弥助研究の権威が英語版Wikipediaで自分の未発表論文を引用して学説発表をしていた件、その内容に主張と紐づかない引用や純粋な創作が含まれていた件、ついでに小説の宣伝や自分自身の記事を作成していた件まとめ
何なんだよ!枯れない泉かよ! ”アフリカンサムライ”弥助伝説の誕生と拡散 ー とあるユーザによるウィキペディアへの貢献|STST #note note.com/just_eel601/n/…
2024-07-12 15:42:34(要約)米Wikipediaの編集人tottoritomの正体がロックリー氏であるとSTSTさんの手により暴露される。2015年9月から3年弱の間、自分の論文をソースに、創作的な弥助像を拡散させていたと判明した。
2024-07-13 13:32:37最初にこのまとめを見てしまい意味の分からない方は
鳥取トム英語版Wikipedia編集騒動
2015年9月~
2015年9月。鳥取トム(ロックリー氏)の米wiki大介入。 「おそらく」 「可能性がある」 「かもしれない」 「だったろう」 引用文献の8割が、まだ世に出ていない自分の論文という強心臓 pic.twitter.com/wXegGSgTHa
2024-07-12 21:27:25学説は許すとして
推論は省くとして、明確な誤りは「容姿端麗」の誤訳、「188cm」のサバ読み、「弥助という名前は信長自身から授けられたものであり、大きな名誉であった」と家忠日記の記述を捏造など 「侍の位を与えられ」「相当の俸禄を得た」と明言、「仲間が全員死んだ後投降した」と脚色したこともよろしくない
2024-07-14 20:00:47容姿端麗&188cmは元からあった記述(英語圏の誤訳が元ネタ)の追認です。
以前「ロックリー氏の手から離れたオリジナルのストーリーが増えている」と紹介しましたが「最後の一人になるまで戦って降伏した」という英雄弥助伝説の元ネタもロックリー氏だったことが判明しました。 "when all his comrades had died" x.com/laymans8/statu… pic.twitter.com/scoSadNPLo
2024-07-14 19:58:50「信忠の最後の武士が刀を明け渡した時にのみ刀を明け渡しました」とか「光秀は弥助が野獣であり真の侍ではないと退けた。その理由は、 日本文化では敗戦後に名誉の切腹が一般的であったが、弥助は西洋の慣習に従って光秀に刀を差し出したためである。」とか、新しいエピソードも加わっています。
2024-06-26 20:22:10米wikiでは「弥助がアジアの共通語である古典中国語で意思疎通できた可能性は低い」ため「日本語で会話をしていたのであろう」と解説されていますが、この謎の記述の元ネタもロックリー氏だったことが判明しました。 x.com/laymans8/statu…
2024-07-14 20:15:222020年頃のアメリカ弥助wiki。「当時のアジアの共通語であった古典中国語」って何?UBIこんなの信じてないよな。 pic.twitter.com/IDd9TxkYso
2024-06-25 21:21:082015年10月~
2015年10月。鳥取トム(ロックリー氏)介入。 弥助、大黒天の化身説がついに登場。 「当時の日本では黒人は差別されておらず、むしろ尊敬されていた。なぜなら日本の寺院では仏像が黒く描かれていたからだ。」 引用文献は藤田みどり『日本におけるアフリカ像の変遷』 pic.twitter.com/BNUDpm1jb0
2024-07-12 22:20:54藤田氏の著書は「弥助の忠誠に感動した光秀が慈悲の心で罵倒した」という美談の元ネタ(わずか3行の感想でもwikiで大拡散する好例)ですが、「日本人が弥助を神のように敬った」というロックリー氏の持ちネタにも関わっていたのです・・・なんてことはなく pic.twitter.com/6z9hLR4hta
2024-07-12 22:28:01意図的かは分かりませんが
ロックリー氏の創作の権威付けに利用されているだけでした。『日本におけるアフリカ像の変遷』にそんな記述は存在しません。 「安土桃山時代の日本人の黒人観は、黒人を見て驚き喜んだ以外、知ることはできない。見て喜ぶことは喜んだが、その有様を見て侮蔑の感情を同時に抱いたかは不明である。」 pic.twitter.com/IxJcqiazdl
2024-07-12 22:38:31宣伝工作?
2017年2月。ソースを自分の学術論文から前月発売した信頼性の劣る一般書籍に変更。 pic.twitter.com/GspO3Om1O5
2024-07-17 12:14:26鳥取トムの終焉
2015年9月以降、アメリカの弥助wikiはロックリー氏の研究発表の場と化していたわけですが、フリーハンドの終焉は2018年7月に訪れます。 良識ある匿名編集(オークランド大学関係者)の手によって、推測記事、憶測記事、捏造引用が一掃されたのです。これによりWikipediaはだいぶマシになりました。 pic.twitter.com/iWPz0lkyyr
2024-07-13 10:42:50なお、出生から日本に到着するまでの記述は、ロックリー氏の説が継続して採用されています。この期間は史料の存在しない完全な空白域のため説で埋めるしかないのです(それ自体は悪いことではありません)。
2024-07-13 10:45:44
一部界隈で「ロックリー氏がアカデミックな論文を削除して参考文献を自分の本にすり替えた」という話になっていますが間違いです。誰も弥助の研究をしていなかったので、論文引っ提げて登場したロックリー氏が弥助研究のオーソリティーになれたのです。
「何年もかけて別アカで英語版Wikipediaの弥助の項目を改ざんし、それを自身の著書で引用していた」というツイートが100万回以上表示されていますがこれもフェイクです。
「ロックリーの妄想が教科書にも採用されてしまった!」とか読んでもいないのに憂いてる人が大量にタイムラインに流れてきましたが。杞憂ですので安心してください。