第三十章 封じられた力

 細身の身体にフィットする黒装束に身を包んだ女は、勝ち誇るかのような笑みを浮かべた。二つの小振りな膨らみはツンと上を向き、自信満々の雰囲気だ。

 

「セフィロスの依頼は絶対実行。それが私のモットーなの。仕損じることはしないわ」

 

 スレンダーな美女は、茉莉に向かって手を差し伸べた。

 葡萄の果汁のような瑞々しい色の瞳が色鮮やかに煌めいている。

 

「さあいらっしゃい。逆らわなければ痛い目を見ずに済むわよ」 

 

 榛色の瞳は誘うような妖しい輝きを持つ瞳をじっと睨みつけたままだ。微動だにしない。 

 

「嫌よ。絶対に行かせないんだから!」

 

「誰がお前なんかの言いなりになるか!」

 

 優美と織田がつっけんどんに返すと、紫色のルージュの上を赤い舌がぬらりと動いた。

 

「素直に従った方が楽なのに……お馬鹿さん」

 

 垂れ目を細めてクスリと笑みを浮かべたウィオラが右手をひねると、手首から何か糸のようなものが瞬時に飛び出て来た。それらはきらりと輝き、茉莉達に向かって光のように飛んでくる。

 

「危ない!!」

 

 彼等は身を屈めたり、避けたりしてを何とかして避けた。

 しゅるりしゅるりと音を立てて、はさくりと地面に突き刺さる。

 は黒っぽい糸のようなものだった。ゆらゆらと動いたり針金のようにピンと張ったり、自由自在に動き回っている。明るい場所なら分かりやすいが、闇に紛れると見分けが付かず厄介だ。

 獲物を捉えそこねたはウィオラの元にゆらりと戻ってゆく。

 

「……あれは一体何だ!? 武器?」

 

「やぁんキモーい! 蜘蛛みたぁい!!」

 

 どこか八本の脚が見えてきそうな雰囲気に某節足動物を想像した愛梨は身震いして悲鳴を上げた。

 

 ウィオラはゆっくりとした動きでスラックスに包まれた右足を前に出し、優雅に構えを取った。

 糸のようなものがそんな彼女の周りを取り囲むように浮いている。

 

「これは私の“黒紫糸”。何でも縛れるし、切り裂くことも出来る便利な代物よ。今日は殺す気はないから安心して」

 

 その時、彼女に向かって煌めく何かが飛んできた。

 

「……あら」

 

 それを瞬時に糸で掴み上げた。

 それは吸い込まれそうなほど深く鮮やかな紫色の瞳とわずか零コンマ一ミリの距離で動きを止めた。

 どうやら破壊された石畳の欠片のようである。

 その切っ先は鋭利であった。

 紫色のルージュにふっと笑みが溢れる。

 

「ロセウスの相手をしながら私の相手もしてくれるなんて、流石ねルフス。昔はそんなの当たり前のように片手業でやっていたけど、果たして今のあなたはどうかしら? お手並みを拝見させてもらおうじゃない」

 

 皮肉めいた声にルフスは眉間にしわを寄せた。

 四メートル程離れている。

 二人の吸血鬼達によって、いつの間にか茉莉達と引き離されてしまった。

  

「……卑怯者」

 

「卑怯? セフィロスに頼まれたのは俺一人とは一言も言ってないぜ。俺一人とでも思ったのか?」

 

 無精髭の男は悪びれる様子もない。

 

「おいこらルフス。ぼやっとしている時間はないぜ!!」

 

「……くそっ!!」

 

 ルフスは悪態をついた。

 周りの空気がびりびり痺れてくる。

 

「随分とご機嫌斜めだな。さっさと吸血しちまえば改善することだろうに。話しで聞いていたがお前、思った以上に身体の動きとキレが鈍っている。もうそろそろ限界が近いぞ」

 

「うるせぇ!!」

 

 痛いところを突かれたルフスは噛み付くように言い放った。

 ローズカラーの瞳がシェリーカラーの瞳をぎらりと睨み付けている。

 どことなく息が荒い。

 身体の中が灰色の蛇に這いずり回られているような感じだ。

 気を抜くと一瞬意識が飛びそうになる。

 

「……まぁ、いちいち他人の言うことを聞きゃあしないところは相変わらずだな。お前らしいが、後で後悔するぞ」

 

 筋肉隆々とした腕と、華奢な腕。

 裏拳同士が激突する。

 

 ロセウスが放つ灰色の光芒は

 じっくりと静かにルフスの体力を削いでいった。

  

 ※※※

 

「それじゃあ続きをいくわね!!」

 

 ウィオラの糸攻撃が茉莉達に襲いかかった。

 無数の糸の雨が降り掛かってくる。

 

「くそ! あの女ぁ……! これでも喰らえ! うりゃあああっっ!!」

 

「こうなれば一か八かだな。俺も加勢するぞ左京!!」

 

「おう!」

 

 左京と右京は足元に散らばる玉砂利を掴み、次々とウィオラに向かって投げつけた。

 石合戦だなんて子供じみてるし、半ばヤケクソ状態だと思った。

 しかしルフスがロセウスに足止めを食らっている為、自分達の身は自分達で守るしかない。

 二人は必死だった。


 彼等の手元から放たれた玉砂利が青と緑の光に包まれた時、切れた黒紫糸が宙に飛んだ。

 

「何!?」

 

「何それぇ!? 愛梨もやってみるぅ! え~い!!」

 

 愛梨の手元から放たれた玉砂利は黄色に輝き、黒紫糸の一本を引き千切った。

 一同に歓声が響き渡る。怪しい雲行きの中、一筋の希望の光が見えた。

 

