専門家曰く、「症状の軽かった人のほうが後に長い後遺症に苦しむ場合がある。だから若い人も慢心せず最大限に注意してね」だそうだが、それならいくらワクチンで (一時的に) 症状を抑えられたとしても、それだけではまったく「安全安心」とはいえないではないか、という。

(そもそもワクチンの副作用が遠因で亡くなっている方は必ずいる。しかし、そうなっても「明確なエビデンスがない」という理由で、うやむやにされる運命にある)


だいたいが、「五輪関係者のなかにラムダ株保有者がいたわー、ゴメンネ☆」というごまかしを厚生労働省がやっているのだぞ。






このような破廉恥野郎にメンタリストさんを諌める資格はない。おまえの発想はさらに上の「人殺しの理屈」である。

上記に示した現実社会の諸々を無視したうえで、権力に飼われた老チワワのごとくズレまくった「良識www」を吠えたてる「この人でなしこそが真っ先に死ぬべき」だとわたしは強く感じるわけだが、どうか。



00:43  |  +NaGISA大先生とノベゲの話題  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2020.12.25 (Fri)

これでは大先生のことを嗤えぬ

ところで、自分の書くセリフがぜんぜん「活きて」いなくて落ち込む。

ここまで才能がないのかと死にたくなる。

なんのためにアイドルドラマ (若い人向けの若い俳優さんが出演している映像作品) を観ているのか……。

地の文はいくらでもヘンテコで構わないが、セリフは「生きた人間のことば」でなければならない。

ほんとうにむずかしい。



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2020.12.06 (Sun)

他人の情熱に畏れを抱いたことがあるか?

わたしはある。


フリーノベルゲームに関わるなかで、純粋な創作意欲、つまりは「(わたしが) 書きたいから書く」だけで突き進んで行ける人を (すくなくとも) ひとり知っている。

その人に比べれば「わたしは正当な評価をされていない (わたしは称賛されるべきである) 」と愚痴っている自称・クリエイターwww もどきなど、不潔極まりない。

そういう輩をどうすれば「尊敬」できるようになるのか、大先生にはぜひ教えてもらいたいものである。


まあでも、大多数の制作者さんのささやかな願望も理解はできる。

なぜなら、彼ら彼女らは日頃、やれ「このマンガがすごい!」だの「今季のあのアニメは神作」だの、あるいはキャラクターや声優さんに対して「尊い……」とつぶやいてばかりいるのだから。

だからこそ、自分も「あちら側」に回れば周りから尊ばれるようになるに違いないと考えてしまうのも、しかたがないことなのかもしれない。

もちろん、現実は「そんなわけねーだろwww」なのだが。

と同時に、そのような制作者の思い込みが、大先生のような詐欺師に付け込まれる隙きになる、というわけである。


しかし、「作者の思いと読者の感覚は等価でないといけない」は迷言だわ。意味わかんないもんwww



01:17  |  +NaGISA大先生とノベゲの話題  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2020.12.06 (Sun)

「相手のために」という押しつけの下劣。ハラスメントですよwww





なぜ、こんな意味不明のキレイゴトが大先生のフォロワーたちには受け入れられているのかを考えた。

(大先生の主張は以前から変わりはないが) わたしがすこし目を離しているあいだにフリーノベルゲーム界隈は、作品を介して制作者とプレイヤーがコミュニケーションを取る場、つまりは一種のソーシャルメディアのようなものに変質したようである。

それならば、各人が対等であるとか、「作品の評価は不可能」というのも (作品自体の出来はそこまで重要視されないのなら) 理解できなくはない。

まあ、それでも YouTube や TikTok に上げられた動画、あるいは Instagram に載せられた写真についての評価に「作者の思いを汲み取れ!」などと言い出す馬鹿はいないわけで。


結局、フリーノベルゲーム制作には「あまりにも後ろ支えがない」というだけのことなのかもしれない。

YouTube には広告収入があり、スターになれる可能性もある。Instagram だって、そこから世間に「発見」され、一気に世界的なセレブの仲間入りを果たした人がたくさんいる。

一方、フリーノベルゲーム制作は、極小コミュニティで少々なまえが知られるくらい。どうがんばっても「学校内の有名人」止まりなわけで。

そのみみっちさがどうにもやるせなくなって、思わず「敬意」を対価として要求してしまうのも人情というか。

まあ、フツーはそういう態度を「下品」と呼ぶのだけれど。


そんなにチヤホヤされたいのだったら、ライバーにでもなっったら良いのにwww



00:53  |  +NaGISA大先生とノベゲの話題  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2020.12.05 (Sat)

