第六十三章 セフィロスの力
セフィロスの傍に現れたのは、彼の右腕であるウィリディスだった。彼女は妖艶な口元にどこか余裕のある微笑みを浮かべているのだが、今はすっかり鳴りを潜めている。横一文字に引き締まっているそれを静かに動かし始めた。
「……ルフス。これから先はわたくしが話すわ」
「ウィリディス?」
「あなたに伝えなければと思っていたの。あなたが知らないこれまでのことを」
翠玉の瞳が紅玉の瞳を真っ直ぐに見据える。
キャラメル色の髪を持つ美女は、深呼吸して口を開いた。
「あの時あなたが目の前で消えるように死んで、その衝撃でセフィロスの“力”は制御不能になってしまったわ」
「……!」
「制御を失った彼の力が暴走して、ヨーク家を殲滅させるのみならず、わたくし達の貴艶石まで破壊されそうになった……」
(貴艶石を破壊しかねない力……!? )
ルフスは目を見開いた。
それは頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。
昔手合わせをした時に、セフィロスは彼を褒め称えつついつも自分を卑下していた。口に出すことはなかったが、いつもどこか全力を出し切れてないなと薄々感じていた。てっきり全力を出さず遠慮していたとばかり思っていたのだが、どうやら思い違いがあったらしい。
(そう言えば生前のマルロも言ってたな。彼の力は身体の奥深くに強く内包されている分、誰よりも威力が膨大過ぎて制御が大層難しい。精神が不安定になるとこの安定が一気に崩れる恐れがある。一度保てていた均衡が一旦崩れると安定を取り戻すのが非常に難しく、大変危険だ……と)
二つ目の心臓とも言えるランカスター一族の貴艶石は、普通の刃物や弾丸といった武器では壊すことが出来ない。壊せるのはあの時自分を刺した、ヨーク家が編み出したような芍薬の宝剣位だ。それをも破壊するとは、確かに尋常な力ではない。
(本当にそんな力を……? あのセフィロスが……!? )
嘗て自分の貴艶石が破壊された時の感触を思い出し、ルフスは吐き気を催しそうになった。
一瞬の激痛の後に襲われる、己が無に帰するその瞬間。
意識ある状態で、身体中全ての細胞が一個ずつ灰化してゆくのを直視し、感じ続けるのだ。
心臓が灰化し、完全にその動きを止めるまで――
正直、気持ちの良いものではない。
あの時、ヘンリー夫妻はどう感じたのだろうか。
(俺のせいで……セフィロスが……壊れたのか……!? )
現在の彼が体内に持つ貴艶石は、大変小さい。
セフィロスによって静藍の体内に埋め込まれた彼の貴艶石の欠片。五年間その身体に宿っていたが、彼が覚醒して以来ただ一度として人間を吸血することがなかった為、充分な血肉を得ていない。生前、彼が常に吸血し続け、日々欠かすことなく血を与えていたそれとは無論、比べ物にならない状態だ。それでルフスの能力を生み出し、繰り出していた。今思えばよくぞここまで堪えてきたものだと改めて思う。
もしセフィロスの力が再び暴走すれば、脆弱なそれは一秒も耐えられないだろう。胸中を焼かれるような思いがしたルフスはギリリと歯を食いしばった。
「わたくしがそれを放っておけると思う? “当主の監視者”であるこのわたくしが」
エメラルドグリーンの瞳は、どこか悲痛な面持ちだ。
「あの時あなたの身体は灰化したけど、貴艶石だけは何故か形を留めていたの。辛うじてだけどね。そしてセフィロスだけには人間を吸血鬼化させ仲間を増やす能力が備わっている。だからあなたを蘇らせることに彼の意識を集中させてみることにしたの。それが彼を救う唯一の方法だと思ったし、わたくしにはそうすることしか出来なかった。わたくしだけではなく、みんなそう思っているわ」
当時を思い出していたのか、ウィリディスの声はやや上擦っていた。どうして良いのか、何が最良なのか手探り状態で彼女なりにセフィロスをこれまで精一杯支えて来たのだろう。ルフスは一度目を閉じる。どこか冴えない表情だ。
「セフィロスの強大な力をわたくしが抑え込んでいるの。暗示をかけて人間を操ったりする程度なら今のところ大丈夫だけど、それ以上は使えないようにしているの。もしわたくしが“解除”したら誰にも止められなくなるわ。彼が再び制御を無くしたらどうなるか分からないのよ!」
(セフィロスが変わってしまったのは俺のせいなのか……!?)
