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Conversation

死体検案書「偽造」発言について、梯子を外すことは賢明な判断ではない。 その発言をした者は、些細なミスを除いて、基本的には正しいことをした。 確かに、「偽造」などと早まったことを言ったのは迂闊である。 しかし、その一連の言動は、反科学煽動者の拡散するワクチン危険論というデマを暴く活動の一環である。 大きな善行を無視して些細なミスを叩く輩に煽動されるべきではない。 そして、「偽造」発言は相手の社会的信用も殆ど低下させていない。 何故なら、社会的信用を主に左右するのは、死体検案書の真偽ではなく、拡散している情報(ワクチン危険論)の真偽だからである。 相手の社会的信用が低下するなら、それは「偽造」発言によるものではなく、相手のデマによるものである。
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デマに加担した時点で自業自得であるから、遺族等にも遠慮する必要は何一つない。 「可哀想な被害者」を演出するのは遥か昔からの偽医療の常套手段であった。 例えば、がんの偽医療においては、患者や遺族を自称するものに体験談を語らせて、それが偽医療だと指摘する者を「可哀想な被害者」を叩く悪者に仕立て上げるのである。 そのような卑怯なやり方に屈するべきではなかろう。 守るべきは加害に加担した奴ではなく、デマに騙される人である。 今こそ声を大にして言うべきだろう。 「当該死体検案書は医師が書いたという意味でのみ『本物』だからと言って何なのだ」と。 「事の本質は当該死体検案書をデマの拡散に都合よく悪用したことである」と。 見せ掛けの人情論に屈してデマで社会を混沌に陥れようとする輩の思い通りになってはならない。