ローマ皇帝

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ローマ皇帝とはローマ帝国の最高権力者にしてローマ帝国の時代時代を象徴する個性豊かなイメージキャラクターである。ローマを上げたり下げたりするおしごとに従事していた。

兵士のみんなー見て見てーこれローマ皇帝だよ!ローマ皇帝!


概要[編集]

ローマ皇帝は、元老院や軍隊から最高権力者として認められ、ローマ帝国の全てを支配する権力を持ったローマのイメージキャラクター達を指す。
「クソ雑魚泣き虫陰キャ歴オタだったのに政治経済やらせると天才おじさん」「戦闘狂のマジキチなのにギリシャ語など多くの言語を習得済みのインテリ軍人」「薔薇に関するエピソードがある男の娘でドエスでドエムで売春婦」などといつもこいつも属性がとっ散らかってるのはローマ人が創作物に寛容でどの属性でもイケるクチだったので必然のことなのである。

古代ローマは当初は王を頂く王政時代から始まり、王を捨てて選挙で選ばれる1年制の執政官が政治を差配する共和制時代を通じて大規模な拡張を行ってきた。しかしアウグストゥスが初代皇帝として就任してローマ帝国となった以降は拡張されることがなくなり、急激に衰退していくことになった。これは後にローマ時代の制作物がオーバーテクノロジーと言われるほど肥大化し突出すぎたローマの強権から世界を解放し、世界の均衡を保つための歴代皇帝の尽力の結果であった。歴代のローマ皇帝達は紀元前27年から紀元395年までの422年の間で53代もの皇帝[1]、平均在位8年と言う過酷な事業の結果として、ローマは東西に分割され、その62年後には滅亡することになった。

皇帝達の業績[編集]

ローマ皇帝の一人・ティベリウス。

帝国を衰退させたと言える業績は内政や財政軍事を含めて多々あり、その中でも主なものを挙げる。主な業績の中でも、特にカラカラ帝のアントニヌス勅令は全ての面に大きな影響を与え、決定的にローマを滅亡させることに成功したと言われている。

軍事[編集]

セプティミウス・セウェルス
コモドゥス亡き後の皇帝奪取決定戦に参戦。各地でバトルをしまくりローマの有力将軍や軍隊を完膚なきまでにぶちのめす。そして残った兵士たちの保護を厚くし給与を上げたためのちのローマ帝国の国庫を慢性的に圧迫する原因を作った。こう書くと「戦争キチの脳筋」のように見えるセプティミウスだが数々の留学経験やマルクス家での勉学経験があり知能の数値が高かったおかげか、こいつが生きてる間はうまく機能していた。
カラカラ帝
上記の戦争オジサンの息子。戦争オジサンは頭が良かったためバランスをわきまえていたが、息子のこいつは頭が良くなかったため「みんながみんなローマ人になればしあわせになれるよね!エヘヘ///」などとアホみたいなことを思いつき属州民を全てローマ市民とするアントニヌス勅令を発令。ローマ人でなくてもローマで軍人を満期勤め上げたらローマ市民として認めると言うボーナスを消滅させ、軍隊希望者を劇的に減らすことに成功した。これによりローマ軍が弱体化していった。
ガッリエヌス帝
元老院議員は軍隊の要職に就けない逆エリート主義を法制化し、内政と軍事を完全に分離させた。これにより内政を考えない戦争が頻発し国家を疲弊させることに成功した。
多くの皇帝
内乱で軍隊を殺し合わせて、ベテランの軍人を効率よく減らすことに成功している。

内務[編集]

