第ニ編 襲いかかる魔の手
第二十一章 目が覚めて
「……え……!?」
茉莉が目を覚ますと、眼前の瞳と目があった。
その瞳は色彩がとろけあう、穏やかな青紫色。
やや切れ長の二重まぶたを彩る長いまつ毛が、陰影を作っている。どこか痛いような表情をにじませていた。
髪は絹のような黒で、さらさらしている。
まるでルフスの色違いの兄弟のような面差し。
(良かった。静藍が戻って来た)
どこか緊張が緩み、眠気が襲ってきそうになる。
(戻って来たのは私も一緒か)
そこで、はたと気が付いた。
確か自分は床に倒れた筈。
でも、後頭部の感触は思った程硬くない。
寧ろ若干柔らかい。
(……ということは……)
そこで茉莉は自分の現状に気が付いた。
頭の下は静藍の太腿だったのだ。
「……!!」
彼女は思わずがばりと飛び起きた。
その途端、額同士がごつんとぶつかる。
茉莉が急に上体を起こした為、静藍は避けきれなかったようだ。
「……っっ!!」
「痛ぁ……静藍ごめ〜ん!!」
(膝枕!! しかも静藍の!? 何故? どうしてこんな展開なの!? いくら何でもあり得なさ過ぎ!!)
頭の中で混乱の言語が飛び交い衝突し続ける。
額をさすりつつ、茹で上がる蛸のような顔。
おどおどしている茉莉の耳に、叫び声が突き刺さってきた。
「茉莉――――っっ!!!!」
優美は茉莉の胸ぐらを掴み、激しく前後左右にと揺さぶった。目を泣き腫らしていて、すっかり充血している。
「あわわわわわわわ……」
揺さぶられ日本語が崩壊している茉莉の傍で、織田が優美をなだめようと苦労している。
「この馬鹿!! 馬鹿馬鹿馬鹿!! 馬鹿!! 何て無茶をするのよ!! 下手したらあんた本当に死んでたのよ!? あんたが死んだらあたし……あたし……!!!!」
大粒の涙をぽろぽろこぼしながら睨みつけてくる親友を茉莉は思わずぎゅっと抱き締めた。
胸が締め付けられるように痛む。
先日の入院騒動で心配させたのに、また心配をかけてしまった。
「うん、うん……優美……ごめんね。私つい考えるより身体が先に動いちゃって」
「あんた猪突猛進ガールだから、周りはたまんないわ。一気に視野が狭くなるんだもん! その癖を治してってあたしずっと言ってるじゃん!!」
わあああっと泣き出す親友の背中を軽くぽんぽん叩いていると、背後から弱々しい声が聞こえてきた。
「……良かったです。茉莉さん気が付いて……」
嫌な予感がした茉莉は振り向いた。言わずもがな、静藍の顔色はいつもより輪をかけて青白くなっている。
「……!!」
ぐらりと前方に倒れてきた静藍の身体を、茉莉は優美と一緒に抱きとめた。顔色が非常に悪い。眼鏡を部室に置いてきている為、彼は素顔を余すとこなく晒している。
目鼻立ちが良く整った顔立ち。
ボタンが外れたままのシャツ。
むき出しにされた首元。
輝いている汗。
美しい翳りがある長いまつ毛。
息苦しそうな吐息。
こんな時でも妙にどきどきしてしまう自分の頭を茉莉は殴りたくなった。
そんな彼女の肩をぽんっと軽く叩く者がいた。紗英だ。銀縁眼鏡の奥にある瞳は少し安心した色をしている。
「静藍君……というよりもう一人の“彼”があなたの傷を治してくれたのですよ」
(……え? あいつが!?)
