善悪の彼岸

“殺菌には日の光に晒すのが一番だそうだ”(米国最高裁判事ルイス・D・ブランダイス)

「こころ」と「煉瓦荘」

2016-08-08 16:04:42 | 善悪の彼岸
 日本で最も累積で売れた小説は夏目漱石の「こころ」だそうである。初版は大正三年。漱石の小説は全ての人の共有財産という考えで遺族は著作権を放棄している。私も大好きで何度も読み返した。物語中で「私」と「K」が散策し、「K」が眠っている雑司ヶ谷霊園にも足を運び、夏目漱石の墓参をしたくらい、大好きな小説である。

 第2章「両親と私」の最後、先生からの分厚い手紙を受け取った「私」は、あまりの長文なので、まずはパラパラと拾い読みしていたら、最後の方に「この手紙があなたの手に落ちる頃には、私はもうこの世にはいないでしょう。とくに死んでいるでしょう」 という一文を目にする。それを見て「私」はいてもたってもいられず、先生に会いに行こうと汽車に飛び乗る。座席に座ると改めて先生の手紙をしっかり読もうと広げた。

 第3章はこの先生からの手紙の全文になる。さらに言えば、この第3章が「こころ」全体の半分を占めるという、実に長文の手紙となっている。学生時代の先生が下宿をし、後から友人のKが加わり、下宿屋のお嬢さんとその母親と4人での生活。Kの告白。先生の裏切り。Kの自殺。先生の結婚。先生の苦悩。これらが詳細に語られる。そしてその手紙の最後の最後に、この手紙を読む「私」に向けて「この手紙があなたの手に落ちる頃には、私はもうこの世にはいないでしょう。とくに死んでいるでしょう」

 第二章の終わりに出てきた一文が、第三章にして物語の最後に再登場するのである。第三章はこれが手紙である事を忘れさせるくらい独立した長文の物語になっているが、再登場したこの一文で、これは「私」が読んでいる先生の手紙なのだと我に返らされる、見事な演出である。

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 太田裕美さんの名盤『ELEGANCE』はいずれも名曲揃いなのだが、その中でも「煉瓦荘」は特別である。歌詞の主人公は詩人という設定であり、これは作詞の松本隆氏自身を反映させたものではないか、とも言われている。

 「あれからは詩を書き続けた。悲しみにペン先ひたして」

 前奏なく、このような歌い出しで曲は始まる。煉瓦荘という、かつて青春時代に恋人と過ごしたアパートを、現在、大人になった自分が再訪する。部屋の中に入ると、時代の空気に息づいて鮮やかだった毎日を想い出す。崩れた白壁、荒れた庭の草、自分たちの青春がここに眠っていると感傷的になる。あの時代から遠く離れ、別れた相手にも自分にも、それぞれその後の人生があるはず。もしあのまま別れずにいたら、どんな人生を歩んでいただろうか。

 そして曲の最後に、最初のフレーズが再登場する。 「あれからは詩を書き続けた。悲しみにペン先ひたして」。二度目のこの歌詞は、歌詞こそ同じなもののメロディが異なり、「ひたしてーーーー」と、想いを強調するかのように長く伸ばして歌われている。回想の風景がふと現在に戻される。見事な演出である。

 とにかくこの曲は完璧、パーフェクトである。モーツァルトのどの曲よりも美しいメロディを持ち、ドストエフスキーの長編小説のような物語が詰まっており、さらに太田裕美さんの愁いを帯びた歌唱、これ以上の名曲があるのだろうかと思う。


ぬるい

2016-08-07 20:35:39 | その他

 石川県野々市市の当時中学1年生の女子生徒がいじめを苦に自殺した問題で、学校側がいじめの防止措置を怠ったとして両親が、市に対し7227万円あまりの損害賠償を求める訴えを起こすことがわかりました。

 女子生徒の父親「娘がかわいそうすぎる。何としてもその気持ちを晴らしてあげたい、それだけです」 「きちんと真実確定させてそしてそれに対する報いというか責任を誰かがちゃんと果たすけじめをつけたい」  