ネロ帝&コンモドゥス帝
内務を放棄することで国家の衰退を狙った。しかし統治の前半に善政をしいてしまったために、その時つくった下請けが効果的に働き続けローマ領内は安定し失敗に終わった。
カラカラ帝
アントニヌス勅令によりローマ国民を爆発的に増やし、皇帝や官僚の仕事を膨大にすることで国家を疲弊させることに成功。
ヘリオガバルス帝
ネロ帝を超えようと堕落の限りを尽し衰退を狙う。しかし人の親、孫を見守るお婆ちゃんとしては最悪のBBAだったが政治家としては有能な祖母が何とかしてしまい失敗。ふてくされてさらに堕落した。
トラクス帝
生まれてから死ぬまでチンパンジーのように暴れ続けて内政混乱させることに成功した。
軍人皇帝達
即位しては即座に死んでしまうことで強制的に無政府状態を作り上げると言うゲリラ的な連続殉死を行った。およそ50年間程無政府状態を作ることに成功しローマを疲弊させた。

財政[編集]

カリグラ帝
放漫財政により4年で国庫を空にし国家の破綻を狙った。しかしすぐに殺され次の皇帝により健全化されてしまう。
カラカラ帝
アントニヌス勅令で属州だけに課せられていた税を取れなくし国家財政を破綻させようとした。しかし全国民に臨時重税を課すようになって回避されてしまった。

国土[編集]

ガッリエヌス帝
反乱を放置することで帝国内からガリア帝国とパルミラ王国を独立させることに成功。国土をおよそ2分の1程度にさせたが、後の皇帝によって元に戻されてしまった。
ディオクレティアヌス帝
帝国を四分割して、それぞれに皇帝を据えた上で最高権力者の自分が引退することで内乱を誘発させた。十数年ほどで再統一されたが国家を疲弊させることに成功した。
テオドシウス大帝
キリスト教の狂信者と化しローマ文化の破壊に勤しむ。あまりにローマ神教およびローマが憎すぎてキリスト教の偉い人に土下座しローマ皇帝の地位を貶めたり、ローマ帝国を最終決定的に東西分割することに成功。助け合わなくなったことで西は63年後に滅亡することになり、東はローマ文化と全く関係なくなったためにローマ帝国として認められなくなった。

宗教[編集]

コンスタンティヌス大帝
ローマ従来の国家宗教を放棄して、キリスト教を国教とすることに決定。キリスト教の教会や聖職者を保護優遇することで改宗を誘発し愛国心を弱くさせることに成功した。
グラティアヌス帝
ローマ在来の宗教を完全に禁止し、ローマ皇帝よりもキリストを崇めさせることに成功。

権威[編集]

デキウス帝
蛮族に負けて殺されると言う情けなさを演出するための殉死をしたことで皇帝の権威の失墜させることに成功。
ウァレリアヌス帝
敵に負けて捕らえられ踏み台として使われると言う恥を耐える献身で権威を完全に失墜させることに成功。この後蛮族すらも皇帝を侮るようになった。
テオドシウス大帝
キリスト教の司教に破門され土下座で頼み込んで破門を説いてもらうと言う茶番を演じることで、ローマ皇帝よりもキリスト教の司教の方が上であると印象づけるに成功した。これによりローマがなくてもキリスト教があれば良いとみんな思うようになった。
ホノリウスちゃん
上にいるキリスト狂信オジサンの息子にしてローマ末期最大のアイドル。通称「ほのちゃん」。ローマに唯一残された優秀軍人であったスティリコ将軍を処刑するお仕事だけして、あとはにわとりカフェに入り浸っていた。

影響[編集]

ローマを滅亡させた結果として、ローマ人にとっては暗黒時代と呼ばれる中世が訪れることになるが、それはローマ視点に寄りすぎた判断である。ローマに支配されていた地域は全て分離独立していき、民族自立を果たすことになった。文化は衰退し蛮族程度となることで、蛮族は蛮族とよばれることはなくなり、むしろ遠くの土地まで文明が浸透していくことになり、それぞれの地域が競い合うことで、より多くの地域が発展していくことになったと言える。

各種記録[編集]

記録の名称記録備考
最長在位期間36日ゴルディアヌス1世
死因78人中43人が殺害

(うち27人が暗殺、16人が敗死)
3人が自殺

殆どの場合はローマ人に殺されている
皇帝になったアヌスの数29オクタウィアヌス等

脚注[編集]

  1. ^ 共同皇帝を含めると78人。多くの国では400年で30代程度である。

関連項目[編集]