「これって、芍薬水晶の力……?」

 

 茉莉達は玉砂利を飛び道具として応戦し始めた。

 藍色以外の七色の光が眩く輝き、一斉にウィオラを襲い始める。

 

「……ちっ。水晶が発動し始めたか」

 

 ウィオラは舌打ちをした。このままでは黒紫糸が全て封じられかねない。止む無く作戦変更に移ろうとしたその矢先、ロセウスの声が頭に響いてきた。

 

「ウィオラ。時間がなくなって来たぞ。加勢してやるから一気に方を付けろ」

 

「分かった。助かる」

 

 ウィオラがロセウスに返事をするやいなや、その身体は紫色の光芒に包まれた。それに灰色の光芒が蛇のように巻き付いてゆく。

 

「……な……!?」

 

 藍色以外の七色の光が一気に威力を失い、ただの玉砂利と戻った。それらはあっけなく糸に弾かれ落とされてゆく。

 

 (芍薬水晶の力が落ちた……!? そんなことってあるの!? )

 

 ウィオラが前方に右手を伸ばした。

 その指先より黒紫色をした糸の束が飛び出す。

 それは、弧を描くように空間を飛び、右京と左京の身体を一気に絡め取った。

 別の糸も同様に優美や愛梨達を絡め取り、後方に飛んでゆく。

 

「うわあああああああああっっっ!!!!!!」

 

「きゃああああああっっっ!!!!!!」

 

 背中にドンと骨が軋むような衝撃が走ったかと思ったら、背後にあるのは椎木の幹だった。織田は改めて自分の身体を見ると、黒紫色をした糸が網のように絡みついている。

 

 辺りを見渡すと、紗英や優美達も似たような状態でそれぞれ離れた距離にある木々へと縛り付けられてしまった。

 

「何これ……!! 動けない……!!」

 

「離せ……!」

 

「みんな……!!」

 

 茉莉一人を残し、全員糸で動きを封じられてしまった。そんな彼女の元に、ジャリジャリと足音が響いてくる。

  

「ふふ。確かに、いい目をした美しい娘ね。私はあなたに用がある。ついてきてもらうわ」

 

「嫌と言ったら?」

 

「否応なしに連れてゆく。それだけよ」

 

「!!」

 

 ウィオラの指先から何本もの白い糸が飛び出した。それが茉莉に向かって次々と襲いかかる。

 

 上、

 下、

 横、

 縦、

 斜め、

 

 縦横無尽に動き回る糸に茉莉は踊らされた。 

 芍薬水晶の力はどうやら封じられてしまったらしく、光も見えない。今の彼女には逃げるしか方法がなかった。

 

「茉莉!! 逃げて!! もう何なのよこの糸!! 細い癖に切れない!!」

 

 優美は樹の幹に何度も身体を擦り付けて糸を切ろうと試みるが、戒める糸は裂ける症状すら見えない。

 擦り切れた皮膚が真っ赤になっている。

 思い通りにならない身体に苛立ちだけが募り、頭がズキズキしてきた。

 

「……あ……!」

 

 一瞬気が緩んだところで茉莉の右足に糸が絡み付く。バランスを崩し、転倒してしまった。

 

「痛い!!」

 

 地面に倒れ込んだ茉莉の身体に容赦なく白い糸がまとわり付いていった。もがけばもがくほど糸はどんどん身体に絡みついてゆく。

 

「何これ!? べたべたして気持ち悪い!! どうなっているの? 身体から離れない……!!」

 

 粘着性のある糸でがんじがらめにされ、身体がどんどん重くなる。

 茉莉はあっという間に一つの丸い真っ白な繭のようになってしまった。中からは声一つ聞こえない。

 

「……そろそろ頃合いかしら?」

 

 ウィオラが右手を動かすと、繭状になった茉莉は強引にその手に引き寄せられる。すると背後から野太い声がした。

 

「おい。ウィオラ。そろそろ時間だが守備はどうだ?」

 

「お陰でこちらは任務完了。いつでもオーケーよ。加勢ありがとう!」

 

 ウィオラは仲間にウィンクをしながら礼を言った。

 

「それは何より。今回のメインはお前。俺はサブとしてついてきただけだが、正解だったようだな」

 

 頷いた女はちらりと盗み見た。

 

「まさかロセウスが囮とは思わなかったようね。ルフスには悪いけど」

 

「……」

 

 無精髭の男と一緒にいる銀髪紅眼の少年は、何故か口を開かなかった。顔色の青白さが輪をかけて増している。

 

「しかしこれ以上は流石の俺も無理だ。こう見えて立っているのがやっとなんだよ。彼と一緒に俺まで昏倒しちまう。彼女が来る前にさっさと行くぞ」

 

 ロセウスの身体から灰色の光芒が消えた途端、一人の少年の身体が地面に崩れ落ちた。

 その肉体はいつの間にか黒髪碧眼の少年へと戻っていたのだ。

 彼の首に巻き付いたような青痣が痛々しい。

 その手から、藍色の芍薬水晶がころりとこぼれ落ちた。

 その様子を横目で見つつ、ウィオラは勝利の笑みを唇に浮かべる。

 

「了解。 ――ルフス。この娘を返して欲しくば我等ランカスター族の元に帰ってくることね」

 

 繭の中に閉じ込めた茉莉を連れ、ウィオラはロセウスと共に姿を消した。

 

「茉莉!!」

 

 叫ぶ優美の声だけが虚しく虚空に響き渡る。

 

 茉莉が連れ去られた後には鎖の切れたペンダントが一つ落ちていた。

 それは、桃色の勾玉がついた芍薬水晶だった。

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