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Conversation

トーマスロックリーの【信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍(太田出版)】の実物を読んだんですが、『著者あとがき』で誇大に書いている旨の事をロックリー自信が暴露してるんですよね。 257頁 >つまり、この本の基となった弥助に関する論文を読んでくれた専門家の言葉を借りれば、こういうことになる。「君は最大主義者(マキシマリスト)的手法を取っているように思う。同じだけの確率で"ないかもしれない"場合にも、だいたいにおいて"あるかもしれない"方を採用している。とはいっても、史料が不十分な場合には、そうでもしないと先に進めないだろう。」その言葉は、本書のスタンスを端的に表している
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サンプルでも分かるように、「地元の名士のあいだで黒人奴隷が流行」と書かれた第一章の当該部分は「物語」として想像込みで書かれていました。 >第一章のこれまでの部分は、本書のその他の部分とは異なり物語形式で綴っている
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なので、【そのような想像塗れの記述であり、歴史的正確性が担保されていない記述が相当範囲に及ぶ書籍なのだ】という事を言えばよかったんです。第一章だけでなく全体がそんな調子です。 そうすると、「戦国時代の日本で黒人奴隷が流行」という言説は日本のアサクリUbi・ロックリー批判者によって拡散されていると言うべきことになります。現在では「黒人奴隷は日本から始まったと書かれている」などという捏造された批判も展開されています。 元々原文は「地元の名士のあいだで黒人奴隷が流行」であり、「日本全土」ではありません。 地元の名士の間で流行したのか?という点も疑義がありますが、それを外して「日本で」という言説を広めたのは、アサクリ問題・ロックリー問題を解決するのではなく夥しい数の炎上を発生させて利益を得たい人・正義感に塗れたい人らによるものです。 なお、「弥助が侍」については84頁で以下書かれています。 >ありのままの現実を見つめれば、弥助の役目は護衛であり、刀持ちであり、小姓にすぎなかった。後年、外国人侍となったウィリアムアダムス、ジョアンロドリゲス、ヤンヨーステンのように政治的な役目を担っていたわけでもなく信長の友人のような立場だったのだろう この部分の記述にも想像が入っていると言わざるを得ませんが、少なくとも当該書籍中で「弥助は侍」についての留保はつけています。 ただし、ロックリー氏の主張や書籍の内容についての誤解が生じている責任はロックリー氏にもあります。 「地元の名士のあいだで黒人奴隷が流行」も、本書の他の部分で明確に否定していないので、想像で書いただけなのかどうかも曖昧なままです。 本書に関するインタビュー記事でも「歴史ノンフィクション」と謳っているで、ロックリー氏自身が、書籍の外でも読者に史実通りと誤認させるムーブをしています。 もっとも、本書の内容は日本にとって不利になるようなことばかりというわけではなく、むしろ海外からの日本に対する見方を良い方向に向かわせるものも多く含まれています。 結局は書籍を読んだ側の扱いの問題が大きく、事実を確認して発信するかどうかの主体性の問題だと思います。