第二十八章 立ち込める暗雲

 八月のある日。

 

 見渡す限り空の青が冴えわたっている。

 雲一つない晴天だ。

 木々の緑が夏の日差しに煌めいている。

 眩しくて目を開けていられない位だ。

 時折吹く風は湿度の籠もった空気を運び、風鈴を揺らしてゆく。

 

 生徒達が待ちに待った夏休みシーズン到来だ。

 

  バス停「河西公園前」でバスを降り、河西通りを南へ進み「南陽」交差点を右折すれば、“河西坂”に至る。住宅街を左に見ながら、坂を登り切った交差点を右折すると、目的地「河西神社」への階段が目に入ってくる。その階段を上がると、その丘陵上に緑の広がった神社が見える。 それが河西神社だ。

 

 優美の案内に従い、綾南高校新聞部メンバーは目的地に無事たどり着いた。階段を登りきった先に朱塗りの大きな鳥居が静かに佇んでいる。

 

「へぇ。ここが芍薬姫が祀られているという神社……」

 

 鳥居の向こうに一本の大きな桜の木が見えた。

 その枝には、紙がいくつか白い蝶のように結わえられている。

 誰かが気まぐれで引いた後のおみくじの残骸であろう。

 その向こうにはこんもりとした山が見えた。

 青々とした山肌は雲一つない空色に映えて、どこか清々しい気持ちがする。

 

 石畳で出来た参道を歩いて行くと、右手の方から静かに水が流れ落ちる音がした。

 手水舎ちょうずやだった。茉莉達は参拝の前に手をすすぐことにする。

 柄杓から流れ落ちる水を左手に受けていた優美が首をひねった。

 

「ねぇ優美、一体どうしたの?」

 

「ううん。ここの水ってさ、確か井戸水なんだよね。今日はやけに水道水並に生温いから何故かな? と思って。この暑さのせいかなぁ?」

 

 優美が言うには、先日は水が程よく冷えていたそうだ。

 

「そうじゃない? 今日は暑いよねぇ。じっとしていたら煮えてしまいそう!」

 

 額にじっとりと汗が滲む。

 ずっとその場所にいるより、先へ進んだ方が良さそうだ。

 

「参拝してから色々見て回ろうか」

 

 織田は服をパタパタさせながら部長に話しかけた。

 紗英は真っ白なハンカチで額の汗をゆっくりと拭いながら答える。

 

「そうですね。せっかく来たことですし」

 

 彼等は右手に見える神楽殿を通り過ぎ、本殿のある御社殿までたどり着いた。

 

 拝殿の構造は流造ながれづくり切妻千鳥破風きりづまちどりはふ銅板葺素木造どうばんぶきしらきづくりである。

 その裏には本殿がどっしりと構えている。

 その構造は九間社流造きゅうけんしゃながれづくり向拝五間こうはいごけん銅板葺どうばんぶき、外部総朱塗り、流造の社殿三棟を横に連絡した相殿造あいどのづくりである。

 森厳とした建て構えに全員自然と姿勢を正した。

 両脇に石像の狛犬が二体配されている。

 口の開いた狛犬と口を閉じた狛犬。

 阿吽を現しているのだろう。

 

 二拝二拍手一拝。

 一同は柏手を打ち、目を閉じて祈った。

 その時、茉莉の脳裏に少し前の出来事が蘇った。

  

 ※※※

 

 茉莉は河西神社に向かうバスで偶然静藍と一緒になった。

 時間帯的に車内は空いていた。

 座席に四・五人しかいない。

 

 窓の桟に陽の光が反射して眩しいのでモスグリーンのカーテンを下ろす。

 

 バスに揺られながら最初はいつも通り普通に会話を楽しんでいた。

 そして話しの流れ上、静藍が転校してきた時の話題へと移った。

 その途端、静藍の瞳が黒縁眼鏡の奥で揺らめいた。

 いつもの青紫色なのだが、どこか不安定な色をしている。

 

「ところで、転校の理由って、お父さんのお仕事の関係?」

 

「ええそうです。住居の引っ越しで地理的に今の家からの通学が厳しくなったからです。遠距離通学の生徒向けの寮がないところでしたから」

 

 電車で片道三時間は健康な人間でもこたえる。

 確かに転校せざるを得ない。

 

「突然どうしてそんなことを?」

 

「ううん。単に色々知りたくなっただけ。変な意味じゃないよ」

 

 茉莉は一呼吸置いて唇を開いた。

 

「ただ、あんたが来てから急に色々吸血鬼事件を間近に感じるようになったから、何か関係あるのかなと思って」

 

「……」

 

 何かを感じ取ったのか、急に静藍は黙り込んだ。

 

「どうしたの?」

 

「……」

 

 彼はうんともすんとも言わず、そのまま黙り込んでしまった。

 

「……?」

 

「いえ。何でもないです」

 

 伏し目がちの彼に妙に気まずい空気を感じた。

 それ以降、「河西公園前」の停留所に着くまで会話が途絶えてしまったのだ。

 

 ※※※

 

 (何か言いたくないことがあったんだろうな。何かあまり調子が良くなさそうだし、暫くそっとしておこう)

 

 茉莉はそう心に決めた。

 自分だって、自分が言いたくないことは無理に聞かれたくない。

 言いたくなった時にきっと話してくれるだろう。

 それまで待つことにした。

 

 拝殿にて参拝を終えた茉莉達は、左手に見える授与所に立ち寄った。優美が持って来た御守りは、そこで頂いたものらしい。御守り以外にもおみくじやら御朱印やらも授与してあるそうだ。聞くところによると、御朱印帳は様々な襲の十二単を着た芍薬姫の後ろ姿が柄になっているらしい。

 

 立て看板を見たり、建物を見たり写真を撮ったり、宮司に話しを聴いたりと、各自それぞれ時間を過ごした。

 

 当社の宮司が愛梨の知り合いらしく、彼女が事前に掛け合って取材やらを許可してもらったのだそうだ。お陰で今回の活動が気兼ねなく出来て捗る。

 

 休憩所での一休憩も含め、一時間以上経過したところで部員全員集合した。これから先どうするか話し合いをしようとしたところで愛梨が唇を開いた。

 

「ねぇ。先程からこの神社、何かおかしくないですかぁ?」

 

「何がおかしい?」

 

「愛梨の耳が変なのかなぁ? 先程から音が聞こえにくくなったんですぅ」

 

 愛梨が小さな花のピアスをつけた耳を澄ませる仕草をした。

 他のメンバーも音に集中した。

 

 参拝客がいる筈なのに、音が聞こえない。

 

「愛梨の言う通りだ。オレも他の参拝客の声や物音が聞こえねぇっす」

 

 自分達が足で玉砂利を踏むジャリジャリとした音は聞こえる。

 しかし、他の声や物音が聞こえないのだ。

 

 互いの声もイマイチ聞き取りにくい。

 

 神聖な場所の筈なのに、異様な空気が漂っている。

 生温い風が肌を舐めるように通り過ぎて行った。

 

「……到頭来たな。小僧と小娘達」

 

 突然、背後より野太い声が聞こえた。

 全員振り返ってみると、参拝客にしては場違いな出で立ちの男が一人立っていた。身の丈は二メートルありそうな、大柄の男だ。

 

 うねりのあるブロンドよりほんの少し青い色素のある髪。

 インペリアル・トパーズの瞳。

 顎には野性味を帯びた無精髭。

 広い肩幅に胸元を寛げた黒装束。

 厚い胸板にちらりと見える腹筋。

 露出した前腕の筋肉には浮き出た血管。

 口角をあげた唇から覗く牙のような犬歯。

 

 嫌な予感がする。

 最近のニュースで聞いた吸血鬼事件の犯人と特徴が似ているのだ。

 

 全員背中が凍りつくように悪寒が走った。

 ただ不思議なことに、通り過ぎる人々で足を止める者は誰もいない。

 目の前の男は派手で随分目立つ容姿の筈なのに。

 どうやら参拝客は誰一人気がついていない様子だ。

 

「……俺の力で視界をシャットアウトしているから、周囲の人間共には全く見えないし何も聞こえないぜ」

 

 こちらの心の声を見抜いたかのように、その男は口を開いた。余裕のある笑みを浮かべている。

 

「それより、随分と可愛い取り巻きだな。オイ。数百年も経つと色々と変わるものなんだな」

 

「セフィロスの差し金か? ロセウス」

 

 ロセウスと呼ばれた男が後ろを向くと、銀髪紅眼の美少年が佇んでいた。瞳が怒りの炎で燃え上がっている。

 

 こっくりとしたシェリー酒の色の瞳を持つ男がヒョウと口笛を吹く。

 

「よぉ。久し振りだなルフス。美しいがお前随分と弱そうな身体で蘇ったんだな。“器”が華奢なのはセフィロス好みといったところか」

 

「まずは俺の質問に答えろ。セフィロスの差し金か?」

 

 ルフスはやや苛立ちの声だ。ロセウスは溜息を一つついて答えた。

 

「……その通りだ。あいつから頼まれたのでな。お前を取り戻してこいと」

 

「素直に従うと思うか? この俺が」

 

 ロセウスはサイドチェストのポージングをしながら、口元に不敵な笑みを浮かべる。

 

「無論、思わないから実力行使で行くつもりだ。……いくぞ」

 

 二人の吸血鬼は対峙した。

 玉砂利のジャリジャリとした音が響く。

 灰色の光芒と赤の光芒がゆらりと立ち上がった。

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