とりあえず

フリーノベルゲーム制作者は

・自分の作品で他人に影響を与えたいとか、作品をバズらせて有名になりたいとかの卑しい考えを捨てる。



プレイヤーは

・レビューや他人の意見を踏まえてから答え合わせをするように作品を消費するのをやめて自分の感性を大切にする。

・感想を発信するのが義務だとか、自分の発想・主張には価値があるはずだとかの思い込みを捨てる。




レビュアーは

・いますぐに絶滅する。



これだけで、フリーノベルゲーム界隈はだいぶ良くなる……はず。



01:37  |  +NaGISA大先生とノベゲの話題  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2020.12.05 (Sat)

※わたしも含めて

古くは「アルファブロガー」、いまは「インフルエンサー」に代表されるように、人間がインターネットを使ってウイルスのマネごとをしていたら、本物のウイルスさんにカチコミされて、社会が瀕死状態という皮肉。






正直、サイトにフリーゲームの「感想」を書き込んでいるプレイヤーと呼ばれる連中はカスタマーの成れの果て、つまり「消費行動によって人格形成がなされる」時代のゾンビみたいなものだから。

制作者はそこに「クリエイティヴの呪い」が加わって、輪をかけて哀れな人たち。






「作者の思いより読者が感じたことのほうが大事」に決まっているだろ、馬鹿か?

より正確にいえば「自分の感性がいちばん大事」である。

「世界中にひとりしかいない自分に嘘を吐」くべきではないし、他人や社会のために自分の感性を消費するべきではない。

わたしたちがある作品と向き合うとき、そこに「作者の思い」なんてものが入り込む余地はない。

でなければ、例えばネット上でたまたま目にした画や、街中でたまたま耳にした歌に感動することもないのである。相手のバックボーンなんて一切知らなくても動くのが「心」なのだから。

「おなじ目線で尊敬しろ」などとは、感性を濁らせる戯言である。わたしたちは共食いしているわけではない。

大馬鹿か?






以前に聞いた、「料理とは、男性にとってはお遊び (趣味) であり、女性にとっては命がけ」という話を思い出した。

やっぱり大先生は物の見方が浅い。






この「尊敬し合え、敬意を払え」という主張もおかしなもので、だれに対して尊敬の念を持つのか、親愛の情を抱くのかは「極めて」個人的な問題なのに、なぜ他人や社会に強要されなければならないのか。

こういう中身のないキレイゴトを押しつけられたせいで、口を噤まざるを得ない人たちもいるのだというところにまで考えが及ばない偽善的な老人。

「皆がおたがいを尊敬し合えばはっぴー」のような根拠のない妄想はいますぐに捨てるべきである。

アスリートとかがすぐに「感謝」を口にする風潮の影響もあるのかもしれないが、このように他人に尊敬を迫るのは完全に狂っている証拠。

香港人に対して愛国教育を推し進める中国共産党かよ。






こういう、貧乏人を売り飛ばす女衒、現代風にいえば「パパ活の仲介役」程度の卑しい人間が偉そうに持論を説けるのも、感性のない馬鹿を囲っているからであって、ずいぶんと良い御身分である。

自分、ぜんぜん聞く耳もたんやんwww



00:55  |  +NaGISA大先生とノベゲの話題  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2020.11.20 (Fri)

芸術は人類への嫌がらせの側面があるし自由は奴隷を不快にさせもする





いや、むしろそういう一見、相容れないように思える相手とこそ「論議」をすべきではないの? なぜ「自由の敵に自由なし」みたいな態度になる?

これはただの「あなたはミュートします」「あなたはブロックします」。SNS 的発想ですね。



一時期、トランプさんの右腕的存在だったスティーブン・バノン氏は中国のオンラインゲームに関わっていたとき、「プレイヤーはゲーム上で普段の自分とは異なる人格を作り出し、そちらのほうが本当の自分なのだと感じさえする。そこに虚実はない」と悟ったという。

すくなくとも二十年前くらいにはもう「インターネット世界は新たな現実、第二の人生」といった認識がされていたが、近年の SNS の普及によって、リアル-インターネットがきれいにセパレートした個別の相 (現実ではさえないボクもネットのなかでは人気者) というより、もっとおたがいが混ざりあった状態になっているように思える。

NaGISA 大先生の「フリーノベルゲーム作品に対してつまらないという感想は思い浮かばない」という発言も傍からは「嘘つけ」でしかないわけだが、「フリーノベルゲームレビュアー NaGISA」というインターネット上の人格にとっては真実かもしれないのだ。

ただ、その人格は意図的に作られたものなわけだが。

現実世界と比べて、インターネット上では人格を「装う」「演じる」ことははるかに容易であり、かつ、人間やっぱり機会があるなら「理想的な自分」として振る舞いがちであって。

例えその振る舞いが無意識のものであったとしても、小さな「演技」が積もり積もれば立派な人格として形成されてしまうのだろう。

しかも SNS 上では、その作られた人格を通して、リアルの人格もまた、実際に体験したり交流を深めたりするわけで。たがいの人格の間に境目がないように錯覚するのも半ば自然な成り行きであるようにも感じられてしまう。

(まあ別に、わたしたちは現実の生活のなかでも、様々な場面で様々な役回りを「演じている」のであって、「本当の自分」という発想自体が疑わしいものではあるのだが)

ただ、すこし怖いのは、「理想的な自分」は理想的であるがゆえにいつのまにか現実と乖離して怪物的に成長する場合がある、ということだろうか。例えば、美容整形にのめり込んだ人が、いつしか「非現実的な」容姿になっていくような。

大先生がまさにそれ。感じ取れる人もいれば、気にしない人もいるようだけれど。


とにかく SNS は怖いね。



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2020.11.19 (Thu)

「鼻が伸びる」ような生き方は止めよう




ただ、大先生のいう「自分の大好きなものをつまらないとは思いたくない」という感情は (わたしも含め) 多くの人が共感できるとは思う。

例えばわたしについていえば、特撮ドラマに対しては、だいぶ基準値がブーストされて評価が甘々である。でなければ、何年も追っかけていられないだろう。

しかし、例え「つまらない」と思ったり言ったりしたとしても、その対象に対する裏切りにはならないし、それによって愛が減ずるわけでもない。

近年でいえば『キュウレンジャー』『ウルトラマンタイガ』『マジマジョピュアーズ!』あたりはそれなりにつまらなかったが、だからといって良いところも見つけられるし嫌いになるわけでもない。

別に忠誠心のために嘘を吐くことはないのである。時を経て評価が変わることもあるし。

何度でも書くが「面白い」「つまらない」以上に明確でシンプルで信用に足る評価はない。レビュアーを名乗る人物の「評価不能」発言は怠慢か嘘である。これだけで大先生がどういう人間かわかるだろう。


だいたい、おだやかで大地のように大河のように心の広い人ならともかく、大先生はあきらか性格の悪いみみっちさが見て取れる、そんな人がフリーノベルゲーム作品に対して「つまらない」と思ったことがないわけないじゃんwww

他人の釣り方がダサいのよwww



01:14  |  +NaGISA大先生とノベゲの話題  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2020.11.19 (Thu)

SNSは「自分を」宣伝するツールです




NaGISA 大先生のつぶやきを見ていると、この御仁はポリティカル・コレクトネスと「わたしはこういう人間です」自分の宣伝に中毒しているのが良くわかる。いちいち拾わないけれど「知らんがな」ばかりである。

大先生の根本の主張、フリーノベルゲームに関わるものすべてがおたがいの「お気持ち」を察し合えば界隈が良くなる……ということなのだろうが、その理想はすでに機能不全を起こしていて、逆に世のなかを地獄に変えていることは明白である。

(特に、男と女はほとんどおたがいを憎み合っている)

だからわたしは「ふざけんな馬鹿」という外ない。

自分の感性を殺してまで社会に迎合する必要はないのである。



00:48  |  +NaGISA大先生とノベゲの話題  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

2020.11.18 (Wed)

われらクリエイティヴ☆ゾンビ (呪術で奴隷☆無駄に夢中)

現代、労働以外の趣味もまた「労働」になった。

買い物も「労働」、旅行も「労働」、ディズニーランドで楽しむのも「労働」。

当然、創作活動も「労働」である。だから皆、「成果」を出そうと目が血走っている。

(例えば、フリーノベルゲーム製作者が「これだけの時間をかけた作品なのだから、おまえら文句言うな!」とキレる理由も理解できる)


わたしたちは「クリエイティヴであれ」「個性的であれ」と社会に迫られるが、実際になけなしの「クリエイティヴwww」を発揮したところで、その人生が豊かになることはない。

肥えるのはどこかの資本である。大勢の馬鹿を騙すことで経済は「回って」いる。


しかし、時計の針を牧歌的な時代にまで戻すことはできない。

だからせめて、スーパー・スプレッダーのように害悪を撒き散らす連中とは決別しなければならない。

そして、詐欺師に騙されないように、自分の感性は自分で磨かなければならない。



02:25  |  +NaGISA大先生とノベゲの話題  |  Trackback(0)  |  Comment(0)
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