空のあなたへ 日航機墜落30年

(中)夢の仕事、最後まで頑張った…客室乗務員の夫 息子と胸張り生きる

そんな中、ふと思い出すのは真理子さんの母が過去に言っていたことだ。

「まりちゃんは幸せだった。好きな人と一緒になって、好きな仕事をして、子供をもうけて、あんなことになったけど駆け抜けていった。唯一の心残りは孫の顔を見られなかったことね」

真理子さんを失って30年がたち、心に染み入る。

「力がいなかったら、ふさぎこんで生きていたかもしれない。ここまで来られたのは力がいたおかげ」。自分も息子を残してくれた妻に感謝を伝えたいと思う。

ただ、雄一さんにも一つだけ心残りがある。

「まりちゃんが乗務している姿を一度見たかった。お願いしても恥ずかしかったのか、便名を絶対に教えてくれなかった。やっぱりまだ見せてほしい」

妻からの乗務サービスは天国に行くまでお預けだ。

生存者ら今も心に傷

絶望的な状況だった事故現場から奇跡的に救助された4人は現在、いずれも取材に応じることはなく、それぞれ静かに普通の生活を送っている。

救助のヘリコプターにつり上げられる姿が知られる川上慶子さん(42)。兄の千春さん(44)によると、現在は看護師を辞め、息子2人と幼い娘の子育てに奮闘しているという。

昨年10月に千春さんが高齢になった伯母らと御巣鷹の尾根に登った際、慶子さんも誘ったが、「気分が悪くなるから」と断ったという。30年たった今も心に残る傷痕は深いようだ。

事故当時は日航の客室乗務員で、事故機に客として乗り合わせていた落合由美さん(56)は、現在も大阪府内で暮らす。近くに住む家族は「自分たちも取材は受けないよう頼まれているから…」と困惑気味だったが、その表情や話しぶりからは落合さんが元気でいることをうかがわせる。

関係者によると、3年前に落合さんは日航社員らが対象の安全教育セミナーで講演し、事故前後の状況や自身の近況などを語った。何年にもわたる日航側の講演要請に対し、「社員も安全意識を持ってほしい」と初めて応じたという。

母娘で助かった吉崎博子さん(64)と美紀子さん(38)は、今も東京都内の母方の実家で一緒に暮らしている。インターホン越しの取材に、博子さんは事故について語らなかったが、「2人とも元気ですよ」と答えた。(福田涼太郎)


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