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 写真を見ると、まだ幼い女の子じゃないか。中学1年生といえば、まだ13歳ではないか。これから、学生時代を経て、恋をして、結婚して、そういう美しい未来があったはずである。人生はまだ始まったばかりで、これからではないか。子供が犠牲になる事故や事件は本当に他人事ながら胸が痛む。

 しかし、この親もぬるいな。自分の娘が自殺に追い込まれたのである。私がこの子の親であったなら、もし自分の家族がこのような目に遭ったならば、イジメた奴らひとりひとり追いつめて、懲役覚悟で全員に相応の復讐をする。法的には許されずとも、神は許すであろう。




女帝

2016-08-06 14:06:49 | その他
 野村沙知代はコロンビア大学、ショーンKはテンプル大学だかソルボンヌ大学だか、その昔ペパーダイン大学というのもおり、政治家の箔付けに日本人にはわかりづらい海外の大学を利用した学歴詐称が頻繁に起きる。そして小池百合子はカイロ大学である。

 小池百合子がカイロ大学を卒業していようがいまいが、重要なのは職能であって、有権者としてはどうでもいい。例え東大卒であっても福島瑞穂のような思想思考では困る。そして今回問題となっているのは、卒業したかどうかではなく、卒業していないのにしたと嘘をついているのではないか、そしてそれは公職選挙法に反するという点にある。

 人の口に戸は立てられぬ。おそらく卒業はしていまい。先述のように有権者にとって卒業事実の有無などどうでもいい。カイロ大学卒業が何かに有利に働くという事はないし、逆に中退であれ何らマイナスに作用するものでもなかろう。だからこそ、なぜそこまで小池百合子氏が卒業だと言い張るのか理解出来ない。正直に言えばよいではないか。

 おそらく今さら認めるわけにはいかないのだろう。一度嘘をつくと、その嘘を隠蔽するために嘘を重ねる事になる、まさに典型的なそれである。


 石井妙子氏の著書「女帝」は、小池百合子の職場にも、つまり東京都庁の書店にも平積みされていた。 



花凛さん

2016-08-05 05:54:31 | その他
 マキノマキさんの漫画が好きである。絵柄が可愛い。そして内容も面白い。特に「花凛さん、つじつまが合いません!」の花凛さんが、もう可愛くて仕方がない。花凛さんは笑顔も可愛いが、年齢詐称を白状した時の、うわ~んという泣き顔、これがまた可愛いかった。漫画のキャラクターなのに、まるで恋心を抱いたかのように花凛さんが可愛すぎてつらい。早く続きが読みたい。

 「ブラックガールズトーク」は実写ドラマ化されたが、「花凛さん」が実写化されるとしたら、役柄は誰になるだろう。12歳サバよんでも違和感のない女優さん。難しいな。

 マキノマキさんの作品は、全て電子書籍の新刊で購入している。僅かでも作家の収入に反映され、マキノマキ先生の今後の創作に貢献出来ればいいなという気持ちである。




悪い奴ほどよく眠る

2016-08-04 15:01:47 | その他
 手塚治虫の功績のひとつは、漫画にアンハッピーエンドを用いた点にある。エンターテイメントを芸術に昇華させるには、そして物語に深みを与えるならば、予定調和で勧善懲悪のエンディングだけでは物足りないと考えたのであろう。

 しかし、黒澤明監督の「悪い奴ほどよく眠る」ほど後味の悪い映画はない。三船敏郎と加藤武の復讐は99%成功するはずであった。観客もそれを望んでいたはずである。しかしこの映画はカタルシスを与えてはくれない。最後の最後で、悪い奴らがよく眠られる結果となってしまう。胸糞悪い。後味悪い。

 黒澤明監督には「醜聞」という映画があり、ハッピーエンドのメロドラマで一般的に評価は低い。それとは比べものにならないくらい「悪い奴ほどよく眠る」は重厚で深い映画ではあるのだが、それにしても後味が悪い。これこそハッピーエンドにして欲しかった。それによって映画の芸術性は何ら失われるものではないと思うのだが。いや、それも監督の選択だから致し方あるまい。そして、この後味の悪さ故に後世に残る名画となっているのかもしれない。