第三十七章 遠い日の約束

 それから数年の月日が流れた。

 テネブラエにも幾度かの季節が訪れる。

 長い月日を生き続ける吸血鬼達にとって、時の流れとは取るに足らないことなのかもしれない。

 だが、世の中は常時争いの火の粉がいつ飛んでくるか分からない状態。戦時中ではないが、彼らの周囲にはどこか緊張感が漂っていた。

 

 ※ ※ ※

 

 ランカスター家の屋敷内にある当主の部屋にて、部屋の主が羽根ペンをしきりに動かしている。ふと何を感じたのか、彼は傍に佇む自分の妻に声を掛けた。

 

 アイボリーにピンクの縞柄の植物模様のリヨン製絹ブロケード。

 共布の縁飾りにパゴダ型袖。

 袖口のアンガジャントにアルジャンタン・レース。

 立体的な花飾りによる縁飾り。

 共布のストマッカーとペティコートを身に着けた彼女は小柄であり、大きな息子がいる母親とは思えない愛らしさだ。プラチナブロンドを高く結い上げたその面差しは、セフィロスによく似ている。

 

「何をイライラしている? マーガレット」

 

「あなた……」

 

 彼女の表情は、今にも雷を落としそうな危険性をはらんだ曇り空である。

 

「話してみなさい。今なら時間がある」

 

「セフィロスはこれ以上強くなれないのでしょうか?」

 

 ヘンリーは意外そうな顔をした。

 

「……急にどうしてだね」

 

「またヨーク家の者達の動向が怪しいと先程情報が入りましたの。あの子はまだまだ未熟です。立派な働きが出来るようになれるのかがとても心配で……」

 

「彼はゆっくりと成長するタイプのようだ。まだまだ伸び盛りではないか」

 

「ルフスの能力は高いのに?」

 

 ヘンリーは一呼吸おき、言い聞かせるように話し始めた。

 

「……彼は特別だ。自分の身を自分で守らなければならない生い立ちもあったであろうが、彼には元来生まれ持った才というものがある。逆に早熟過ぎる者特有の思い上がりが出ねば良いがという不安があるな」

 

 ヘンリーは伏し目がちな妻の元に歩み寄り、そっと手を握った。彼女の手はどことなく冷たい気がする。

 

「セフィロスは私達の子だ。能力が低い筈がないではないか。急かしては可哀想だ。我々は手を出さず、静かに見守ろうではないか」

 

「だと良いのですけど……」

 

 ヘンリーは影でマーガレットのことを悪く言う者がいることを重々承知していた。主家の妻たる者が跡取り一人しかもうけられない程虚弱であること、主家のセフィロスより分家のルフスの方が戦闘能力が秀でているのは、母親の能力に影響があるからではないかなどなど、数えだしてはきりがない程だ。

 

「言いたい奴は好きに言わせておけば良い。我々の息子が無能である筈がない。それに、戦闘能力だけがあっても主家当主は務まらないからな。次期当主としての教育は継続して行っているから安心しなさい。それに……」

 

 ヘンリーは静かに目を閉じ、柳のような細腰に手を回してその華奢な身体を自分の元に優しく抱き寄せた。

 

「もし、何かあった場合、ルフスを含めた彼等があの子の強力な守りとなってくれる筈だ。彼等を呼び寄せたのはその理由もある」

 

 大きな腕の中で、マーガレットは静かに頷く。キャンドルの光で輝くプラチナ・ブロンドに彼は優しく口付けた。

 

 ※ ※ ※

 

 平和な時間が数日続いたある日のこと。

 ルフスがキョロキョロしていた。

 何か探しものをしているようだ。

 

「セフィロスはどこに行った? 朝から姿を見ねぇが」

 

「彼は忙しいからな。本家筋の嫡男だから、俺達よりやるべきことが多いのだろう」

 

 強靭な肉体を武器とするロセウスはクランチをするのが日課だった。

グレーのブリーチズから覗く腹筋をメキメキ言わせている。

 

 ランカスター家の将来を担う後継として必要なもの。

 分家、それも遠縁である自分とは無縁の世界だ。

 自分達ももうじき十七歳になる。

 子供とは言えず大人にしては未熟な、中途半端な年頃だ。

 

 ウィリディスやウィオラは子供っぽさが抜け、雰囲気に妖艶な貴婦人の色気が出てくるようになった。

 豪華なフリルで彩られたストマッカーから覗く谷間。

 豊満に育った双丘。

 ほっそりとした腰。

 彼女達を追い掛ける視線が日に日に増していくように感じた。

 

 ルフスはあれこれ考えながら屋敷周りを歩いていると、庭園へと辿り着いた。

 水の音がする。

 そこの一角に造られた川が流れていた。

 よく見ると、人影が見える。川を呆然と眺めているようだ。

 

 見覚えのあるプラチナ・ブロンドにサファイアの瞳。

 紛れもなく探し人であった。

 母親似の美しい顔に影が差し込んでいる。

 表情が、頗る暗い。

 何かあったのだろう。

 