三人の吸血鬼達の間で暫く沈黙が続いた。
※ ※ ※
「……そんなことがあったのですね……」
ウィリディスの話しに耳を傾けていると、聞き覚えのある声が近付いて来た。
優美はその方向へ反射的に顔を向けると、ぱっと明るい表情を見せた。腕の中の茉莉はまだ意識が戻らないのか、微動だにしない。
「……部長! 愛梨ちゃんも! 無事で良かった……!!」
紗英と愛梨が優美達の元へと戻って歩いてきていたのだ。二人共髪は乱れ、ぼろぼろで真っ黒だったが、大きな怪我はなく元気そうだ。
「左京達も、もう少ししたらここに来ると思いますよぉ。随分派手にやらかして遠くまで吹き飛ばされてたみたい。でも二人共ちゃんと生きてるのを私、この目で見てますから安心してくださぁい!」
口調は普段と変わらないが、声に張りがない。
二人共複雑な表情をしていた。聞こえてきたウィリディスの話しと静藍から聞いた話しとを重ね合わせているのだろう。
自分達と同じ位の年齢だった彼等が遠い昔に過酷な想いをしながら生き続けてきたのだ。
失った仲間を探し求め、二百年以上も彷徨い続けてきた。
希望と絶望を何度も繰り返したに違いない。
紗英達はどう反応して良いのやら、見当もつかないのだ。
優美の腕の中に倒れている茉莉の姿を見付けると、二人共慌てて駆け寄った。頬に手を当てたり、何も持っていない左手を握ったりしている。
「彼が……ルフスが彼女にかけられた術を解いてくれたらしい。俺達は彼女が目覚めるのを待ちながら、彼等を見ていた。俺達は今、この場を見守ることしか出来んな」
織田が顔を上げると、三人の吸血鬼達が視線をぶつかり合わせていた。互いに掛ける言葉が見つからないのか、沈黙が続いていた。
ルフスは一つ疑問があることに気付き、話題を変えた。
視線はサファイアの瞳へと向いている。
「ところで、今まで“家”にこだわっていたお前は何故あの国から出てきた? 俺達を脅かす者はヨーク家以外なかった筈だし、もうあの時滅亡したのだろう?」
「……あの闘いは我々ランカスター家にも多大な被害を及ぼしたのだ。生き残ったのは私を含め五人のみ」
「……」
「屋敷を含め、敷地内は奴等の手により燃やし尽くされ全て灰と化していた。文字通り“全て死に絶えていた”」
息を飲むルフス。自分の死後、当時の状況を今まで知る由もなかった彼は黙って相手の話しを聞くしかなかった。
「急に全てを失って、右も左も分からない状態。後ろ盾一つない若者五人で一体何が出来たというのだ?」
「……」
ルフスは右手をぎゅっときつく握りしめた。その手の甲にある関節が輪を掛けて色白くなっている。セフィロスはウィリディスの左の耳元に唇を寄せ、そっと囁いた。
「ウィリディス。ロセウス達の状態を見てきてくれ」
「え……でも……」
突然自分の傍を離れる様に指示を出すセフィロスに、ウィリディスの瞳に不安の色がよぎった。右袖を握る指に思わず力が籠もる。セフィロスはその上から左手で覆うように触れた。心なしか、温もりがあるように感じた。
「無理しないから」
「……分かったわ」
こくりと首を縦に振った後、ウィリディスは仲間達の元へと向かう為、高く跳躍した。目指すは煙幕のように土ぼこりが立つ場所だ。後ろ髪を引かれる思いがしたが、彼等の動向も心配だった。
彼女の姿が見えなくなったところを見届けた後、セフィロスとルフスは互いに向き直った。
青玉と紅玉の視線が火花を散らす。
喪服のような黒装束と白いTシャツ。
まるでそこだけ切り取ったかのように、二人の所だけ別の時間が流れている。
「……」
織田達から見ると、自分達の側にいる筈のルフスがどこか別の世界にいる人物に見えた。
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