「足利尊氏」に「徳川家康」...偉人や皇族も愛した地で「女たらし」が起こす珍道中! 悪巧みの末たどり着いた驚愕の結末とは

偉人たちの足跡

与謝野晶子が「龍臥して 法の教へを聞くほどに 梅花のひらく 身となりにけり」と詠んだ臥龍梅は、家康が接木したという。五百羅漢は江戸中期の仏像で、それぞれ異なる表情を浮かべて斜面に並んでいる。島崎藤村の『桜の実の熟する時』にも、ここの五百羅漢が描かれている。

東海道を逆に由比方面に戻ると、信用金庫の角地に身延山道の道標と題目碑だ。身延山道は幅3mほど。現在は国道52号として郵便局前が起点となっている。身延道は、鎌倉期にはすでに開かれていたらしいが、戦国時代、駿河侵攻をもくろむ武田信玄によって整備された。江戸時代初期には、身延山久遠寺への信仰の道となっていた。

すでに廃業した水口屋は、皇族、西園寺公望らの政治家、文人らが多数泊まった老舗の名旅館だった。

水口屋は現在、ギャラリーとして公開されており、皇族方の御用達帳、昭和天皇・皇后両陛下が使用された食器、掛け軸などを展示している。

朝鮮通信使の遺墨が残る清見寺。

「世に名も高き興津鯛 鐘の音ひびく清見寺 清水につづく江尻より ゆけば程なき久能山」―とは、「鉄道唱歌 第一集」の歌詞である。

晩年を駿府ですごした家康は、遺命として久能山に眠ることを託してあの世へと旅立った。久能山東照宮の社殿は、平成22(2010)年に国宝に指定され、平成27年4月には「御鎮座四百年祭」が行われた。太平洋を見晴らす久能山は石垣イチゴの発祥地として知られ、イチゴ狩りの人々で賑わう。