第二十六章 梅雨明け
ミーン、ミンミンミン……
ジー、ジー、ジリジリジリ……
琥珀色に輝く眩しい日差しの中、
窓の外ではミンミンゼミとアブラゼミが大合唱をしている。
中旬よりまだ早めだから、今年の蝉の初鳴きは早い。
綾南高校では期末試験が終わっており、生徒達は結果を待つばかりだった。夏休みを目前として、どこか浮かれた空気が漂っている。
そんな中、程よく空調の効いた保健室。
白いベッドの上で横になっている生徒が一人いた。
青白い頬に影を作っているさらさらの黒髪。
切れ長で二重の目を飾っている長いまつ毛。
深い青と紫が溶け合うその瞳は少し、元気がない。
薄い唇から押し出される息はどことなく荒い。
机の上には黒縁眼鏡が置いてあり、持ち主の心を写しているかのように無機質な色を映している。
彼は時々保健室を利用する為、別段珍しくもない。
ただ、今日は保健室には縁がなさそうな二人がおまけでついていた。
彼の後輩である右京と左京だ。
彼等は静藍の付き添いである。
今日は十五時には授業が終わる日だった。
部室で右京と左京は静藍に勉強を教えてもらっていた。
なんてことはない。
赤点の可能性が高い科目の再試験対策である。
最初は順調だったのだが、静藍が途中で貧血を起こして倒れた為、保健室に担ぎ込む羽目となったのだ。
「神宮寺君。連絡とれたわ。十七時頃にお兄さんが来てくれるって。一時間位休んで良いわ。鷹松君と虎倉君、悪いんだけど私今から臨時の職員会議に行かないといけないの。三十分ほどしたら戻るから、それまで彼を見ていて欲しいんだけどお願いして良いかしら?」
養護教諭の穂波結花から二人は留守番を頼まれてしまった。
断れるわけがない。
静藍が少し元気を取り戻すまで二人は声一つ立てずにいた。
チ……チ……チ……
クーラーの機械音と時計の秒針が静かに時を刻む音だけ部屋中響いていた。
男子生徒三人だけの保健室なんて、滅多にない光景だった。
※※※
十五分ほどして、静藍の右指がぴくりと動いた。
やや顔をしかめている静藍に気付いた左京が声をかけた。
「静藍先輩大丈夫っすか?」
「……ありがとうございます。左京君。右京君。助かりました。迷惑かけてごめんなさい」
「最近顔色が優れませんけど、病状があまり良くないとか……?」
右京の心配そうな顔を見た静藍は目を細めた。
「病院の結果だと僕は何ともないんですよ。変でしょう? でも、最近は身体の淀みを大きく感じます。もう七月ですしね……」
カレンダーを見ると、静藍はどこか苦しげな表情をした。
もう七月中旬に近い。頭の中に五年前の忌まわしい声が嫌でも蘇る。
――十七歳の誕生日を迎えるその日までに人間として生きるか吸血鬼として生きるかを決断せよ。どちらかを選択せねばお前の命はないぞ――
――唯一“芍薬姫の血”なるものを摂取すれば術は解け人間に戻ることが出来る。だが早々見つかる筈があるまい。諦めて我等の仲間になった方が賢明だ――
己にかけられた呪いを解く鍵となる“芍薬姫の血”はまだ見つからない。
誕生日である八月二十日がタイムリミットだ。
しかし未だ大きな成果を得られず、刻々と時間だけが過ぎてゆく。
それにしても、実体がない芍薬姫の血だなんて、一体どうやって手に入ると言うのだろうか?
自分でも一人であちこち探しているのだが、これと言って手掛かりは見つからなかった。
(僕はこのまま静かに死を迎えるのを待つばかりなのか?
それとも、奴等の言われるがままにならざるを得ないのか? )
「ところで一つ質問して良いですか?」
静藍があれこれと描いていた暗い未来を、右京の言葉がかき消した。
「はい。何でしょう?」
静藍は急いで現実に思考を戻した。
「好きなんでしょ? 茉莉先輩のこと」
「え……?」
突然のことに青紫色の目をパチクリさせた。
「部室で茉莉先輩と一緒に何かしている時、いつも何か嬉しそうですし」
「そうですか? 僕は普通にしているつもりですが……」
どこか落ち着きがなくなる静藍。
「茉莉先輩気性は激しいけど、長女だからか世話焼きタイプだし、元気で太陽みたいな人ですよね。元に戻ったらデートに誘ったらどうですか?」
「……え……!? そ……それは……」
恥じらうように頬をやや染めた静藍は、まるで清純な乙女のようだった。
「オレ達も一緒に頑張るっすから、絶対に諦めないで下さいっすよ。元の先輩に戻れること。どんなことがあっても!」
「元に戻ったらもっと色んなこと出来るようになれるんでしょ? 楽しみを考えながら頑張って乗り切りましょう!」
(ああ、二人は励ましてくれているのだ。
今まで考えたことがなかったが、元に戻ったら、自分は変わるのだろうか?
