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まず「0÷3」の例からいきます。 これは「0個のりんごを3人で分けるとき、一人分は何個になりますか?」という問題です。 だから、「一人分は0個です」ということで答えは「0」になります。 対する「3÷0」の例ですが、 これは「3個のりんごを0人で分けるとき、一人分は何個になりますか?」という問題になります。 もともと人が一人もいないのだから、りんごはいつまでたっても無傷です。 人が一人もいないシチュエーションで「分ける」という行為をするのがそもそもできないことなので、 この問題は成り立たないことになります。 だから、こういう計算は「してはいけない」ことになっているのです。 私は学習塾で働いています。 本当はもっと厳密な数学で説明すべきなのでしょうが、 中学生にこういう説明をすると、不思議なほど納得します。

算数では「0で割ることはしない」と約束したのです。 もちろん、0も数字です。(厳密にも数字です) 0を他の数字で割ることもできるし、 0の足し算、引き算、掛け算もできる。 しかし、「他の数字を0で割ることだけはしない」「定義しない」という約束なのです。 そのように約束しないと、算数・数学で意味がなくなってしまうのです。 (一方、無限大や無限小というのは数字ではありません。状態だと考えるべきです) しかし、算数の一分野である解析学では「留数」という概念があり、実質的には「0で割ったときの答え」に近いものを計算します。

何も割るものがないからです。 0は厳密には数字ではなく、「何も無い」を記号にしたものなので、 結局何も割るものが無ければ答えなんて出ようにも出ない。