「足利尊氏」に「徳川家康」...偉人や皇族も愛した地で「女たらし」が起こす珍道中! 悪巧みの末たどり着いた驚愕の結末とは

読みどころ

興津宿は、甲州への道が分かれる交通の要衝。甲州への道は甲州往還、もしくは身延道と呼ばれた。日蓮宗の総本山・身延山を通る街道だからだ。

身延道は、甲州万沢(山梨県富沢町)を抜けて甲府に至る。万沢から甲府までの順路は一定しているが、万沢に出るには3つの道筋があった。そのひとつが、興津から小島、宍原をへて万沢に至る道筋である。

為次郎を迷わせた道標は、元禄6年(1693)に興津中町に建てられた。そこには、さらに古い承応3(1654)年建立の法華題目碑もある。こちらは高さが3mもある馬鹿でかい代物だ。身延山への参詣路であること一目瞭然。

岐路に立った時、人は否が応でも選択を迫られる。ああ、あのとき、こちらの道を選んでいれば、と後悔のホゾをかむのが人生というものらしい。女たらしの為次郎だとて、一本道を行くようなわけにはいかない。

身延道と東海道が交わるところまで来て、為次郎は足を止めた。
石の道標があった。

東海道と身延道の分岐点には、大きな道標が建つ。

十余日前、ここで思案した。小島へ行くか行かないか、末広屋を訪ねるか訪ねないか、お小夜をくどくかくどかないか…。

道標は歳月に蝕まれ、石がぼろぼろに欠け落ちている。ところどころ黒く変色して、刻まれた文字も読みにくい。

為次郎はふっと思った。

「こいつはおいらだ」

興津川沿いをさかのぼると、大小の岩に堰かれて流れが激しく渦巻いている場所がある。薄青、紺、藍、群青…など、「水にかかわるありとあらゆる色の濃淡が、きらめく陽光と溶け合って、渦という摩訶不思議な世界」(「渦中の恋」)を現出している。登場人物たちは、さかまく渦に吸い寄せられるようにこの場所にやってくる。

興津川は、はかない恋、夢のかけらを押し流して海に出るのだった。

『幕末を代表するヤクザ「清水次郎長」...その妻は「浮気」していた!? 2人の男の間で揺れる「極道の妻」の衝撃の生き様』へ続く