 風一つ吹かない、無言の時が流れる。

 静かすぎて不気味だ。

 

 妙に肌に何かが突き刺さる気配を感じたセフィロスは後ろを振り返った。彼は自分の後ろにいるのが誰かということを認知すると、どこか安堵して再び自分の足元へと視線を下ろしてゆく。

 

 沈黙を破ったのは金髪の少年の方だった。

 

「何故私が本家でお前が分家なんだ?」

 

 急な問いに、ルフスは答えようがなかった。

 

「突然どうした? セフィロス」

 

「どう見ても私よりお前の方が能力が上じゃないか」


 声にやや棘を感じる。


「一体何があったんだ? 俺に話してみろ」

 

 聞き出してみると、彼はどうやら母であるマーガレットに説教をされ、機嫌を損ねていたようだ。

 

「……お前真に受けすぎ。俺を買い被りすぎるんじゃねぇよ」

 

 不貞腐れる顔を変えようとしないセフィロスの顔を見たルフスは、溜め息を一つついた。毎回ではないものの、マーガレットがつい息子に対しキツく当たってしまうのを、居候である彼も熟知している。

 

「そんなに自己否定すんなって。誰が何と言おうがお前にしか出来ねぇ力がある。それを誇示しないところがお前の良いところじゃねぇか。そうだろ?」

 

 砕けた口調が本家の跡取り息子という、常に緊張の絶えない彼の心を解きほぐしてゆく。

 どこかぶっきらぼうな彼は、時々優しい一面を見せるのだ。

 二人一緒の時は時間が過ぎるのを早く感じた。

 

「おば上はお前を最強の跡取りにしたくて焦っているだけだ。お前は今のままで充分だ」

 

「……私には頗る重荷だ」

 

 セフィロスは誰にも言えなかった思いをふと吐露した。

 この友人だけには聞いて欲しい。

 きっと、そう思ったのだろう。

 

「……分家の俺は代わってやれねぇからな。どうにもならねぇ」

 

「……」

 

「だがな、負担を減らすのなら出来るかもしれねぇな」

 

「え……?」

 

 ルフスはセフィロスの肩に手を置いた。ルビー色の瞳がサファイア色の瞳を覗き込む。

 

「一人できついなら二人で一緒に最強を目指そうぜ。セフィロス。最強の『屍者の王』ってやつ!」

 

 セフィロスは目をパチクリさせる。

 

「……一緒に……?」

 

「そうだ」

 

「出来るもの……だろうか?」

 

「やってみなけりゃ分かんねぇよ」

 

「約束だぞ」

 

「ああ!」

 

 漸くセフィロスの表情が緩んだ。

 その時である。

 

「そこの二人。怪しい……!」

 

 ロセウスが二人にヘッドロックをかけた。インペリアルトパーズの瞳がいたずらっぽく輝いている。

 

「え!?」

 

「ぐえ! 何すんだよロセウス!」

 

 ロセウスの後ろからウィオラがひょいと顔を出す。にやけて崩れそうになる顔を隠しきれないようだ。

 

「何二人で仲良くやってるの? ウィリディスが妬いちゃうわ」

 

 彼女の隣りにいたウィリディスが頬をさっと赤らめる。

 

「ちょ……ちょっと……ウィオラ!? 何をどさくさに紛れて!?」

 

「ボクも妬いちゃう〜」

 

「フラウム……!」

 

 一番年少である赤銅色の頭の少年がルフスの腰に抱きついてきた。

黄色のコートの裾がふわりと舞い上がる。

ルチルクオーツの瞳がキラキラ輝いている。

途端にどっと笑い声で満ち溢れた。

 

 何だかんだと仲が良い六人だった。

 比較的みんなで共に外出したり、狩りに出掛けたりした。

 そんな中でも抜きん出て狩りの腕が優れていたのは、セフィロスとルフスの二人であった。二人は狩りに出掛けた際、獲物の数を良く競い合った。


「俺達が揃えば最強だな!!」


「ああ。お前と私がいれば我等ランカスター家は揺るがない」


「ちょっとぉ。わたくし達のことも忘れないで頂戴!」


「本当、二人共仲良しなんだからぁ」


 ルフスとセフィロスが二人でいる所に女子二人が絡んでくる。その光景をロセウスとフラウムがやれやれと見守る。そんなやり取りはしょっちゅうだった。みんな互いのことを良く理解し、大切に思っていた。次世代ランカスター家は誰が見ても盤石だった。


 狩りに出たついでに人間の国を散策したり。

 空気を感じたり。

 テネブラエとあまり変わらない環境に安堵したり。

 彼等は僅かな時を惜しむかのように平穏な日々を楽しんだ。

 

 しかし、常に覆っては去るのを繰り返す争いの影は、次第にその時間さえも根こそぎ奪ってゆくのだった。

 

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