「ルフス……でしたね? 彼は超能力で物を動かすだけではなく、細胞まで動かして治癒させる力まで持っているだなんて。凄いという一言だけでは言い表せません」
自分が意識のない間の出来事を、紗英は説明してくれた。
茉莉が倒れた後、黒いフードの美少年はすぐその場を立ち去った。ルフスは即座に彼女を抱き寄せ、傷口を止める処置を施していた。
処置と言っても呪文を唱え、掌をかざすだけなのだが。
ルビー色の光が燦然と輝きを増し、それに呼応するかのように、腹にある傷口がゆっくりと閉じてゆく。まるでDVDやBlu-ray Discの早戻しのように、出血はあっという間に茉莉の体内に戻ってゆく。傷口が消え、出血の海が消え去ると、ルフスの髪の色が銀色から少しずつ黒へと変わっていった。その時には茉莉はかすかな呼吸が戻って来ていたらしい。
その時の彼は無愛想なのは変わらないが、必死さが加わっていたそうだ。
「あの時のルフスはあなたを本気で助けようと一生懸命で、とても格好良かったですよ」
茉莉は制服のシャツをそっとめくり、改めて自分の腹を見た。確かに傷なんて嘘のようになくなっていた。胸のあたりにまで広がっていた筈のおびただしい血痕もない。限界を超えた痛みも今は何も感じなくなっていた。
……シャツの腹のあたりと背中に残るかぎ裂きのような穴が、先程の戦闘をなかったことにしてくれないけれども。
(……その代わりあいつの身体の負担は重いんだろうな。無茶をしているのはあいつも同じだわ。感謝すべきことなんだけど、何か複雑……)
考え事をしていた茉莉の膝から重みが消えた。見上げると、織田が静藍の肩に手を回している。
「彼を少し休ませよう。一先ず図書館内にある休憩室にいこうか。俺が担いでやる」
織田はぐったりとした華奢な身体を軽々と背負った。
「あと、水分補給をしましょうか。みんなひと休憩したら部室に戻りましょう」
紗英と織田の指示の元に、五人は一旦図書館に戻ることにした。小高い丘を登っていると、茉莉の肩から何かがふわりと掛けられた。よく見ると、学校指定である紺色のカーディガンだ。優美がそっと耳打ちしてくる。
「茉莉、あたしのカーディガンかしてあげる。その穴目立つだろうから」
「サンキュー。優美」
親友の好意に感謝する茉莉。優美は言葉を続けた。
「ところで裁縫セットある? あたし今持っている。鞄の中にならあるけど、かそうか?」
「凄く助かる! 恩に着るよ優美」
「補修布もあるから使いなよ。生憎アイロンまではないけどね」
あまりの準備の良さに茉莉は目を真ん丸にした。
※※※
茉莉は図書館にたどり着くなりトイレでシャツを脱ぎ、優美からかりたカーディガンを着込んだ。確認してみると、確かにこの穴は目立つ。穴は前と後ろとあった。位置的にも刃物が見事に貫通した跡だ。ルフスが何もしなければ自分は文字通り死んでいたのかもしれない。そう思うと背中のうぶ毛が毛穴から全てぞくりと立ち上がる感じがした。
茉莉が休憩室に行くと、部員のみんなはそれぞれくつろいでいた。自動販売機で飲み物を買ったり、椅子に座ってテーブルに顔をつけて伸びをしたりしている。空調が程良く効いている。外の蒸し暑さに比べるとここは天国だ。丁度良いタイミングなのか、他の利用客は特にいないようである。
空調が直接当たりにくいところに置いてあるソファに、誰かがぐったりと横たわっている。静藍だった。テーブルの上にポカリスエットの缶が置いてある。ステイオンタブは開いているから、中身を少しは飲んでいるようだ。誰のものかは不明だが、掛け布団代わりのカーディガンが彼の上にかけてあった。大振りなので多分織田のであろう。おでこには冷えピタシートが貼ってあった。
「静藍君。大丈夫?」
「……いつもの貧血を起こしただけです。ご心配おかけしてすみません。みなさん」
「今日は早目に休んで下さい。みんなを守ってくれた分、あなたが一番疲れていると思いますので」
「どうもありがとうございます」
静藍は力なく微笑みを浮かべていた。茉莉を含めた自分の関係者が無事であることを心底安心しているようだ。
そんな彼を横目に、榛色の瞳の少女はふと思った。
夢で芍薬姫に会ったのは自分だけだ。
しかし、あれは本当に夢のようなものだったのだろうか?
(しかし、芍薬姫は今実体がない。ということは、“芍薬姫の血”は手に入らないのでは……? それとも“血”と言われている何か別のものがあるのだろうか?)
――わらわはついておる。
芍薬姫の声が脳内で蘇る。姫には近い内にどこかでまた会えるような、そんな気がしてならない茉莉だった。
彼女は優美から渡された補修道具一式を机の上に出した。掌に収まるコンパクトなサイズの裁縫セットと真っ白な補修布だ。何かあった時ようの応急セットとは言え、大層準備が良い。きっと救急セットも普段から持ち歩いているんだろうなぁとぼんやり思う。
とにかくシャツの穴を応急処置で塞ぎ、もし母親にバレたら木登りした際に枝で引っ掛けて破いたとでも言い訳しておこうと開き直る。彼女には過去にコケたり木の枝に引っ掛けて洋服に穴を開けたりの前科がたんとあるからだ。
(今更深く勘繰られることはない筈だ。家に帰ったらアイロンでこっそり補修しよう)
シャツと補修布を応急的に針と糸でちくちくと縫い合わせながら、密かにそう心に決めた茉莉だった。
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