その時が来たら
僕はどんなことが出来るだろう?
僕はどんなことをしよう? )
頭の中が真っ白になる。
今まで目の前のことしか考えてなかったから、すぐには思い付かない。
まず元に戻れるのか保証はないというのに。
「……ありがとうございます。僕が頑張るしかないです」
自分を励ましてくれる後輩達に礼を言った。
ふとバイブレーターが振動しているのに気が付いた。
自分のスマホを取り出しチェックしてみると、LINEを受信したようだ。
送信者は茉莉だった。右京達から連絡が行ったのだろう。いつも心配かけて申し訳ないという後ろめたい気持ちもあるが、妙に心が軽くなる、そんな感触もあった。
吸血鬼事件絡みで一番負担をかけているのは茉莉だ。
一度は命を落としかけている。
その癖解決への強い一手を握っているのも彼女だ。申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになる。
今回の件が上手く解決したら、部活仲間に何らかの形でお礼をしようと思っている。
だが、彼女には又違った形でお礼がしたい。
どんなのが良いだろうと思いを巡らせるが、今すぐに答えを出さなくても良いかと思考をすぐ元に戻す。
だが、こういうことに思考を使うのは結構楽しいものだと新たに感じた。それは今まで十六年生きてきて初めて生まれた感情だった。
くよくよ悩まずとにかくドジを減らすこと、そして自分しか出来ない探しものを見つけること。
それを続けよう。続ければきっと道は開けてくる筈だ。
静藍は静かにそう心に決めた。そんな彼に左京は自分のスマホを差し出した。画面には何かのゲームのスタート画面が表示されている。つんつん頭の彼はニカッと微笑んだ。
「もし少し起き上がれそうならこのゲームやってみないっすか先輩! 単純だけど面白いっすよ」
「左京〜疲れさせたらまずいって! お前と先輩を一緒にすんな!!」
「ちょっとだけなら良いだろ〜がちょっとだけ! 元気になれるんだから!」
穂波が戸をノックするまで朗らかな喧騒は続いた。
※※※
静藍の兄である神宮寺悟は十七時より十分早く到着した。
保健室の前で穂波と何かを話していたが、すぐに戸を開けて中に入って来た。
大急ぎで駆け付けて来た為か息が少し荒く、額に汗が光っている。ハンカチで汗を拭う度にシャツ越しに上腕二頭筋の陰影が見え隠れする。
背が高くガタイのいい悟と華奢で虚弱な静藍。
実の兄弟なのにあまりにも正反対すぎて後輩二人は目を白黒させていた。
「静藍先輩の兄さんって確か元ラグビー部の選手だと聞いたことある!」
「マジで!? がっちりしていてたくましいなと思ったらそう言う理由かよ。兄弟でここまで正反対なのもある意味すげぇな」
「しっ! 聞こえる!!」
二人は静藍達には聞こえぬよう、ひそひそ声で話した。
「静藍……大丈夫か? ああ、皆さん弟の為にありがとうございます。いつもお世話になっております」
「いえいえ。俺達は普段勉強を教えてもらっているので、これ位はしないと釣り合いがとれません」
「そうですか。恵まれた友人を持てて弟は幸せ者だ」
「兄さん……迷惑かけてすみません」
「気にするな。職場は理解してくれているから、早退を許可してくれた。きちんと仕事は片付けて来ているから心配いらない。早く家に帰って休もう」
悟は帰り支度をする静藍を手伝いつつ、左京達に頭を深々と下げた。
「手の掛かる弟ですが、これからもどうぞ宜しくお願い致します」
神宮寺兄弟が保健室を出て校門に向かうのを見て、左京は右京に囁いた。
「なぁ右京。もし先輩に何かあったらあのお兄さん一人になっちゃうな」
「……え? 先輩はご両親のお仕事の都合でこの高校に来たんじゃなかったのか?」
「聞いた話しだと、ご両親は事故でもういなくて、あのお兄さんが保護者らしいぞ。職員室で先生達が話しているの、つい立ち聞きしちまった」
右京は思わず周りを見渡し、誰もいないのを確認してほっと胸をなでおろした。
「表向きにしない理由があるんだろうけど、それあんまり言いふらすんじゃないぞ左京」
右京の声がやや震えている。
それを見た左京は溜息を一つついた。
「分かってら。これ話したのはお前が初めてだ。オレ達だけの秘密ってヤツ。良いな右京」
「ああ。何としてでもこの事件を解決して先輩を元に戻してあげないとな!」
二人は拳同士を威勢よくぶつけた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます