Conversation

なんか、織田信長に仕えた黒人の弥助の話題になっているみたい。彼に関する史料はかなり乏しいが、信長に仕える「侍」身分であったことはまちがいなかろう。出身の身分がどうであれ、主人が「侍」分に取り立てれば、そうなれたのが中世(戦国)社会。なんでそんなことが言えるかといえば、①信長より「扶持」を与えられている、②屋敷を与えられている、③太刀を与えられている、と史料に登場するから。「扶持」を与えられ、信長に近侍しているということは「主従の契約」「扶持の約諾」という重要な用件を満たしている。また、太刀を許されているので、二刀指であり、下人などではない(下人には刀指が認められていない)ことも重要。ましてや、屋敷拝領ならば、疑問の余地はない。宣教師の奴隷を、信長が譲り受けたところまでは、奴隷だったのだろうが、上記の①~③により、彼の意思によって「侍」分になったのだろう。本能寺の変時に、明智方が「動物」「日本人に非ず」などとして殺害しなかったというのは、それは明智が弥助を「侍」と認定しなかった(差別意識があったのだろう)だけにすぎない。身分が低い者を、主人が「侍」に取り立てることは、当時としては当たり前であった。そもそも、秀吉って立派な事例があるじゃんね。