日本で最も累積で売れた小説は夏目漱石の「こころ」だそうである。初版は大正三年。漱石の小説は全ての人の共有財産という考えで遺族は著作権を放棄している。私も大好きで何度も読み返した。物語中で「私」と「K」が散策し、「K」が眠っている雑司ヶ谷霊園にも足を運び、夏目漱石の墓参をしたくらい、大好きな小説である。
第2章「両親と私」の最後、先生からの分厚い手紙を受け取った「私」は、あまりの長文なので、まずはパラパラと拾い読みしていたら、最後の方に「この手紙があなたの手に落ちる頃には、私はもうこの世にはいないでしょう。とくに死んでいるでしょう」 という一文を目にする。それを見て「私」はいてもたってもいられず、先生に会いに行こうと汽車に飛び乗る。座席に座ると改めて先生の手紙をしっかり読もうと広げた。
第2章「両親と私」の最後、先生からの分厚い手紙を受け取った「私」は、あまりの長文なので、まずはパラパラと拾い読みしていたら、最後の方に「この手紙があなたの手に落ちる頃には、私はもうこの世にはいないでしょう。とくに死んでいるでしょう」 という一文を目にする。それを見て「私」はいてもたってもいられず、先生に会いに行こうと汽車に飛び乗る。座席に座ると改めて先生の手紙をしっかり読もうと広げた。
第3章はこの先生からの手紙の全文になる。さらに言えば、この第3章が「こころ」全体の半分を占めるという、実に長文の手紙となっている。学生時代の先生が下宿をし、後から友人のKが加わり、下宿屋のお嬢さんとその母親と4人での生活。Kの告白。先生の裏切り。Kの自殺。先生の結婚。先生の苦悩。これらが詳細に語られる。そしてその手紙の最後の最後に、この手紙を読む「私」に向けて「この手紙があなたの手に落ちる頃には、私はもうこの世にはいないでしょう。とくに死んでいるでしょう」 。
第二章の終わりに出てきた一文が、第三章にして物語の最後に再登場するのである。第三章はこれが手紙である事を忘れさせるくらい独立した長文の物語になっているが、再登場したこの一文で、これは「私」が読んでいる先生の手紙なのだと我に返らされる、見事な演出である。
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太田裕美さんの名盤『ELEGANCE』はいずれも名曲揃いなのだが、その中でも「煉瓦荘」は特別である。歌詞の主人公は詩人という設定であり、これは作詞の松本隆氏自身を反映させたものではないか、とも言われている。
太田裕美さんの名盤『ELEGANCE』はいずれも名曲揃いなのだが、その中でも「煉瓦荘」は特別である。歌詞の主人公は詩人という設定であり、これは作詞の松本隆氏自身を反映させたものではないか、とも言われている。
「あれからは詩を書き続けた。悲しみにペン先ひたして」
前奏なく、このような歌い出しで曲は始まる。煉瓦荘という、かつて青春時代に恋人と過ごしたアパートを、現在、大人になった自分が再訪する。部屋の中に入ると、時代の空気に息づいて鮮やかだった毎日を想い出す。崩れた白壁、荒れた庭の草、自分たちの青春がここに眠っていると感傷的になる。あの時代から遠く離れ、別れた相手にも自分にも、それぞれその後の人生があるはず。もしあのまま別れずにいたら、どんな人生を歩んでいただろうか。
そして曲の最後に、最初のフレーズが再登場する。 「あれからは詩を書き続けた。悲しみにペン先ひたして」。二度目のこの歌詞は、歌詞こそ同じなもののメロディが異なり、「ひたしてーーーー」と、想いを強調するかのように長く伸ばして歌われている。回想の風景がふと現在に戻される。見事な演出である。
とにかくこの曲は完璧、パーフェクトである。モーツァルトのどの曲よりも美しいメロディを持ち、ドストエフスキーの長編小説のような物語が詰まっており、さらに太田裕美さんの愁いを帯びた歌唱、これ以上の名曲があるのだろうかと思う。